第8話
最中家は代々続く公務員家系で、英琳の曾祖父は元防衛大臣、祖父は元警視総監であった。
その前の先祖も国に仕える将軍などと、その歴史はかなり古い。
一般的な公務員のお家柄ならば、平均的な収入を得て平均的な生活を送るはずであるが、最中家は少し違った。
最中家は全ての物が豪勢で、その生活そのものも多額の金銭が動いているように見えた。
そんな最中家には代々仕えている家があり(神崎家)、その家もまた富裕層であった。
かつては神崎家以外にも仕えている家があったが、江戸時代が終わり大正、昭和と時代が移り行く間に減って行った。
神崎稔は生まれながらに最中家に仕える運命を背負っていた。
代々、神崎家の男性が執事として主人の安全を守り、女性が給仕などのサポートをするお手伝いさんをしている。
男性としてこの世に生を持った稔は勿論男性の心を持ち、男性としてい生きているが、生まれながらに執事としての訓練を受けてきた。
しかし現代社会を苦なく生き抜く為に、それ相応の教育も受ける必要があった。
元来稔はお勉強と言うものが好きではなかったが、家業を受け継ぐ為に頑張って大学まで卒業した。
現代最中家の人間は父、母、息子、娘の合計七人いる。
息子が四人で娘が一人である。
上の四人の息子は最中家に相応しい人生を送っているが、末娘が問題児なのである。
お勉強は兄達よりも優秀だったが、彼女が夢見たのは家系適職を受け継ぐ道ではなく、自分自身が興味を持った医療の道であった。
「…はぁ。」
「英生様、どうかなさいましたか?」
少し白髪が増えてきた今日この頃、四人の息子を国家公務員へと育てることができた最中英生だったが、彼の子育てはまだ終わっていない。
息子達はすくすくと伸び伸びと、成長して行った。
しかし末娘である英琳は彼等とは違い、自分の思う通りには成長してくれなかった。
机上学習はどの子供よりもよくできているが、先日公務員の道には行かない旨の言葉を投げかけられた。
『お父様の思う通りには絶対にしませんわ。私は私の人生を全うしたいのです。』
英琳は幼い頃から気が弱く、自分の意見を表立って言うことがなかったので今までの教育に文句がないのかと思っていた。
しかし実際はそう上手く行っているわけではなかったらしい。
英生は英琳のその時の形相を今まで見たことがなかった。
だが、英琳の頑固な性格は英生譲りであるので、彼は英琳の言葉を直ぐには受け止めるつもりはなかった。
できるならば、最中家の歴史と同じように人生を歩んで欲しいと思っていた。
「絶対、人生の安泰を約束されているのだ。それのないが悪いというのだ。」
「以前英琳お嬢様からお聞きしたことがあります。」
「…、聞こうではないか。」
「お嬢様は英生様もご存じの通り、幼い頃から医学書を読むことが好きでしたね。それで彼女は小学校高学年の時に英生様はお知り合いの解剖学者の先生に彼女を合わせたことがあったと思いますが、その時に私に、仰ったのであります。『私は、死んだ人の声を聴きたいとは思わない。その代わりに今を生きている人の身体の声をちゃんと聴きたい。』と。」
「…だから何だと言うのだ。」
「英生様には失礼なお言葉となってしまうかと思いますが、お嬢様の心もかなり堅いものと思われます。」
『…はぁ。』と、英生は再び大きなため息をつくと立ち上がった。
英琳が家出してから数日間、稔は英生の命令によって英琳を探し回っていた。
しかし中々彼女の居場所を特定することは簡単なことではなかった。
それもそのはずである。
英琳もお馬鹿さんではないのだ。
自分の居場所が誰にも知られないようにする方法位は心得ている。
それを教育したのは英生であるから制度はかなりのものである。
元々は護身の為であったが。
このような状況下では逆の効果が出てしまうのではないかと、英生は心配していた。
稔は英生の執事と言うよりは英琳の専属執事であった。
自分の監督不行き届きで家出を成功させてしまったことに示しをつける為にも、何とかして英琳を探し出そうと奮闘していた。
数日経っても見つかる目途が立たないので、実は少し諦めかけていた。
しかしたまたま友人が教員として勤めている専門学校に、英琳が入学していたことが判明した。
『最中』と言う珍しい苗字があったので、教えてくれたのである。
彼女の様子を窺う為にも、少し後をつけて遠目で観察することにした。
しかし流石に若い不届き者の男の自宅にのこのこと上がり込もうとしているところを見逃す程、稔も甘くはない。
電車に乗っている英琳の少し離れているところにばれないように近付いて、会話なども聞いてみていたところ彼の勘は『怪しい』と言っていた。
人気が少ない路地に入った時、稔は動いた。
「英琳お嬢様。」
そして、帰りたがらない英琳を半ば無理矢理屋敷へと連れて帰った。
「お父様、どういうことですか。私は私にしかできないことをしたいのです。だから家を出たのに神崎さんに私の捜索をさせるなど、やり過ぎですわ。」
「英琳、私は君のことが心配なのだよ。いいか、今ならまだ大学に入りなおせる。既に手配もしている。」
これには流石の稔も『やり過ぎだ』と思ったが、表情は変えない。
この言葉に英琳は怒りを剥き出しにした。
自分の人生を好きなように操ろうとしている過保護すぎる父に、我慢ならなかったのである。
「お父様、私は二度とここには戻りません。」
そう泣きながら言った英琳は走って屋敷を出て行った。
既に終電もなくなっている時間であったが、かまう様子はなかった。
『おい待て、英琳』と言う英生の声だけがその場に残った。
数分の沈黙を壊したので英生の疲れ切った声だった。
「稔。英琳を探して、彼女が借りている部屋まで送ってやれ。」
「はい、英生様。」
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