第7話
英琳の小さな背中が咲和と共にパソコン室のドアを開けて去っていくのを見てから既に三十分は経ってしまった。
竜之介は趣味でデスクトップパソコンを部品から集めて作成してしまう程の、コンピュータオタクなのでアカウント作成など序の口であった。
しかし今朝友達になったばかりの葛西達と共に他学年の教員である佐藤のどうでも良い趣味話に付き合ってやっていたので、すっかり遅くなってしまった。
(畜生、佐藤先生の新妻の話なんてどうでもいいんだよ…。あーあ、折角英琳に夕飯のお誘いをしようと思ったのに。)
「竜之介じゃなー。」
東京メトロ・三田線、東西線で帰宅する学生が多い中、竜之介は偶然にも英琳と同じJR東日本・京浜東北線の電車に乗って通学をしている。
学校から駅までの道で分かれ道があり、そこで葛西達と解散した。
もう帰っているであろう、英琳の小さな姿を目だけで探しながら駅へ向かう。
改札口へと続くエスカレータに乗っていると、上の方に今し方眼だけで探していた人物の鞄がチラッと見えた気がした。
勘違いかも知れないが、彼はエスカレータを降りると急いで彼女のいた位置まで走る。
改札を通る少し手前の場所で彼女の背に追い付き、改札を通った時彼女の腕を掴んだ。
「英琳、まだ帰ってなかったんだな。」
「え…、えっと。」
「あー、ごめん。どっち方面?」
英琳は身体と同様小柄な細いその人差し指を静かに、下りの方向を指さした。
「あっち。」
「俺と一緒じゃん。一緒に帰ろうぜ。」
「うん、いいよ。」
と、英琳が答えた時にふと疑問に思った。
実は昼休みの時には出身地の話しはしたものの、現在住んでいるところの話はしなかったのである。
『港区出身』と言う彼女の言葉から竜之介は勝手に、彼女は実家から通学していて電車など乗らないと思っていた。
しかし彼女は今、彼と一緒に電車に乗っている。
さてなぜか?
「そう言えば、どこで降りるの?」
「鶯谷駅だよ。竜之介は?」
「俺は上野。」
「………。」
「………。」
話が尽きてしまったではないか。
(あー、いざ二人で話そうと思うと何を話せばよいのか全く分からない。今まで彼女位一人や二人、いたことだってあるのに俺ってばどこもロックじゃないな。)
話す内容に悩んでいると、電車は一瞬で秋葉原駅まで着いてしまった。
このままではろくな話もせずに、今日を終えてしまう。今日、勇気が出なければ、このままずるずると友達のままな気がする。
英琳と一歩も近付けずに終わってしまいそうである。
そんな不安感が竜之介の心に針を刺した。
チクチクと胸を刺されているような感覚のまま、電車は秋葉原駅を出発した。
丁度中間地点辺りに到達した時、竜之介はドキドキと口を開いた。
「今日、時間あったりする?もしあるなら…」
「あるよ。私一人暮らしだから門限とかもないし。」
意外とはっきりした口調で答えた英琳を見て竜之介少し驚いた。
彼女も自分で言ったのにも関わらず、その声のボリュームや口調に驚いた様子であった。
その後、彼女はそのまま黙りこくってしまった。
一体何を考えているのかよく分からない。
上野駅へ着くと、広い改札を出て竜之介の住むアパートメントへ向かう。
その間、通りがかった小さなスーパーマーケットで夕食の材料を購入した。
アパートメントまであと百メートルくらいの場所に位置する交差点に差し掛かった時、後ろから声をかけられた。
竜之介ではなく、英琳が。
「英琳お嬢様、こんなところで一体何をしていらっしゃるのですか?」
「か…神崎さん。なぜ…?」
英琳と顔を突き合わせて会話をする男性は、二十代後半のように見える。
眼鏡をかけていかにも高そうなスーツに身を包んでいる。
背は高く、細身で足が長くモデル体型だが肩幅はしっかりと広い。
竜之介は二人の姿を見て、しっかりした雰囲気から、自分とは違う世界に生きている人物なのだと思った。
「…お嬢様がなぜこんなことをしたのかは、一旦置いておくとしましょう。しかし、ご主人様に無断で出ていくなど許されることではありません。」
「神崎さんには、関係ないでしょ…」
「関係あります。私は最中家に曾祖父の代から使えている執事なのですから。」
今時、『執事』だの『お嬢様』だのと言うワードが飛び交っている事実に、竜之介は呆気にとられた。
彼らが一体何の会話をしているのか、一体ここでは何が起こっているのか、状況を読めずにいた。
どうにか冷静になろうと、頭では考えているものの、回転速度が間に合わない。
ただ立ち尽くしていると、彼等の話は光速のように進んで行く。
「お嬢様、帰りますよ。」
「嫌よ。」
「これは強制です。」
そう言うと神崎は英琳の腕を掴み、彼女を引っ張て行く。
彼女はやや引きずられるようにしてどんどん連れていかれる。
本来なら、竜之介がここぞとばかりに英琳を連れていく神崎を止めに入るのが正解なのだろうが、彼にはそれができなかった。
余りにも衝撃的な事実が突如として現れたせいで、彼はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
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