第五話 王子の決意
スルダン教会に滞在して四日目のこと。旅に同行していたランドンが小難しい表情で、優弥たちが朝食後の一時を寛いでいた談話室に護衛二人を伴って入ってきた。
「どうした、ランドン? 腹が痛いのなら先に帰ってくれて構わんのだぞ」
「陛下は私に対して辛辣過ぎると思うのですが」
「気のせいだろう。で、何かあったのか?」
「実はですね……」
ランドンの護衛が聞きつけてきたのは、住民およそ五十人の第三集落での出来事だった。
そこには来月本村に嫁入りが決まっているパミラという娘がいるのだが、その彼女がネルイット男爵領の隣を治めるズール伯爵家の次男、ハイマン・ズールに見初められたのだという。
むろんパミラは次男の申し出を丁重に断った。しかしあろうことかハイマンは彼女の結婚相手となる本村の青年ベックを、無礼を働いたとして捕らえてしまったのである。
「無礼とは?」
「何でもハイマンが乗る馬車の前に飛び出したとか」
「よく聞く無礼の典型だな」
「ところがベック青年はその時、背後から何者かに突き飛ばされたと言っているようです」
「それで?」
「当然パミラも婚約者の放免を願い出たそうなんですが」
「助けてほしければ自分の嫁になれ、と?」
「いえ、それならまだいい方です。名目上は下女とのことですが……」
「嫁入り間近の娘を単なる遊びが目的で召し抱えようというわけか」
「ハイマンはこれまで何度も強引に若い女性を召し抱え、飽きたら捨てるを繰り返しているとの噂もございます」
「捨てる?」
「訂正します。奴隷として売り飛ばすか殺すか。とにかく無事に戻ってきた女性はいないそうです」
「この件、キートン男爵の耳には届いていないのか?」
「男爵は二日前に村を離れております。ハイマンとは顔も合わせていないでしょう」
それに男爵の立場では伯爵家次男をどうにかするのは難しいだろう。自領内ならハイマンを窘めることは出来ても、無礼で捕らえられたベック青年を解き放つのは叶わない。
いくらネルイット男爵家が歴史的に由緒正しい家柄でも、身分の差は如何ともし難いからである。最悪はそれが原因で男爵領と伯爵領の間で戦争にならないとも限らないのだ。
むろん戦争が起これば優弥か共和国議会が動くことにはなるが、死者が出るのは避けられないので得策とは言えないだろう。
そしてランドンが悩んでいたのは、果たしてこの件に自分が介入すべきかどうかということだった。彼はハセミガルド王国からすれば宗主国の皇子である。こと王国内に関することであれば遠慮なく介入出来る。
しかしここはハセミガルドの属国。名目だけならアスレア帝国も宗主国と言えるだろうが、皇子が直接口を出した場合はハイマンの横暴を帝国として裁くことになるのだ。
「だが見過ごせないと。ランドンにしては正義感に溢れているじゃないか」
「陛下、私とて民を重んじるアスレアの皇子です。我が国が旧モノトリス王国に侵攻した際の父の
「分かっているさ。なら宗主国の皇子として俺に命ずればよかろう」
「陛下に命を下せるのは我が父と母のみです。私の身身分は陛下より下なのですから」
「ま、そうなるか」
「それに私が裁くとなれば一度父上に報告する必要がございます。さらにスタンノ共和国議会を無視することも出来ません」
「確かに間に合わんな」
「父上!」
そこで声を上げたのはアルフィー王子だった。これまでの話を黙って聞いていたようだが、どうやら何かを思いついた目つきをしている。
「どうした、アルフィー?」
「そのお役目、僕にやらせては頂けませんでしょうか?」
「ハイマンをお前が裁くということか?」
「はい」
「どのようにして裁く?」
「まずはベックさんが突き飛ばされたのが本当かどうかを見極める必要があると思います」
「ほう?」
「考えにくいことではありますが、ベックさんはパミラさんをハイマン殿に奪われるかも知れません。抗議のために馬車の前に飛び出したという可能性も捨てきれませんので」
「ふむ。一理あるな」
「なので父上、僕にお庭番衆を何人かお貸し下さいませんでしょうか?」
思わず優弥はロッティと顔を見合わせた。彼女も同じ気持ちだったようで、この年で密偵の使いどころを見極めた王子に驚きを隠せていない。
「メイリン、お前の配下を出せるか?」
「城でステラとワクルーが待機しております」
「急ぎゲートを使って連れてきてくれ」
「はっ!」
「陛下、私の護衛もお出しします」
「でしたらランドン殿下、そちらはベックさんが突き飛ばされたことの裏取りをお願い出来ますでしょうか」
「心得ました、アルフィー殿。お前たち、聞いた通りだ。必ず情報を持ち帰れ」
「「はっ!」」
メイリンが転送ゲートに消え、ランドンの護衛二人が部屋から出ていくと、アルフィーは強い眼差しを優弥にむけてきた。
「父上、僕はメイリンが配下を連れて戻り次第、第三集落へ向かいたいと思います」
「よかろう。それには父も同行しよう」
「いえ、ここは全て僕にお任せ頂きたく」
「しかしなあ。なら口出しはせぬ故、離れてついていくのはどうだ?」
「聞けば第三集落は住民五十人ほどの規模とのこと。そこへ大勢で押しかけるというのは……」
「分かった分かった。では物陰から密かに窺うに留めよう。言っておくが万に一つもお前の身に危険が及ばぬよう、同行しないという選択肢はないからな」
「承知致しました。父上のお心遣いに感謝致します」
もし優弥が同行せずにアルフィーが怪我をした場合、責任の所在はメイリンと配下に留まらず、ランドンの護衛にまで及ぶ。しかもその罪は死罪。
アルフィーが頑なに同行を拒むようならこの件はなかったことにしようと考えていたが、さすがに王子も自身の立場を理解していたようだ。間もなくメイリンが配下の二人を連れて戻ってくると、アルフィーは早々に三人を伴って第三集落に向かうのだった。
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