第三話 左遷の地
イズナの最大の強みは
だが、彼女はその他にも隠密行動する上で有利となる、完全気配遮断の技術も身につけていた。
(見つけた!)
前方十五メートルほどのところに、ミリーが推した候補者の背中が見えた。宿舎として使われていた建物の陰から辺りを窺っているようだ。イズナは小石に染料を滲ませ、的と定められた心臓のある真ん中より少し上に向けて投げつける。
「いたっ!?」
小石は見事に命中し、候補者が背中に軽い痛みを感じた時にはすでにイズナの姿はそこになかった。
(あの程度なら痣になることもないでしょ)
次の相手は周囲を警戒しながらやってくるイザベルが挙げた候補者だ。このまま進んでくれば、建物の角で出会い頭である。イズナは身を低く落とし、襲撃の体勢を整えた。
間もなく相手は立ち止まって角からわずかに顔を覗かせたが、低いところまでは目が届かなかったようだ。イズナは難なく顎に掌底を当て、無防備となった腹に膝蹴りを入れる。思わず前傾になった背中に染料を塗った手のひらを打ちつけて、二人目を仕留めた。
制限時間は四十八時間。しかしイズナは二十時間ほどで、自分以外の七人の候補者全ての背中に染料をつけたため、鬼ごっこは終了となったのである。
「イズナの配下は全員やられたが、他の候補者の配下は一人もやられなかったのか」
優弥は目の前に
「ロッティ、この結果をどう見る?」
「これほど短時間で候補者のみを討ち取ったのには驚かされました」
「そうだな。さて、イズナよ」
「はっ!」
「これより俺と一騎打ちすることになるが、覚悟はよいか?」
「はっ! ですがお聞きしたいことがございます」
「申してみよ」
「お館様は染料、対して私は
「と言うと?」
「当てればよいとのことですが、私の投げる苦無は刺突力が強くお館様にお怪我を負わせてしまうかも知れません」
「ああ、そのことか。心配はいらんよ。本気でかかってこい」
密偵たちは優弥がとてつもなく強いことは知らされているが、実際のステータスの値までは知らない。そもそもそれを見るスキルや魔法が使える者が少ないので、知る機会がないのである。
「早速始めるか? それとも少し休むか?」
「お館様さえよろしければすぐにでも」
「分かった。お前たちは下がっていてくれ」
ロッティと他の者たちを離れさせると、二十メートルほどの距離をとってイズナと対峙した。彼女は両手に苦無を一本ずつ。予備はいらないとのことだったので、その二本で決着をつけるつもりなのだろう。
「ロッティ、始めの合図を頼む!」
「はっ! それでは、始めっ!」
直後、カーンという金属音と共に優弥の足元に二本の苦無が転がった。
「やった……!?」
勝利を確信したイズナは思わず叫んだが、同時に言葉を失っていた。刺突力が高いと自負していた苦無が、突き刺さることなく弾かれたからだ。
そしてロッティがツカツカと彼女の前に歩いていくと、その頬を思いっきり張り飛ばしたのである。
「お館様に苦無を飛ばすとは何事ですか!?」
「で、ですが攻撃していいと……」
「万に一つでも実戦でお館様に歯向かえば、次の瞬間お前の額には風穴が開いていることでしょう。それはお館様の至上命令である、死ぬなとのお言葉に反することにもなるのです」
「で、ではどうすれば……逃げればよかったのですか?」
「お館様から逃げ
「そ、そんな……」
「イズナよ」
「は、はい……」
「お前の配下は全員やられた。これを何とする?」
「新人ですから力不足はやむを得ないかと」
「新人であろうと彼女たちも俺の身内に変わりはない。お前はそれを見捨てたのだ。そんなお前を頭領の座に据えるわけにはいかん」
「お、お館様、お待ち下さい!」
「それと俺は武器の使用を禁じたはずだが、これは何だ?」
彼が見せたのは染料が塗られた小石だった。
「その程度なら怪我はおろか痣にもならないと思いますので、武器とは呼べないかと」
「愚か者! 石はもっとも手軽に手に入れられる武器だ。全員、耳を塞げ。そうしないと鼓膜が破れるぞ」
「お館様の仰せの通りにしなさい。こうしてしっかりと耳を塞ぐのです!」
ロッティががっちりと耳を塞いで見せ、全員の準備が整ったところで、彼は染料のついた小石を基地の壁に向けて追尾投擲で放った。直後、爆音を轟かせて音速を超えた小石が基地の壁を貫通する。
「イズナ、これでも武器と呼べぬと申すか?」
「た、確かに武器と呼べます。申し訳ございません。ですが私は先ほども申し上げました通り、痣にもならない程度の力でしか投げておりませんので」
「俺の命令に反してはいない、と?」
「イズナ殿、お館様のご命令は武器の使用禁止です。貴女はそれに背きました。この意味が分かりますか?」
「…………」
「隠密としての高い技量は認めてやる。だが実戦において俺の命令に背くということは、自らの死を招くことに繋がることもあると知れ」
優弥の命令に従わないということは、根本的な『死んではならない』という命令にも従わないことに繋がる。さらに、彼女はもう一つ重大な過ちを犯していた。
「イズナ殿は配下についた者たちにどのような指示を出しましたか?」
「自分の身を守れと……」
「早々にやられても責めたりしないから安心しろ、とも言いましたね?」
「はい」
「配下の五人はその後どうしたと思いますか?」
「分かりませんが、やられたから退場したのですよね?」
「違います。五人は貴女と別れた直後に自ら退場しました」
「えっ!?」
「ハセミ三人衆の頭領は配下に、しかも新人に明確な指示を与えないなどということはあってはならないことなのです」
「イズナよ」
「はい、お館様」
「今回お前は敵地に新入りの配下を残し、単独で作戦行動に移ったこととなる」
「はい……」
「頭領に据えるわけにはいかんが見込みがないわけではないから、お前に密命を与える」
「は、はい?」
「一年だ。一年経っても命を果たせなかった時は、お前をレイブンクロー大帝国、ハセミ領送りとする」
「北の……ハセミ領……?」
それは密偵にとって閑職に追いやられること、すなわち左遷とも呼ぶべき人事だった。
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