第三話 相互援助条約
「では、同盟締結により我が国が得られるメリットを教えてもらおう」
「め、メリットですか?」
「そうだ。貴国は我が国と同盟を結ぶことにより、敵わぬ相手から侵攻される危険性を排除出来る。また他国から侵略を受けた場合は援軍の要請も可能になるわけだ」
「ごもっともです」
「だが、それだけでは我が国には何の益もない。だからメリットを教えてほしいと言っているのだ」
ウタリドは言葉を失ってしまった。実はこの質問は当然予想されたものであり、互いに侵略を受ける危険がなくなるため、安定した貿易も可能になるとの答えが用意されていたのだ。
ところが先のやり取りで、ハセミガルド王国はビネイア王国は元より、アスレア帝国でさえ敵ではないと言ってしまった。南のスタンノ共和国の国力がアスレア帝国を上回るわけがないので、ハセミガルド王国に敵はいないと言ったも同然なのである。
つまりよほどのバカでもない限り、この国に戦争を吹っかける者はいないということだ。
一方ビネイア王国はといえば、アスレア帝国に劣るスタンノ共和国よりも国力はさらに下だった。しかもこのところ共和国との国境付近で小競り合いが続いており、きな臭い動きを見せているのだ。
故に同盟締結は国の運命を左右するほどの最重要課題なのである。にも関わらず彼は、絶対に答えなくてはならないメリットは何かという問いに対して、自ら発した言葉で回答に窮してしまったのだ。
「わ、我が国とて同様、同盟により貴国が他国から侵略を受ける危険性の排除に貢献出来ます。また、関税を下げることにより貿易面でも有利となりましょう」
「なるほど、関税を下げるか」
代案が浮かばなかったウタリドは、結局用意していた答えで押し通す他なかった。しかし、これはさらに自身の首を絞める悪手だったのである。
「ウタリド殿、ここに二枚の金貨がある」
「これは……」
「一方は現在我が国で主に使用されているアスレア金貨だ」
「……」
「そしてこちらは貴国のビネイア金貨。デザインや大きさは別として、この二つの違いが分かるか?」
「もしや……」
「そう、純度だ。アスレア金貨はおよそ九割が金だが、ビネイア金貨はわずか五割。これを金貨と呼ぶとは粗悪にも程があると言いたいが、モノトリス金貨も五割だったから十年前までなら貿易上の問題はなかったのだろう」
「そんなはずは! 我が国の金貨には少なくとも七割の金が含まれているはず……」
「ウタリド殿の言われる通りなら、不正が行われているということだろうな」
「お待ち下さい、陛下! 祖国に戻り次第、すぐに対処致します!」
「このようなことに気づけない国とは、とても貿易面で安心することなど出来ん。関税以前の問題ということだよ」
意気消沈するウタリドだったが、優弥はさらに続ける。
「こちらが貴国の現状を知らないとでも思っているのか?」
「な、なにを……?」
「スタンノ共和国からずい分とちょっかいをかけられているようじゃないか」
「何故それを!?」
「さてね。そうそう、貴国もよく飽きもせずに密偵を送り込んでくれていたよな」
「何のことでしょう……?」
「惚けなくてもいい。全て捕らえて吐かせた。もちろん生かしてはおらんが」
「……」
「俺は相手が人だろうが国だろうが、敵対する者には容赦はしないのさ。もっとも安心するがいい。この城に入れた時点でウタリド殿は祖国に帰ることが出来る。ビネイア国王宛に伝言も頼みたいしな」
「主に伝言、ですか?」
「まず一つ目だが、密偵を送り込んできたことに対する慰謝料として金貨十万枚。もちろんビネイア金貨で構わんが正規の純度の物だ」
「じゅ、十万枚!?」
「その代わり密偵を宣戦布告の理由としない。安いものだとは思わないか? むろん年一万枚、十年分割で構わんよ。利子もいらん」
「貴国だって我が国に密偵を……」
「何のことかな。そう言われるなら証拠を見せてもらおう」
「くっ……」
「次にビシャーラ・ビネイア国王の退位」
「何ですと!?」
「本当は首と言いたいところを退位で留めてやると言ってるんだ」
「そんな! 横暴です!」
「そうでもないぞ。この二つを聞き入れるなら相互援助条約を結んでやってもいい」
「相互援助条約?」
「他国から侵略された場合に互いに援助するという条約だ。スタンノ共和国への抑止になると思うが?」
「それは……確かに……」
「我が国が貴国に援助を求めることはないと思うが、共和国が貴国を落とせば次はこちらに目を向けないとも限らんからな。それに他国とはいえ罪のない民が戦争に巻き込まれるのは忍びないんだよ」
「ですが……」
「まあ、決めるのはビネイア国王だ。ただし国王が退位せず、慰謝料の支払いを拒んだりすれば、それを我が国への宣戦布告とみなす」
「お待ち下さい! 我が国は十年前まで三年間続いた不作で飢饉に陥って以来、今も持ち直したとは言えません。とても慰謝料をお支払いすることなど……」
「なら領地を差し出せ。ジェンキンス辺境伯領と接している領地がいいな。直轄領ではなく領主がいるなら転封させろ。領民は引き取ってやる」
「そんな!」
「拒否してもいいぞ。この話がなかったことになるだけだ。むろん受けるならビシャーラ国王自らがこの城に赴き、余の前に
「我が主を見下すおつもりが……」
「相互援助とはいっても貴国は援助される側なのだから当然だろう。返答の期限は一カ月とするが、その前に共和国が攻めてきたら終わりだ。やられたから助けて下さいというのは聞くつもりはないからな」
「分かりました。主にはそのように伝えさせて頂きます」
ウタリドは不服そうな表情を隠そうともせず会議室を後にした。その足音が完全に聞こえなくなってから、同席していながら一言も言葉を発しなかった宰相のドミニクに視線を送る。
「どう思う?」
「陛下は厳しいお方だと思いました」
「聞いたのはそこじゃねえよ。条件を呑むと思うかってところだ」
「ビネイアの国王が国民を思う賢王なら呑むしかないでしょう」
「まあな。ただこれまでのことがあるから、簡単に手を差し伸べるつもりもないんだ」
「それが仰っていた慰謝料ですか」
「金が欲しいってわけじゃないぞ」
「陛下の個人資産が様々な利権で、潤うどころか大洪水になっているのは存じております」
「羨ましいだろ」
「私は身の丈以上の財は欲しておりません」
「俺もそうだったんだけどな、入ってくるものは仕方ないじゃないか」
「私利私欲のためにあまり使われず、貧しい民を思って採算度外視で事業を興されるのは尊敬に値します」
「採算の度外視などしてないぞ。ちゃんと利益は出ているだろう」
「そういうことにしておきましょう。そんな陛下ですから、いっそ占領されてしまった方が彼の国の民にとっては幸せなのかも知れませんね」
「買い被り過ぎだよ。まあ、貴族はそうとも言い切れないが、平民の多くは自分の生活がよくなれば上は誰でもいいわけだからな」
力で捻じ伏せるのは容易い。しかしそれでは反感を買ってしまうのは火を見るより明らかである。彼はビネイア国王が折れてくるのを期待するしかなかった。
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