第三話 ハセミ領
大公が使用している客間の扉がノックされると、中から期待に満ちた声が返ってきた。
「レシャか、首尾は?」
レシャとは大公についている侍女の名である。だが、ノックしたのは別の人物だった。
「ヴォルコフ大公殿下、火急のお知らせがございます」
「なっ! 誰だ!?」
「当家家令のモーゼスにございます」
扉を開けたのは長女のエカチェリーナだった。本来なら侍女の役目であるが、もうこの世にいないのだから仕方がない。部屋の中には他に次女と三女もいた。
一方モーゼスの後ろには二人のメイド、イモージェンとモリーが控えている。
「先ほど大きな音が聞こえましたが、それと何か関係があるのかしら?」
「お連れの侍女四人のことにございます」
「レシャたちの?」
「こちらに控えております当家のメイドが、庭で倒れているのを見たと申しているのです」
「なん……だと……?」
「倒れているとはどういうことですの?」
「イモージェンに直答をお許し頂けますか?」
「許しますわ。お答えなさい」
「はい。私たちはソフィア様とポーラ様にお茶をお持ちしようと、星をご覧になられているはずの庭に行ったのですが、そこにお二人の姿はなく代わりに侍女様たちが倒れていたのです」
「四人は無事なのですか?」
「分かりません。とにかくこのことを知らせなければと戻ってきたものですから」
「父上様、もしレシャたちの身に何かあったとしたら……」
「外交問題に発展しかねん。竜殺し殿はどこだ!?」
「先に現場に行かれると」
「私たちも参りましょう」
「モーゼス殿、邸の衛兵をお借り出来ますな?」
「もちろんにございます」
集められた衛兵八人に囲まれる形で、大公と三人の姫は足早に現場に向かった。
一行が庭に到着すると、すぐに横たわった四人の侍女の傍らに立っている優弥の姿を見つけた。
「竜殺し殿! レシャたちは!?」
「残念ですが何者かに額を撃ち抜かれております。即死でしょう」
「なっ! それで犯人は!?」
「今はまだ分かりません」
「分かりませんでは済まされんぞ!」
「ご安心下さい。すぐに分かると思いますので」
怒りに肩を震わせながら、大公が優弥の胸ぐらを掴んだ。
「分かっておるのだろうな。一つ間違えば外交問題だぞ」
「存じておりますとも」
「侍女とはいえ我がヴォルコフ大公家の使用人だ。それが四人も貴殿の邸の庭で殺された。そしてこの庭では貴殿の婚約者二人が星を眺めていたはず。犯人は自ずと分かるのではないか?」
「そう言えばソフィアとポーラの姿が見えませんね」
「何を呑気なことを! すぐに二人を探して捕らえぬか!」
そこで彼は胸ぐらを掴んだままの大公の手を振り払った。
「ところで殿下、この四人は何故あなた方の剣を持っているのですか? しかも封印が解かれて抜剣までしているように見えますが?」
「それは……」
「私は入領に際し武装解除を要求し、殿下もご了承なされたはず。それなのに彼女たちは封印を解いて剣を抜いている。殺されても文句は言えませんし、主である殿下もタダでは済みませんよ」
「話をすり替えるな!」
「黙れ外道!」
「なっ!?」
「この状況はこうも考えられる。貴家の侍女は星を見ていたソフィアとポーラを殺した。そしてその口封じに侍女たちも殺された」
「き、詭弁だ!」
「俺の婚約者をどうした! 答えろ大公!」
「知らん。私は知らん!」
モーゼスが片手を挙げ、衛兵たちと共にその場を去っていった。残ったのは優弥と大公家の四人のみである。この異様な雰囲気にいち早く気づいたのは三女のオルガだった。
「お父様、様子が変です!」
「何故衛兵を下がらせた!?」
「茶番は終わりということですよ」
「何だと!?」
「アス……皇帝には先ほど俺が話した状況を報告する予定です。ただしソフィアもポーラも間一髪で助けたことにしますけどね」
「どういうことだ!?」
「二人ともとっくに安全な場所に避難させてある。そしてアンタらをここで始末することは、皇帝も了承済みってことだよ」
「お父様、下がって!」
オルガが叫んだ直後、最初に出迎えた時と同じふわっとした甘い香りが漂ってきた。
「だめ! やっぱり効かない!」
「効かない? オルガ殿、何のことかな?」
「魅了、私の魔法! どうして効かないの!?」
(あの香りは魅了って魔法だったのか。DEFは最大にしてるけど、もしかして魔法にも有効だったりするのかな)
「さあね、俺にも分からん。一つ聞くが、魅了が効いてたらどうしてたんだ?」
「既成事実を作る。私にメロメロになるから容易い」
「なるほど。で、時期を見てソフィアたちを暗殺する予定だったってわけだ」
「教えない」
「まあいいや。そろそろ終わりにしようか。最期に言い残すことがあれば聞いてやるぞ」
「ま、待て。もう少し話し合おうじゃないか」
「さすがに俺には敵わないってことくらいは分かるみたいだな」
「竜殺しに普通の人間が敵うわけがなかろう! そうだ、娘をやる。三人ともだ。これだけの美しい姫を自由に出来るのだぞ」
「「「お父様!?」」」
「あー、確かに可愛いのは認めるよ」
「そうだろう? 侍女の件は不問にする。これで互いに円満解決だな」
「舐めるな大公! お姫様たちは何か言い残すことはあるかな?」
「この身をお捧げし、一生お仕え致しますわ。ですからどうか命だけは……」
「お願い、殺さないで!」
「竜殺し様、助けてなの」
(三女はまだ演技で何とかなると思ってるのか?)
「元王族の最期の言葉が命乞いとはねえ。ま、俺にケンカを吹っかけたことをあの世で後悔するんだな」
「待て! もう一度よく話し合おう!」
「いやっ! 死ぬのはいやっ!」
「お願いします! お願いします!」
「死にたくないなの!」
再び四度の爆音が轟いた後には、額を撃ち抜かれ耳から血を流す四つの死体が転がっているのみだった。
◆◇◆◇
エイバディーンの宿で待機していたヴォルコフ大公の従者およそ五十人は、主がソフィアとポーラの暗殺を企てたとの理由で身柄を拘束されていた。
ところが彼らにとっては寝耳に水の話であるはずなのに、護衛騎士を除く約半数は一様に安堵の表情を浮かべているという。
「どういうわけだ?」
「彼らは大公たちや護衛騎士から酷い扱いを受けていたようです」
答えたのはアルタミール警備兵団長のイーデンである。
「皆身分の低い者たちばかりで、食事も満足に与えられていなかったとか」
「そうなのか?」
「道中で倒れた者が数人おり、そのまま見捨ててきたとも」
「酷えな。護衛騎士はどうした?」
「剣を抜いて抵抗したので何人かは斬り捨てました」
「こっちの被害は?」
「ハドリーが命を……」
「無念だったな。武装した騎士は全員首を刎ねろ」
「よ、よろしいのですか!?」
「入領の条件は武装解除だ。剣を抜いたということはそれに反したということ。生かして帰す道理はない」
「承知致しました。これでハドリーも浮かばれます」
身分が低い従者たちは大人しく警備兵団の言うことに従っているようだ。ただ、それでも無罪放免で帰すわけにはいかない。結局考えあぐねた末に、彼らは半年間の労役に服させることにした。
「家族を残してきた者がいれば、無事であることは伝えてやるから申し出るように言ってくれ」
「はっ!」
その後間もなくレイブンクロー大帝国内に、ハセミ領が誕生したのである。
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