第七話 刺繍のハンカチ
「ソフィア、腕は大丈夫か?」
「ゆ、ユウヤさん!?」
仕事を終えて帰宅したソフィアを抱きしめながら、彼は男爵の従者に掴まれた彼女の腕をそっと撫でた。
だが何の前触れもなかった彼の行動に、当のソフィアが慌てふためいたといったところだ。
「俺が自分の肩書きに驕ったばかりに痛い思いをさせてすまなかった」
「いえ、ユウヤさんが悪いわけではありません。元はと言えば私が悪いんですから」
「違うぞソフィア。悪いのはあのブタ男爵だ」
「そうですね。奥の席が使えるようになって女将さんも喜んでました」
優弥とトニー、チェスターの三人が去った後、ロレール亭は大盛り上がりだったそうだ。ロイター男爵は他でも色々と横暴なことをしていたようで、王都の住民たちの中にも煮え湯を飲まされた者は少なくなかったらしい。
それをヒーローたる鉱山ロードがぶん殴ったものだから、盛り上がらないわけがなかった。
ソフィアが彼の婚約者とは知られなかったが、鉱山ロードと親しい者として認識されたのは言うまでもない。その日の彼女のポケットは小金貨や銀貨でいっぱいに膨らみ、あり得ないほどのチップに困惑するしかなかった。
ちなみに日本円換算で小金貨一枚は約一万円、銀貨一枚は約千円である。
解放されたソフィアがテーブルにチップを並べると、さすがに優弥もその量に驚かされた。
「ソフィア、それだけで給金三カ月分くらいあるんじゃないか?」
「そうなんです。どうしましょう。私は何もしてないのに」
「いいじゃないか、ありがたくもらっておけば」
「でも本当ならこれ、ユウヤさんがもらうべきなんじゃないかと思うんです」
「俺はいいよ。金には困ってないし」
「うう……ユウヤさんのイジワル」
「なんでだよ!」
「そう言えばユウヤさん、結局お昼はどうしたんですか?」
「んあ? 言われて思い出したけど食うの忘れてた」
「何か作りましょうか?」
「いや、晩飯まで我慢するよ。今食ったら食えなくなるだろうし」
「微妙な時間ですもんね」
午後の三時少し前なので、彼女の言う通りかなり悩ましい時間である。
「茶でも淹れてもらおうかな。茶腹も一時って言うし」
「ちゃばらもいっとき? 何ですか、それ?」
「茶を飲むだけでも少しは空腹が凌げるって例え。まあ、茶には限らないけどね」
「面白い例えですね。確かにちょっとの間なら我慢出来そうな気がします」
言いながら茶を注いでくれた彼女と共に、しばらく雑談に更ける優弥だった。
◆◇◆◇
トニーとチェスターに依頼したもののじっとしていられなかったので、彼もバリトン夫妻を探してみることにした。ローガンたち四人からターナー男爵についての情報も入っていなかったし、そちらも気になっていたところである。
そんな折、中央広場に出たところで、年末に露店を開いていたフィービーという中年女性に出会った。聞くと時々ここで露店を営んでいるらしい。その言葉通り、敷物の上に商品を並べているところだった。
「えっと、フィーさんだっけ」
「ああ、えっと……ちょっと待っとくれ、ここまで出かかってるんだ」
「あはは、名乗らなかった気もするから無理しないでいいよ。ユウヤだ」
「そう、ユウヤ君ね! 覚えてるよ。確か三カ月くらい前だったか……」
「忘れたのは分かったからいいって。年末に演説があったって教えてもらったのさ」
「あっ! あの時のお兄さんか! 本当に思い出したよ」
「それはよかった」
「可愛い女の子を大勢連れてただろ。あの娘たちはどうしたね? フラれちゃったのかい?」
(確かに思い出したみたいだな)
「よしてくれ、縁起でもない。皆仕事に行ってるだけだよ」
「へえ。それなのにユウヤ君はフラついて……なんだ、ヒモだったのか。ちょっとガッカリだねえ」
「ヒモじゃねえから!」
「あははは、冗談だよ」
「そうだ、せっかくだから知ってたら教えてほしいんだけど」
「何だい?」
「バリトンって初老の夫婦についてなんだけど」
「バリトン……? 聞いたことないねえ。その夫婦がどうかしたのかい?」
「いや、知り合いの孤児院の子供を引き取ったって聞いたから、どんな人たちなのかと思ってさ」
「ふーん。役に立たなくて悪いね」
「いや、大丈夫。ありがとう」
そう言うと彼は並べられた商品の中から、ワンポイントの刺繍が施されたハンカチを手に取った。なかなか優しげな刺繍で、赤子を抱く母親の姿が縫い込まれている。色違いで二枚あったので、ソフィアとポーラへのプレゼントによさそうだ。
「これ、包んでくれるか?」
「買ってくれるのかい? ありがたいねえ」
「きれいな子供と母親の刺繍が気に入ったんだ。フィーさんが縫ったのか?」
「そうだよ。あ、子供と言えばさ、知ってるかい?」
「ん?」
「昨日王都のすぐ外の森で子供の骨が見つかったらしいよ」
「え? また?」
「またって、初めてじゃないのかい?」
「ああ。職業紹介所でも調査の人員を募集してるらしい」
「物騒だねえ。ほら、包んだよ」
「お、ありがとう。いくらだ?」
「二枚で銀貨一枚でいいよ」
「は? 銀貨一枚?」
「なんだ、高いって言いたいのかい?」
「いやいや、逆だよ。安過ぎるだろ」
「そ、そう? そんなこと言われたの初めてだよ」
「もっと自信を持った方がいいと思うぞ」
そう言って彼は小金貨一枚をフィービーに手渡した。
「ちょっと、いくら何でもこれはもらい過ぎだよ」
「包んでもらったチップも込みだ。代金の銀貨一枚にチップが銀貨九枚、そう考えればもらい過ぎじゃないだろ」
「ユウヤ君……もう忘れないよ!」
「また機会が合えば商品を見せてくれ」
買ったハンカチを無限クローゼットに入れ、彼は露店を後にした。
また子供の人骨が見つかった。フィービーの話から詳しいことは分からなかったが、これで不運にも魔物や獣に襲われただけという線は消えたと言っていい。
何者かがそれらに襲われたと見せかけた、ローガンから聞いたのと同じ犯人、同じ手口に違いない。
(一刻も早くエビィリンの無事を確かめなければ)
焦る気持ちとは裏腹に未だトニーとチェスターからも一報はない。そしてバリトン夫妻を見つけられないまま一週間が過ぎた頃、ローガンたちの消息が途絶えたのだった。
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