第二話 エビィリン

 大帝国に販売するための食糧を転送するモノトリス王国とのゲートは、王城の敷地内とアルタミール領側の倉庫前を結ぶ。ただしこのゲートをくぐれるのは食糧と荷馬車を除けば、エバンズ商会の会頭とあらかじめ指定された関係者のみとした。


 つまり国王や宰相はもちろんのこと、興味本位や旅行気分の者がレイブンクローに渡ることは出来ないというわけだ。


 当然こちらからモノトリス王国やアルタミラ魔法国に続くゲートを潜れるのも、荷運びに携わる限られた商会関係者のみとされた。

 なお、いずれのゲートも優弥と魔王ティベリアは通ることが出来る。


 季節は六月。日本では梅雨の時期だが、モノトリス王国では春から夏に移り変わるだけの比較的過ごしやすい日が続く。


「なんか週末もこっちで過ごすの久しぶりよね」


「そうですね。ヴアラモ孤児院の子供たち、元気にしてるでしょうか」

「ユウヤ、あんまりサボりすぎてグルール鉱山の皆から忘れられてたんじゃない?」


「サボりがバレて休日出勤させられたポーラさんには言われたくないけど、心配してくれてありがとう。大丈夫だったよ」


 その日シンディーとニコラは完全休日にしたので、ヴアラモ孤児院に向かっているのは優弥とソフィア、それにポーラの三人のみである。


 途中の商店でお菓子やら何やらを買い込んで院に近づくと、元は旅芸人だった一座が芸を披露していた。周囲にはけっこうな人が集まっており、聞いていた通りかなり賑わっているようだ。


「あ! ユウヤおじちゃんだぁ!」


 五歳のエビィリンが彼を見つけて駆け寄ってきたので、それをひょいと持ち上げて抱きかかえる。


「エビィリン、元気にしてたか?」

「うん! おじちゃん、いそがしかったの?」

「まあ、いろいろとな」


「そっかぁ……」

「ん? どうしたんだ?」


「あのね、おじちゃんずっとあいにきてくれなかったから、もうあえないんじゃないかってしんぱいだったの」

「そ、そっか。すまん」


 思わずそのまま連れて帰りたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて小さな体を抱きしめた。


 つい先日リックに言ったばかりの言葉が思い出される。もし一時の感情に流されてエビィリンを引き取ったとしても、果たして彼女をずっと変わらず愛し続けることが出来るのだろうか。


 いずれソフィアとポーラとの間に自分の子供が出来た時のことを考えると、どうしても確固たる自信が持てなかった。


 それは死んだ妻真奈美まなみとの間に生まれた玲香れいかがどれほど愛おしかったかという、その感情を知っていたからに他ならない。


 引き取るのも育てるのも問題ないし、アルタミールの領主邸に連れていけば何不自由ない生活を送らせてやることも出来る。しかしそれは金の面だけでの話であって愛情とは別問題なのだ。


 孤児院に居続けることが彼女にとっての幸せとは言わないが、長い目で見れば自分と暮らすよりは幸せでいられる可能性もある。それにいつかは里親が見つかるかも知れない。


 そんなことを考えていたので、彼はエビィリンの話を聞き逃していた。


「ユウヤおじちゃん、きいてる?」

「悪い、考えごとをしてた。どうした?」

「ううん。いいの」


「ごめんな。お菓子いっぱい買ってきたから皆で食べよう」

「うん! たべるー!」


 そう言って笑った彼女の顔が、何となく寂しそうなのが気がかりだった。


 翌週、この時のエビィリンの様子がどうしようもなく気になっていた彼は、再び一人でヴアラモ孤児院に足を運んだ。ソフィアたち女性陣はアルタミールの領主邸で週末を過ごすために、転送ゲートの向こう側に行っている。


 彼もこの後向こうに行く予定だったが、もしエビィリンが先週同様に元気がなさそうだったら彼女を連れて行こうと考えていた。ところが――


「マチルダ、エビィリンの姿が見えないようなんだけど」


 土産に買ってきた菓子に群がる子供たちから離れて、彼はシスターに声をかけた。


「え? エビィリンからお聞きになられたはずですけど」

「なにを?」


「おかしいですね。ユウヤ様にはちゃんと話したと言っていたのですが……」

「ん?」


「里親さんに引き取られたんですよ」

「は?」


「火曜の夜にお別れ会を開いて……ユウヤ様もお誘いしたとエビィリンが申しておりましたので、お忙しくて来られなかったんだと思ってましたが、まさか……!」

「あの時か!」


 考えごとをしていて聞き漏らした彼女の話は、まさにそのことだったのだろう。思わず忙しいと言った彼に遠慮してわざわざ言い直さなかったに違いない。彼女はとても五歳とは思えないほど聞き分けがいいのだ。

 何と迂闊だったのかと彼は自分の愚かさを呪った。


 里親に引き取られて幸せに暮らせるなら、それは喜ぶべきことである。しかしあれだけ懐いてくれていたエビィリンの新たな旅立ちに立ち会わないなど、彼の中ではあってはならないことだった。


 かと言って今から里親の許を訪れるのは、それこそ言語道断だ。これからたくさんの愛情を注いでくれるであろう里親に対して、あまりにも無神経過ぎる行動だからである。


「里親とはどんな人だったんだ?」

「バリトン様とおっしゃる、とても温厚そうな初老のご夫婦でしたよ」

「そうか」


「なんでも子供さんが独立されて遠くに行かれたとかで。お寂しかったのではないでしょうか」


「エビィリンは孫みたいなものか」

「そうですね。お召し物も上品でしたから、きっと裕福なご家庭ではないかと思います」


「なんにしてもエビィリンが幸せになってくれることを祈るしかないな」

「はい」


 別れは突然にやってくるものだということを、彼は改めて思い知らされた。今回は妻子の時とは違って死別ではない。しかしこちらから会いに行くわけにはいかないので、先週が今生の別れとなった可能性が極めて高いのである。


(エビィリン……どうして教えてくれなかったんだよ)


 彼女との思い出が、まるで走馬灯のように頭の中をよぎっていった。


 初めてビアンカの護衛任務に当たった夜、家に泊めて一緒風呂に入った時のことは今でも鮮明に思い出せる。孤児院に行くと何をしていても、覚束ない足取りでおじちゃんと言って駆け寄ってきた。抱き上げると伝わってくる温もりの記憶は、せることなくしっかりと腕の中に残っている。


(いかんな。幸せになってくれることを祈ろうと思ったばかりじゃないか)


 その夜、彼は領主邸には行かずに、借家の自分の部屋でエビィリンを思い浮かべながら眠りにつくのだった。

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