第七話 トレス商会の若旦那
馬車を離れた優弥は、タニアの花屋が気になったので探してみることにした。人口百万を超えるエイバディーンといえども、花屋の数がそれほど多いとは思えない。
それに彼女はわざわざ遠方から来ているようにも見えなかったので、ぶらついていればそのうち見つかるだろうと考えていたのだ。そして予想は見事に的中。
花屋は馬車を停めてある仕立屋アナベルから少し歩いた先にある、四つ角を右に曲がってすぐのところにあった。
(ベネット生花店、多分ここだろう)
店はこじんまりとした雰囲気で、軒下に飾られている花も数は多くない。ただしきちんと整理されており、手入れが行き届いているのは見ていて気持ちのいいものだった。
「いらっしゃ……貴族様、ようこそお越し下さいました」
やはりこの店で当たりだったようだ。おそらくタニアの母親であろう彼女は、それが母娘と疑いようのないほどよく似ていた。
「ああ、かしこまらないでくれ。普通に客として接してくれればいい」
「ありがとうございます。今日は何かお花をお探しですか?」
「その前に一つ聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「タニアというのはここの娘さんかい?」
「そうですけど……まさかうちの娘がご無礼を!?」
「いやいや、そうじゃないから安心してくれ。彼女に邸に飾る花を届けてもらいたいんだ」
「花を届ける……あの、娘が貴族様に見初められたということでしょうか……?」
「ん?」
「真に申し上げにくいのですが、娘には好いた殿方がおりまして……」
「好いた殿方?」
「はい。相手はトレス商会の若旦那様です」
(残念だったなリック。やっぱり女は分からねえ)
「そうか。うん、それならいいんだ」
「申し訳ございません」
リックの名誉のためにも、ここは自分が見初めたということにしておいた方がいいだろう。彼はそう考えて特に否定はしないでおいた。
ベネット生花店を後にしてから、今度はトレス商会が気になったので探してみる。花屋とは違って商会の場合は探す範囲もそれなりに広くなるはずなので、見つかるかどうかは運次第。しかしどうやら彼はその運に恵まれていたようだ。
十分ほど歩いていると、そこそこ大きな看板を掲げたトレス商会の本店を見つけることが出来たのである。
「いらっしゃいませ、貴族様。当商会にはどのようなご用向きで?」
「店の商品を見せてもらいたいんだが」
「かしこまりました。ご案内は必要でしょうか?」
「そうだな、頼も……あの青年は?」
彼が最初に応対した女性店員に尋ねたのは、店の奥で三人の女性客と談笑している、身なりの整ったイケメンについてだった。客とはいっても一人の貴族令嬢と二人の付き人といった感じである。
「あの方は当商会の若旦那で、ルーク様にございます。お話しをされているお相手はヒューズ子爵家のご令嬢でジャスミン様です」
「ほう」
「若旦那にご用がおありでしたら、失礼ですがご身分を伺ってもよろしいでしょうか」
「うん? なぜだ?」
「ジャスミン様が子爵家のご令嬢ですので、会話を妨げる場合は最低でも子爵位をお持ちでないと不敬と見なされることがごさいます」
「なるほど」
「お二人はご婚約なさったばかりですし」
「いや、構わない。そんな二人の仲を邪魔するような無粋な真似は……今婚約したって言ったか?」
「はい。申しました」
「若旦那は花屋の娘と親しくしているという噂も聞いたのだが?」
「貴族様はお耳が大変よろしいようで。ですがそれは花屋の娘さんが勝手に好意を寄せているだけに過ぎません」
「そ、そうか」
「当商会の若旦那はあのように眉目秀麗な上に人当たりもよいので、想いを寄せる女性も少なくないのです。それに花屋の娘さんでは身分が不釣り合いですし……」
「ん? 若旦那にも爵位が?」
「いえ、ただ若旦那は将来トレス商会を継がれるお方。ジャスミン様とご結婚されればヒューズ子爵閣下が後ろ盾となられますので」
「なるほど。花屋の娘では側室に上がることすら叶わないということか」
「平民と貴族様では生活様式がまるで違いますから、娘さんがかえって苦労することにもなります」
「まるで貴族のような口ぶりだな」
「失礼致しました。ご気分を害されたのならどうかご容赦を。若旦那からも花屋の娘さんには全く気がないと伺っておりましたので」
(喜べリック。チャンスだぞ)
「それであの、お客様のご身分は……?」
「ああ、いや、若旦那に用があるわけではないんだ。だから呼ばなくていいし案内もいらない」
「かしこまりました。それではごゆっくりご覧下さい」
そう言って一礼すると、女性店員は店の奥へと下がっていった。
ペラペラと内情をしゃべってくれたが、自分の勤める商会が子爵家と繋がることを自慢したかったのだろう。優弥の見た目が男爵家か騎士家くらいに見えたのであれば仕方のないことである。
彼女もまさか自慢した相手が伯爵位にあり、この地の領主であることなど想像すらしなかったに違いない。
余談だが、ヒューズ子爵家は土地を持たない法服貴族で、かつてこの地を治めていたヘンダーソン子爵の許で領政に携わっていたに過ぎない。
ただ、現状アルタミールは政治基盤が希薄なため以前の風習が残っており、権威を失ったはずのヒューズ家も貴族家として見られているだけである。領民にとってはどうでもいいこと、というわけだ。
その後彼は店内に並べられた商品を見て回ったが、特にこれといって興味が湧いた物はなかったので、さっさと店を出て馬車に戻るのだった。
ところが、事態は彼が考えるよりずっと大きな問題を抱えていたのである。
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