第六話 馬丁と花屋の娘

 アルタミール領主邸には厩舎があり、馬車馬が四頭飼育されている。その四頭の世話をしているのが馬丁ばていのリックとロイだ。二十歳と十六歳の若い兄弟ではあったが、流行病はやりやまいで命を落とした両親とは幼い頃から馬に慣れ親しんでいたと聞いた。


 もちろんそんな二人は御者も務められる。


 厩舎には他に下働きとして、元々領民だった十歳から十五歳の少年が三人いる。孤児院で育てられていた者たちを、ウォーレンが試験的に雇い入れたそうだ。


 三人は、今は歩いて三十分ほどの距離を毎日通ってきているが、がんばって働けば彼らにも使用人用の部屋が与えられることになっている。さらに働きが認められれば、今後人材が必要となった時に同じ孤児院に求人するとも約束されていた。


 そのため彼らはとにかく真面目に根気強く働いているとのことだ。


 なお、魔王ティベリアが用意してくれた領主邸所有の馬車は二台あり、一台は内装も外装も王族のものかと見紛うほど豪華に飾られたキャビンである。


 かつて港町イエデポリに旅した時のものよりも大きな二頭立てで、おそらく寝ようと思えば十人でも寝られるくらいの広さがあるのではないだろうか。むろん暖が取れる設備も備わっていた。


 もう一台も豪華であることには変わりはなかったが、どちらかというと貴族が普段、街中を移動する時に使うような装いである。つまり内装はともかく外装はそれほど派手ではないということだ。


 もっとも駅馬車や辻馬車に比べたら一目で貴族の馬車と分かるし、六人で乗っても狭いと感じることはない。今日はこちらの馬車で街へ出る。


 ちなみに優弥も含めた六人は、それなりに貴族に見える余所行きの衣装で統一していた。もっとも特に高価な装飾品を身につけているわけではなかったので、せいぜいが騎士家かよくて男爵家と思われる程度だろう。


「今日はリックが御者をやってくれるんだったな」

「は、はい! 旦那様、よろしくお願い致します!」

「そう固くならなくていい」


 そう言って微笑むと優弥は彼の隣、御者台に腰を下ろした。


「あの、旦那様?」


「俺は街に出るのは初めてなんでね。窮屈かも知れないがここで見物させてくれ」

「きゅ、窮屈なんかではありません!」


「皆乗り込んだようだな。それじゃ出発しようか」

「はい!」


 リックが手綱を操ると、馬車がゆっくりと走り始める。それからしばらく世間話などをしているうちに、少しは彼も優弥に慣れたようだ。緊張がほぐれ、自分の話をするくらいにはリラックスしていた。


 程なくして、最初の目的地であるマダム・アナベルが経営する仕立屋アナベルに到着。ソフィアたちによると、エイバディーンで最も有名な貴族御用達ごようたしの店とのことだった。


 当然、一見いちげん客はお断りと思われたのだが――


「あら、ソフィアちゃんにポーラちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、マダム」

「マダム、お久しぶりです」


「えっとソフィア、どういうこと?」


「皆さん、ご領主様のユウヤ・ハセミ様です。粗相があってはなりませんよ」

「「「はい!」」」


「前に飾ってあったドレスがとっても素敵で、見せて頂いた時にうっかり領主邸あそこから来たと言ってしまって……」

「マダムにバレちゃったのよ」

「そうだったのか」


「ご領主様のご意向は伺っております。店の者以外には話したりしませんのでご安心下さい」


「そうか、助かる。それでマダムにこの五人のドレスを二着ずつと、少し仕立てがよくて普段着られるような服を何着か作ってもらいたいんだ」


「さっすがユウヤ!」

「ユウヤさん?」

「「旦那様?」」


「ユウヤ様、私までよろしいのですか?」

「構わないよ」


「かしこまりました。ドレスが全部で十着と、普段着もひとまず十着。採寸してすぐに取りかからせて頂きます」

「いいのか? 他の客とか……」


「ご領主様が税を下げて下さったこと、街の皆さんが大変喜んでおります。ですから何をおいても優先させて頂こうと」

「一年の暫定だぞ」


「それでもです! これまで以上に一年がんばって働いて、減った税収のいくらかでも穴埋め出来ればまた一年、さらにその先も楽になるのではないかとやる気に満ちているのです」


「そ、そうか。うん、やる気があるのはいいことだ」


 他人には無関心の彼でも、さすがにこれは嬉しかった。下げた税率を再び上げるのは、そこに民が納得出来る理由がない限り領政としては愚策である。


 だからよほどのことがなければこの先も増税など考えていなかったのだが、領民が今後もそれを勝ち取っていこうと意欲を燃やしているなら水を差す必要はないだろう。


「ところでマダムは男物も仕立てられるか?」

「もちろん」


「なら俺の分も頼む。来週ちょっと偉い貴族と会う予定があるんだが間に合うかな」


「ではそちらが最優先でよろしいでしょうか」

「ソフィアたちすまん。先に俺を優先させてくれ」


 これに女性陣が同意しないわけがない。彼女たちには皇帝がやってくることは知らせていなかったが、相手は敵対したとは言え帝国のトップだ。身だしなみくらいは整えておくべきだろう。


「それでは時間がありませんので早速採寸を」

「ああ、分かった」


 優弥は自身の採寸を終えると、五人の分は脱いだり着たりだけでも時間がかかるとのことだったので、少し店の外をぶらつくことにした。


 すると馬車を預けていたリックが、若い女性と談笑しているのが見えた。シルバーの長い髪がサラサラと風になびいて、優しげな印象を与える美少女である。


 終わるまで馬車さえ見ていれば自由にしていいと言ってあったので、それ自体を咎めるつもりはない。


 ただリックの様子を見る限り、彼はその女性に好意を抱いているようだった。頬を赤らめて落ち着きがない。一方の女性も何となくではあったが、リックを憎からず思っているように見える。


(しかし女は分からねえからな)


 声をかけようか悩んだが、他に行くとしても知らせておいた方がいいと結論した。


「リック」

「あ、旦那様」


「邪魔してすまない」

「いえ、大丈夫です」


「そちらは知り合いか? よかったら紹介してくれ」

「そんな! 旦那様に紹介するほどの……あ……」


 リックはちょっと抜けているようだ。しかし彼の言い分ももっともである。優弥は彼にしてみれば雲の上の存在に等しい。対して話していた女性はどう見ても平民だ。求められたとはいえ、それを同じく平民の彼が紹介するなど恐縮しても致し方ないだろう。

 ただ――


「リック、そんな風に言ったら彼女に失礼だぞ。お嬢さん、うちの使用人が無礼を言って申し訳ない」

「えっ!? い、いえ、無礼だなんて……」


「言っただろタニア。うちの旦那様はすごくお優しい方だって」

「改めて、紹介してくれないか?」


「はい、旦那様。こちらはタニアと申します。この近くの花屋の娘さんです」

「は、初めまして。タニアと申します」


「ユウヤ・アルタミール・ハセミだ。リックと親しくしてくれてありがとう」

「い、いえ、そんな……!」


「リック、女の子を立たせたままなのはよくないから御者台を使え」

「よろしいのですか!?」


「構わんよ。俺はその辺をぶらついてくる。ソフィアたちもまだだいぶかかるみたいだし、ゆっくりしてるといい」

「あ、ありがとうございます!」


 優弥が立ち去ると、二人は仲良く顔を見合わせてから御者台に上った。それからすぐに会話を再開する様子を見て、彼はそっとその場を離れるのだった。

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