第十四話 断食の夜

 優弥がエバンズ商会会頭のコンラッドに出した条件とは、捕まっているブレント青年の無罪放免と、騎士団の副団長チャーリー・ロビンソンの排除だった。


 彼は商会が騎士団に深く関わっていることを鑑み、大商会の会頭ならそれくらい簡単にやってのけるだろうと確信していたのである。


 そして案の定、会頭は条件を飲んだ。もちろんこの一連のやり取りは互いに口外しないと取り決めた上でである。


 なお、副団長についてはすでに解雇されていた番頭のバーナビー・ハリスとの癒着を理由に逮捕され、騎士団の名誉を汚したとして年が明けてから斬首されることとなった。むろん財産は全て没収で、家族には国外追放が言い渡された。


「えへへ、ユウヤさん、暖かいです」

「皆は寒くないか?」

「六人で毛布にくるまって焚き火まで焚いてるんだから寒いわけないじゃない」


 その日は女神に捧げる日、つまり家の外に座って二十四時間の断食が行われる日である。


 ビアンカを含めた六人は玄関先にふかふかの絨毯を敷き、何枚も重ね着して厚手の毛布にくるまっている。そうして互いに身を寄せ合って寒さに耐えていた。


 というよりこの状況で寒さを感じる方が不思議である。断食の儀式に耐寒は含まれないので、外に出てさえいれば焚き火にあたっていても構わないのだ。


「残念なのは断食だからお芋が焼けないことよね」

「いいじゃないか。これが終われば食べるんだろ」


「そう、あれよ、あれ!」

「私もご一緒させて頂いていいんですか?」

「ビアンカさんはもう私たちの仲間ですから!」

「そうだぞ、ビアンカ。遠慮なんかするな」


 あれというのは、この世界では新年を迎えるのに欠かせない栗ぜんざいのことである。毎年年末に王国が小豆に似た豆と栗を全国民に配り、貧しい者でも甘味を口に出来るようにしているのだ。場所によっては炊き出しで提供される。


 この制度を聞いた時に、初めて優弥は国王に感心した。ただ、そのために小豆と栗の栽培が限られた農家にしか許されていないと聞いて、幻滅したのは言うまでもないだろう。


「ヴアラモの子供たちはどうだった?」

「元気でしたよ」

「旦那様に会いたがってました」


「そうか。年が明けて落ち着いたら菓子でも持っていってやるか」

「それなら新年の王国祭を一緒に回ったらどう?」


「確かに、好きなものを好きなだけ食わせてやるのもいいかも知れないな」

「でも……」


 そこでソフィアが目を伏せた。


「そんな思いをさせても、お祭りが終わったら厳しい現実が待ってるんですよね……」


「ソフィア、人は何のために生きてると思う?」

「何のため、ですか?」

「うん」


「それは……今日よりも明日、明日よりも明後日をよりよく生きるために、でしょうか」

「お! すごい答えが返ってきたな」


「茶化さないで下さい。私はユウヤさんに命を救われましたから、自分がどうして生きているのかはいつも考えているんです」


「悪かった。しかしそれならソフィア、子供たちも同じなんじゃないか?」

「同じ? 何がですか?」


「生きる意味ってとこさ」


 普通に考えれば、孤児院の子供たちに明るい未来が待っているとは思えない。それでも彼らが俯かずに前を見て歩こうとするのは、自分の未来に希望を抱いているからではないだろうか。


「俺の親、特に母親は毒親と呼ばれる人種だった」

「どくおや?」


「子供にとって毒にしかならない親のことさ」


 彼がそれに気づいたのは、社会に出て働くようになってからだった。父親は酒グセが悪いだけで普段はまともだったが、問題は母親の方である。


 当時両親と同居していた彼は、当然のごとく家に金を入れていた。家賃の一部、食費、光熱費などの負担だ。働いて金を得るようになった以上、それに疑いを持つことはなかった。


 ところがある時から母親が金を無心してくるようになる。その額はどんどんエスカレートしていき、とうとう銀行のキャッシュカードを預かって金を管理し、彼には必要な分を小遣いとして渡すと言い始めたのだ。


 母親は簿記の資格を持っおり、それを生かして不動産屋で経理の仕事をしていた時期もあった。だから金の管理をするというのはもっともらしく聞こえたし、彼も家族だからと特に抵抗なくカードを渡したのである。


 それが悪夢の始まりだった。最初こそよかったものの、仕事上の付き合いで必要だからと金を要求した時に、母親がそれを拒んだのである。約束が違うとキャッシュカードの返却を求めたところで渋々金を出しはしたが、それ以来母親に対する不信感は募るばかりだった。


 そして決定的な事実が発覚する。社会に出て一年が過ぎた頃、彼は後に妻となる真奈美まなみと出会い付き合うこととなった。そこで預金額を確認したところ、わずか数万円しか残っていなかったのだ。


 母親は毎月積み立て定期にしていると言っていたが、そちらに残高の記載はない。これを問い詰めると、そんな余裕はなかったと逆ギレする始末だった。


「ユウヤさんのお母さんはお金を何に使ってらしたんですか?」

「ギャンブル、賭け事だよ」


 正確にはパチンコだ。


「そこで俺は親と縁を切ることにしたんだ。父親には今でも悪かったと思ってるけどね」


 このまま実家にいても金をむしり取られるだけで、真奈美との結婚など望めないと確信した。何故なら母親は、付き合い始めたばかりの真奈美にまで金を無心していたことが分かったからだ。


 しかもその手口が悪質極まりなかった。借りるということで金を受け取り、返す段になったら母親から真奈美への小遣いとして渡してほしいと優弥に頼む。彼はそれを単に母親からと言って彼女に渡す。彼女は借金の返済だと思っているから遠慮なく受け取る。


 だが、それを知らない彼は彼女の無遠慮な感覚を疑うようになり、思い切って話を聞いて母親の愚行が判明したというわけだ。


 家を出る決意を固めた彼は、一応キャッシュカードの返却を求めたが当然のごとく拒否された。ただ、その時にはすでに給料の振込先を変更していたので、これ以上金を奪われる心配はなかった。


 そしていざ実家を去る日が訪れた時、謝罪して引き止めるのかと思ったら恩知らずと罵られたのである。


 新しく借りたアパートの初期費用は真奈美に頭を下げて借りた。事情を知っていた彼女は快く応じてくれたが、内心は呆れていたのかも知れない。


 だが彼は、その恩に報いるべく一心不乱に働いた。そうして一人で暮らすようになって、これまで窮屈だった生活が一変したのである。


 決して裕福とは言えなかったが、同僚とランチを楽しむくらいの余裕が出来た。それまでは母親の手作り弁当で済ませていたのである。


 手作り弁当、そう言えば聞こえはいいが中身は毎日おにぎりとお新香、それに卵焼きだけだった。たまに冷食の小さなハンバーグが一つか二つ入っている程度だ。


 少し帰りが遅くなるだけで寄り道するなと送られてくるメールからも解放され、夜は真奈美が来て食事を作ってくれる。アパートは彼女の実家の近くだったから、親を心配させないようにと遅くなる前にちゃんと家まで送り届けた。


「それで彼女のご両親にも気に入ってもらえてね」

「結婚してお子さんも出来て……」


「幸せだったんですね」

「ああ、あの日までは……」


 気がつくと雪が降り始めていた。辺りはシンと静まり返り、断食のせいで王都の喧噪も鳴りを潜めている。


「すまん、暗い話をしたな」

「いいのよ。ユウヤのルーツが少し分かった気がするし」

「そうですね。でもユウヤさん、今は私たちがいますから!」


「ああ。俺も今はソフィアたちが生きる希望だよ」

「わ、私がユウヤさんの生きる希望……!」


「だからさ、絶望しても諦めなければ、きっと未来は拓けるんじゃないかと思うんだ」


「そうね。現にヴアラモ孤児院の子供たちも、ユウヤのお陰で凍えることなく年を越せたんだし」

「よし、明日からの新年の王国祭に誘って大騒ぎしようじゃないか」


「そう思うと……」

「うん? どうした、ポーラ?」

「お腹が空いたわね……」


「ばっ! なぜ今それを言った!?」

「そうですよ、ポーラさん。せっかく忘れてたのに」

「ごめんごめん、あははは…………」


「「「「「「早く栗ぜんざい食べたい!」」」」」」


 断食の夜はこうして更けていくのだった。

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