第八話 クロストバウル枢機卿

 セント・グランダール大聖堂の最上階の一室に通された優弥は、見事な白髪と髭を蓄えた六十歳を超えていると思われる老人の出迎えを受けた。彼の名はクロストバウル・ロザン・ロメロ、ハルモニア神教に数人しかいない枢機卿すうききょうの一人である。


(枢機卿って何番目くらいに偉いんだっけ。猊下げいかって言ってたから相当なんだろうけど……ま、いっか)


 部屋には他に彼を案内してきたボールドウィン司教と、四隅に革鎧を纏った兵士が立っている。


「ようこそ参られた、お若いの。確かユウヤ・ハセミ殿だったか。ささ、遠慮はいらん。座りなさい」

「失礼します」


 彼は一礼すると、枢機卿と低いテーブルを挟んで正面のソファに腰を落とした。普段は偉そうにしている彼も、身分など関係なく自分の父親より年上の相手に対する敬意はそれなりに持っている。最初から突っかかったりはしないのだ。


 もっとも、いかにも敵意ありと感じた相手に対してはその限りではない。


「まずはシスターに非礼があったようじゃの。儂からも謝ろう。どうか許してやってほしい」

「俺は心が広いつもりですから構いませんけどね。いつもあんなんだと信者さんが困るんじゃないですか?」


 ソフィアたちが聞いたら、どの口か言うのかと笑われそうなものである。彼にしてみれば心外の一言に尽きるだろうが。


「ふぉっふぉっふぉっ。ご忠告、痛み入る」

「で、早速ですが、クロス……クロスト……お名前すみません、何でしたっけ?」


「貴様! ロメロ猊下になんという……」

「よいよい、下がっておれ」


 枢機卿は剣の柄に手をかけた兵士を、手を振って制した。


「ああ、ロメロ猊下って呼べばいいですか?」

「クロスで構わんよ。親しい者はバウルと呼ぶがの。猊下もいらん」

「ロメロ猊下!?」


 これにはボールドウィン司教も驚いた表情を見せた。


(おじいちゃん、なんかいい人っぽい感じじゃないか)


「そこのユウヤ殿は鉱山ロードなんじゃろう? 儂のような老いぼれよりよっぽど優秀じゃろうて」

「そんな猊下……」


「それではクロスさんと呼ばせて頂きます。俺のことは呼び捨てで構いません」

「ふぉっふぉっ、そうか。ならばユウヤ、用件を聞かせてもらえるかの」


 バウルと呼ばないのは親しいわけではないからだ。司教が睨んでいたが、彼は気にもとめなかった。


「クロスさんはヴアラモ孤児院というのをご存じですか?」

「ヴアラモ……? はて、あれは確か孤児院ではなく修道院だったはずじゃが……」


「寄付金が集まらないとかで教会に見放されて、その後に残ったシスターが子供たちを育てていると聞きましたよ」

「そんなことがあったのかね?」


 クロストバウルが司教に尋ねると、途端に顔から血の気が引いていた。何か裏がありそうだ。枢機卿もそう覚ったのだろう。それ以上追究するとこもなく、再び優弥に顔を向けた。


「して、そのヴアラモがどうかしたのか?」

「あそこを土地ごと譲ってもらえないかと思いましてね」

「ほう? なぜじゃと聞いても構わんかな?」


 そこで彼は痩せ細ったシスターや子供たちのこと、建物が老朽化して今にも崩れそうなこと、それらを壊して新しい建物を建てようと考えていることなどを話した。


「なるほどのう。しかしそれなら建て直せと言えば済むことではないのか?」

「寄付金が集まらないからと見捨てた教会が応じるとは思えませんから」


「ふむ。では単に建物を建て直す許可を要求するだけで足りそうなものじゃが?」

「それだと俺と教会に繋がりが出来てしまうじゃありませんか」


「問題あるのか?」

「ええ、大いに」


 ボールドウィンに視線を向けただけで、内部が腐敗してそうな教会などには関わりたくないという彼の真意を、クロストバウルは理解したようだった。


「よかろう。ただし、タダというわけにはいかんぞ」

 思わぬ快諾に、司教が目を剥いて驚いている。


「もちろんです。代金もお持ちしました」

 言うと彼はテーブルの上に銀貨を一枚置いた。


「ふぉっふぉっふぉっ! これはよい! ボールドウィン司教よ、あの土地の権利証を持ってこい」

「げ、猊下!?」


「なにをしておる。ボヤボヤするでない。すぐに取りに行け」

「ですが……!」


「いいから行け! それとも儂のめいが聞けぬと申すか!?」


 枢機卿の命令では従わないわけにもいかず、司教は渋々部屋を出ていった。もっとも代金として差し出されたのがたった一枚の銀貨となれば、彼が抵抗したのも無理はないだろう。


「あの土地を銀貨一枚で寄越せとは、ユウヤも底意地が悪いのう」


「ヴアラモ孤児院の件、さっきの司教の顔色から察するに、何か悪さしてるんじゃないですかね」

「うむ。後で調べることにしよう」


 それから権利証を持って戻ってきたボールドウィンは、枢機卿が土地の譲渡に同意する文書をしたためている間中、ずっと優弥を睨み続けていた。しかし受け取る物を受け取ったら用はない。


 彼は早々に立ち上がり、クロストバウルに頭を下げて礼を言ってから部屋を出ようとした。もはや司教の案内は期待出来なかったからである。


「ああ、ユウヤよ、ちょっと待て」

「なにか?」

「これをやろう」


 そう言って枢機卿が懐から取り出したのは、緋色に輝く名刺サイズのプレートだった。そこには祈り姿で慈悲を示す、女神ハルモニアの美しい姿が刻まれている。ウィリアムズ伯爵家が彼の後ろ盾であることを示す金のプレートと同じような意味合いの物だろう。


(あの女神、見た目だけはきれいだったからな。それにしてもよく似てる。俺以外の誰かの夢にでも現れたってことか)


「げ、猊下、それは……!」

「司教は黙っておれ!」

「えっと……?」


「ユウヤよ、次に来る時はこれを見せるがよい。教会の者なら誰であろうと非礼を働く者はおらんはずじゃ」


 彼は後になって知るのだが、プレートは大司教以上の役職者しか持っておらず、中でも緋色は最高位の色だった。ちなみにこの緋色を扱えるのは教皇と枢機卿のみで、次の紫色が大司教と定められている。


 他に彼らが部下や信者に与えるプレートには金銀銅に加え緑や青があり、その功績などによって使い分けされていた。


「信者じゃないのにいいんですか?」

「うむ」


「では、ありがたく頂戴します」

「また来るがよいぞ」

「機会があれば」


 彼は誰にも気づかれないところで権利証の類を無限クローゼットに放り込み、セント・グランダール大聖堂を後にするのだった。

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