第二話 三人の日常

 ロレール亭の女将シモンから家を借り、住み始めてから一カ月が経とうとしていた。


 その一週間ほど前、勇者エリヤ・スミスは王国の精鋭騎士と輸卒ゆそつを合わせた約百人を伴い、魔法国アルタミラに向け出立。


 一方エリヤの抱き合わせで日本から召喚された優弥ゆうやは、これまで人々が魔王に対して恐怖や危険を感じているようには思えなかった。そのため勇者だから異世界定番の魔王討伐に行くのね、いってらっしゃい、程度にしか感じなかったのである。


 ところが大々的に執り行われた勇者出立式の直後から、王都に夜盗が暗躍し始めた。奴らに殺された警備隊員や市民は一人や二人ではない。故に王都では現在、特に女性や子供の不要な夜の外出を控えるよう布令ふれが出されていた。


「まあ、禁止ではないからな」

「そうね。仕事してる人もいるわけだし」


 彼が鉱夫になってからも同様に約一カ月、十月から労働時間が冬シフトとなった。これから半年間は短い拘束時間というわけだ。


 お陰で鉱山から馬車で戻ると一度帰宅してソフィアの無事を確かめ、ポーラの終業時刻に合わせて職業紹介所に彼女を迎えに行く時間が出来た。夜盗だからといって夜だけ警戒すればいいというわけではないだろう。


 先日とうとうレベルが14になり、HP体力などのパラメータが約82万に跳ね上がったのだ。体力があり余っている彼には、このような往復も造作のないことである。そんな二人は帰宅の途に就いた。


 ところで優弥は同居しているのだから、互いに名前を呼び捨てにしようと提案した。加えて敬語も使う必要はないと言ったのだが、さすがにソフィアは慣れないようだ。


「育ちの差かね」

「なんか言った?」

「気楽でいいって言ったのさ」


 ポーラはバリバリのタメ口である。


「ソフィアはどうしてた?」


「編み物してたみたいだけど慌てて隠してたから、俺かポーラになんか編んでくれてるんじゃないかな。出来れば気づかないフリしてやってくれ」

「そういうところには気が回るのね」


「何だよ、そういうところって」

「べっつにぃー」


「最近多くないか?」

「何が?」

「そうやってはぐらかすこと!」


「誰かさんが朴念仁ぼくねんじんだからじゃない?」

(おいおい、その言い方だとまるで俺がソフィアの好意に気づいてないってことじゃないか)


 もちろん彼は『朴念仁』という単語が意味するところを知っている。ラノベやアニメでよく見かけていたからだ。しかし周囲で親しくしている女性はソフィアとポーラくらいしかいない。


 それとも気づかないところ、例えば職業紹介所の女性職員に憎からず想われているということだろうか。だとしたら是非誰なのかを知りたい。


 彼は切実にそう思ったが、仮に当たっていたとしてもポーラが素直に教えてくれるとは思えなかった。これもラノベやアニメではお約束である。


「買い物には行ってくれたみたいだな」

「だいぶよくなったものね」


「まだ外では杖は手放せないだろうけど、治りが早いのは若いからかな」

「確かに、家の中ではもう杖は使ってなかったわね」


「たまに掴まられたりはするけど」

「そう? 私は記憶にないわ」

「ポーラが頼りないからじゃないか?」

「失礼ね! 小柄でスレンダーで可愛いと言いなさいよ!」


「小柄でスレンダーで可愛いからじゃないかぁ?」

「棒読みで言われてもねぇ」

「言えって言うから言ってやったのに」


 ただし、彼は心の中では彼女を可愛いと思っていた。


「それにしても、ありがとうね」

「うん? 何がだ?」


「こうしてわざわざ迎えに来てくれることよ。例の夜盗のせいだとは分かってるけど」

「君に一秒でも早く会いたかったからさ、と言えばいいのかな?」


「本心なら……気持ち悪いわね」

「ひっでぇなぁ」


「うふふ。でも感謝してるのは本当よ」

「当然だろ。家族なんだから」

「か、家族!?」

「同じ家に住んでるんだから家族だろ」


「あ、そういう……ね、それ、ソフィアにも言ってあげたら?」

「うん? どれ?」

「家族ってとこ!」


「ああ、何度か言ってるぞ。俺の考え方として血の繋がりとか関係なしに、同じ家に住んでいる以上は家族だからって」


 近くにいるということは非常に重要な事実なのだ。ソフィアにとってはたとえ実際はいたとしても、顔も知らないアスレア帝国の親戚などいないも同然。頼れるのは身近にいる彼やポーラなのである。


「だから家族。間違っちゃいないだろ?」

「ちょっと違うと思うけど、私もその考え方には賛成よ」


 夏場と違って辺りはそろそろ暗くなり始めていた。ポーラが優弥の袖をつまむ。彼はそれに気づいたが、振りほどくような真似はしない。


「ちょっと寒くなってきたし、今夜はユウヤのシチューが食べたいわね」

「ソフィアが材料を揃えていたはずだから作れると思うよ」


「やった! 私ユウヤのシチュー、大好き!」

「ユウヤ大好き! って言ってみ」

「ユウヤのシチュー大好き!」


「ポーラさんのシチューは肉抜きに決定しました」

「ユウヤぁ、すぅきっ!」

「ウインクがあざといからシチューも抜きです」


「もう! ユウヤのいじわるぅ! じゃユウヤは私とソフィア抜きね! 一人で晩ごはん食べなさい。私たちは部屋で食べるから」


「ポーラさん、大盛りでどうぞ」

「うむ、よきにはからえ」


 そんな話をしていたら、いつの間にか家に着いていたようだ。玄関の前にソフィアがひょっこり現れたので二人とも驚いてしまった。


「やあ、ソフィア、ただいま」

「お帰りなさい、ユウヤさん」

「ソフィア、ただいま」


「ポーラさんも。ところで二人とも!」

「「はい?」」


「私抜きってなんですか?」

「あ、それはその……」


「ご飯は理由がない限り三人で一緒にって決まりだったはずですよ。それなのに私を除け者にするなんてあんまりです!」


「ち、違う違う! ソフィア、それは誤解だから」

「本当ですか?」

「「ホントホント!」」


「ならよかったです。今夜はユウヤさんがシチューを作ってくれるんでしたっけ。楽しみです」

「「ん?」」


 優弥とポーラが互いに顔を見合わせる。そのくだりから聞いていたのなら、ソフィアが仲間外れにされるとの解釈には至らないはずだ。


 だが彼らに背を向けたソフィアが、ペロッと舌を出していたのに二人が気づくことはなかった。

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