第十話 生きる目的

「手形にはすでに鉱夫たちのサインもされていたから、どこへ持っていっても換金出来ちまう。クソッたれがぁっ!!」


 午前中のうちに、優弥ゆうやたちはソフィアを連れてトマム鉱山を出立する予定だった。トーマスは朝までに渡すべき手形や見舞金やらを用意しておくと言っていたそうだ。


 ところがいざ約束の時間になってイーサンが事務所を訪ねると、昨夜見せられた手形などの一切がなくなっており、トーマス自身の姿も消えていたという。念のため辺りを探してみたが、鉱夫の一人が夜更けに出ていく彼を見たらしい。


 なぜ止めなかったのかと鉱夫を問い詰めてみたものの、酒でも買いに行くのだろうくらいにしか思わなかったし、そんなことは日常茶飯事とのことだった。イーサンはそれ以上、鉱夫を責めることが出来なかったそうだ。


「ひどい……!」


 渡されたばかりの両親の遺髪を握りしめ、ソフィアがポロポロと涙をこぼしている。


「ダニエル、馬でグランダールに向かってくれないか」

「管理局と紹介所に報せればいいんだな?」

「奴が手形を換金する前に止められればいいんだが……」


「バカ正直にそんなところには持っていかないんじゃないか? 他にも換金出来るところはあるんだろ?」


 優弥は鉱山管理局や職業紹介所のような公共機関でなくとも、いわゆる金券ショップ的なところがあるのではないかと考えた。


 そればかりではない。違法な換金業者もいるかも知れないのだ。

(異世界あるあるだし……って、日本にもいるか)


「そうだな。しかしとにかく通報は必要だ。ダニエル、もし運良く途中でトーマスの野郎を見つけたら……」


「五体満足にはしておかねえさ!」

「頼んだ!」

「おう!」


 こういう時の世紀末やんちゃお兄さんは頼もしい。


 それはともかくとして、頼みの綱だった収入を失ったソフィアが心配だった。彼は元々彼女の足の怪我が治るまで、一時的にロレール亭に宿を取って面倒を見ようと思っていた。しかし宿代については手形の換金が済むまで立て替えるだけのつもりだったのだ。


 それが返ってこないとなると、立て替えるのも難しくなる。冷たいかも知れないが、昨日今日知り合っただけの相手だし、この先の生活まで面倒を見る義理はないということだ。


 だが――


 分かっている。そう頭では分かっていても、彼はどうしてもソフィアを見捨てる気にはなれなかった。彼女は家族を失って失意のどん底にあり、怪我で思うように動けない上に収入もなくなってしまったのだ。


 もちろんトーマスが捕まって手形を取り返せれば多くの問題は解決する。しかしローガンの口ぶりではあまり期待出来そうにないとのことだった。


 しかも持ち逃げされたことには同情してもらえるが、結局手形がなければどこの公共機関も金を出してはくれないそうだ。


 無くしたとか盗まれたとか脅し取られたとか、そんな理由で手形なしに金を出していたら、二重取りし放題になってしまうというのが理由だった。分からないでもない。


 オンライン化が進んだ日本でさえ、給付金などを二重取りする悪人はいるのだ。システムが脆弱だからと言えばそれまでだが、この世界にはそのオンラインシステム自体が存在しない。


 キャッシュカードもATMもない時代、銀行から預金を引き出すには通帳と印鑑を持って窓口に並ばなければならなかった。通帳がなければいくら本人であると証明出来ても、基本的に現金を引き出すことが出来なかったのである。


 それと全く同じとまでは言わないが、要はそういうことだ。


(しかしなあ、境遇が同じなんだよなあ)


 手元に残っている金は王国から受け取った金貨十九枚とちょっと。これは彼が慎ましやかに生活して一年間生きられるかどうかの額で、無収入のままロレール亭に停まり続ければ数カ月で底を突く。加えて必要なのは宿代だけではない。


 そこにソフィアまで養うとなるとすぐに生活は破綻してしまうだろう。だがグルール鉱山での仕事が決まった今ならなんとかなるはずだ。いっそ宿屋暮らしをやめ、家を借りて住むという手もある。


「なあソフィアさん、宛てがないなら一人で生きていけるようになるまでの間だけでも俺と暮らさないか?」

「え……?」


「俺は事情があって天涯孤独の身だ。家族を災害で失っているから君の気持ちも分かる。昨日会ったばかりだけど境遇が同じだからさ、放っておけないんだよ」

「ユウヤさん……」


「もちろん下心はないから安心して、と言っても信じられないかも知れないけど……」


「いえ、そんなことはないんですけど……いいんですか? 私、お金もなくなっちゃいましたし、この足ですからすぐに働けませんよ」

「見れば分かるさ。その上で言ってる」


「ありがとうございます。あの、それならお言葉に……甘えてもいいですか?」

「ああ、構わないよ」


「実はもう体を売るしかないと諦めていたところでした。それならいっそ死んでしまおうかとも……本当に……本当にありがとうございます」


 そう言って涙を流す彼女を見て、優弥はようやく自分にも生きる目的が出来たと感じるのだった。



◆◇◆◇



「崩れるぞーっ!」

「皆、逃げろっ!!」


「ソフィア、出口に走って!」

「ここを出るんだ!」


「荷物は!?」

「クッ! 父さんが取ってくる。お前たちは先に逃げなさい!」


 ソフィアの言葉で父のケビンは荷物が置いてある坑道の奥へと引き返した。しかしその直後、直径二メートルはあろうかという大岩がケビンを襲う。娘は父親が岩の直撃を受け、無残にも押し潰される光景を目の当たりにして泣き叫んだ。


「お父さん!! いやぁぁぁぁぁっ!!」


 砂埃が巻き上がり、崩落の波は逃げ惑う十数名の鉱夫たちを容赦なく飲み込んでいく。


 残されたソフィアと母親のローラが助かるには、坑道の出口までの残り約十メートルを走らなければならない。しかし突然の父親の死で気が動転していた彼女は、体が硬直して動けずにいた。


 崩落はすぐ傍まで近づいている。あの広かった空間は、すでに半分以上が岩で埋め尽くされていた。


 その様子にローラは嫌な予感を感じる。そしてふと頭上を見上げると、まさに大きな岩が娘に直撃コースで落下を始めるところだったのだ。


「ソフィア!」

「えっ!?」


 ローラが決死の覚悟で娘を突き飛ばす。次の瞬間、大岩が彼女を頭から押し潰していた。


 ぐにゃりと不自然に曲がった母の首。彼女に突き飛ばされて咄嗟に振り向いたソフィアの目には、まるでスローモーションのような悪夢が映っていた。


「お母さん!? お母さん!! あぁぁぁっ!!」




「おい、大丈夫か?」

「あ、あ……」


 優弥が見張りの時、ソフィアが何かにうなされていたので肩を揺すって起こした。


「私が……私が荷物なんて言わなかったら……」

「……」

「お父さん……お母さん……」


 彼は何度もそう呟いて泣き続ける彼女に、かける言葉を見つけられないでいた。

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