第九話 前を向いて

「お父さん……お父さんは? お母さんはどこ!?」


 ローガンたちは現場責任者のトーマスから、亡くなった鉱夫たちの分も含めて給金の手形と見舞金を取り立ててくると息巻いて出ていった。ついでに二、三発はぶん殴ってくるような勢いだ。


 ちなみに手形は公共機関ならどこでも換金出来るそうだ。


「君のご両親も坑道で作業をしてたのかい?」

「はい! お父さんとお母さんはどこですか!?」

「ご両親の名前を聞かせてくれるかな?」


「父はケビン、母はローラです! どこにいますか? 無事なんですよね?」


 鉱夫たちは万一に備えて作業着に名前を縫いつけている。崩落事故などに遭えば顔が潰れて判別がつかなくなることも少なくないからだ。


 そして、坑道から運び出された遺体の中には、確かに二人の名が縫いつけられた作業着を着ている者がいた。つまり目の前の少女はソフィア。ロレール亭の女将から聞いていた娘である。


 別嬪と言っていたが確かに美少女だ。今は事故の直後とあって憔悴しきった表情で生気もないが、ダークブラウンの髪は肩甲骨の辺りまであり、長い睫毛と翡翠色の大きな瞳にはあどけなさも残っている。


 輪郭はきれいな卵形で、顎のラインも美しく首は細い。決して大きくないが柔らかそうな唇は、見る者を虜にするのに十分な色気が感じられた。


 そんな彼女の両親は頭上から巨大な岩が落ちてきたようで、頭が胸にめり込む無残な遺体と化していた。さすがにあれを見せるわけにはいかないだろう。そもそも2人が助からなかったことを伝えるべきなのだろうか。


 彼の悩みはその場にいたローガンたちも感じているようだった。


「お父さんとお母さんに会わせて下さい!」

「いや、それは……」

「お願い、会わせて……会わせて下さい……」


 だが、ソフィアは知っていた。あの事故の時、父親は荷物を取りに引き返して大きな岩の下敷きになっていた。母親は頭上から落下してくる巨大な岩に気づいて、彼女が巻き込まれないように突き飛ばしたのである。


 振り返りざまに見た下敷きになる両親の姿は、まるでスローモーションのようだった。


「やっぱり……死んじゃったんですね……」

「ソフィアさん……」


 生き埋め。鉱山での生き埋めはまず助からない。だから崩落の予兆を感じたらすぐに逃げる、というのが鉱夫の鉄則だった。


「あの時、私が荷物なんて言わなければ……」


 しかし今回の崩落は一瞬、無事に逃げられた者がいたとは考えにくい。むしろわずかに出来た岩の隙間に嵌まって潰されなかった、彼女の生存こそが奇跡としか言いようがないだろう。


 最愛の家族を災害で失った優弥には、彼女の気持ちが痛いほど分かる。信じられない、信じたくないという思いと、それが事実であることを受け入れざるを得ない苦しみは、心など簡単に引き裂いてしまうのだ。


「君に生きてほしいというご両親の気持ちを無駄にしてはいけないよ」


 きっと真奈美も玲香も、彼が投げやりで自死を選んだと知ったら嘆くはずだ。


「俺も大切な家族を失った過去がある。だから君の気持ちは誰よりも分かるつもりだ。辛くて辛くてどうしようもないだろうし、時が癒してくれるなんて簡単に言うつもりもない。だけどさ、結局前を向くしかないんだよ」

「今は……前なんて向けません」


「分かってる。何年かかろうと、ご両親はずっと見守っていてくれるはずだよ」

「お父さん……お母さん……」


 深い愛情を注がれて育てられてきたのだということがありありと見てとれる。しかし、もうその家族はいないのだ。


「ところで辛い時に申し訳ないんだけど、誰か頼れる親戚とかはいる?」


「……いません。父も母も隣のアスレア帝国からの移民ですが、私は二人がモノトリスに移り住んだ後に生まれたんです。ですから帝国にならいるかも知れませんが、親戚がいるとは聞かされてませんし会ったこともありません」

「どこから通ってたの?」


「ここから歩いて三十分ほどのところにあるコロダという村の宿です」


 さすがに今夜は事故直後ということで、それなりの人数が夜通しで残るだろう。しかしローガンからは、荒くれ者が多い鉱山の治安はあまりよくないと聞いている。たとえ医務室といえども、若い女の子を置き去りにするのは危険極まりないそうだ。


 だから本人が嫌ではないなら、明日にも馬車に乗せてグランダールに連れ帰ろうと話していたところだった。


「そっか。そこに帰るなら送るけど、どうしたい?」

「帰っても何もありません……」

「荷物は?」


「着替えくらいです。でも宿に置いていても盗まれてしまうので、いつも持ち歩いてました」


 作業場の片隅に置いて仕事をするのが一般的なのだと言う。つまり崩落事故は、そんなわずかな持ち物までも奪ってしまったのだ。


「俺たちは明日グランダールに帰るけど、ついてくる気はあるかい? ここにいるよりはマシだと思うよ」

「連れていって下さるのですか?」

「もちろん。着いたら医者に診てもらおう」

「でもお金が……」


「それなら心配ない。さっきローガン、俺の仲間から聞いたんだけど、事故による怪我の治療費は王国が負担してくれるそうだよ。それに今日まで働いた分の給金と見舞金も払わせるって言ってた。もちろん、お父さんとお母さんの分もだ」

「お父さん……お母さん……」


「すまない、また思い出させちゃったか」


「いえ、こちこそすみません。ありがとうございます。お金の心配はないということですね」

「うん。だから安心して……痛みはあるだろうけど今夜はゆっくり休むといいよ」

「分かりました」


 この後ローガンたちと話し合い、不埒者が彼女に危害を加えないように今夜は交代で見張りをすることになった。


 しかし翌朝、イーサンの叫びで寝ていた者も叩き起こされる。


「あの野郎、逃げやがった!」

 現金や手形の一切を持って、昨夜の内にトーマスが姿を消してしまったというのだ。

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