第六話 トマム鉱山へ

 優弥ゆうやには一つ分かったことがあった。それはSTR力強さについてだが、この途轍もないパラメータは意識しないと発動しないということである。つまり、うっかりドアノブを握り潰してしまったり、壁をぶち抜いてしまったりということがないのだ。


 しかし意識して小石を握りしめたら、一瞬で砂粒と化してしまったのには引くしかなかった。


 ちなみに現在の彼のレベルは12に上がりHP体力、STR、DEF防御力とも20万を超えている。だが、次のレベルまでは三万歩が必要なようで、大人しくしていれば数日はレベルアップしそうになかった。


 とは言えすでに常人の約四百倍のパラメータである。これ以上増えたら人としての何かを失ってしまいそうだ。彼は極力無駄に歩かないようにしようと心に誓うのだった。


「あ、ユウヤ様!」


 ポーラに言われた通り初めて職業紹介所を訪れてから二日後、彼は再び彼女を訪ねた。ところが自分の名を呼ばれたので手を挙げてカウンターに向かおうとしたところで、彼女が血相を変えて飛び出してきたのである。


「あれ? もしかして不採用だった?」


 二日前は自信満々にまず不採用はないと彼女は言っていた。それが思わぬ結果になって動転しているのかも知れないと、彼は努めて明るく声をかけたのだが――


「大変なんです! 鉱山で崩落事故が!」

「崩落事故!? グルールで?」


「いえ、ここから馬車で丸一日かかる先にあるトマム鉱山です! あ、ユウヤ様は採用です」

(呑気に言ってる場合かよ。まあ、採用なら一安心か)


 それにしても、確かに言われてみると紹介所内が何やら騒がしい。ここに来る途中も兵士が慌ただしく走っていくのを見かけたが、理由は崩落事故だったようだ。


「怪我人はいるのか?」

「鉱夫十数名が生き埋めになっているそうです!」

「災難だな」


「それで救助に向かえる人を集めているのですが……」

「分かった、手を貸そう」

「本当ですか!?」


「発生はいつ?」

「一昨日のお昼頃だそうです」


「今は朝の十時だからもうすぐ丸二日……残りは二十四時間とちょっとか」

「何ですか、それ?」


「災害の発生から七十二時間を過ぎると、遭難した人の生存率が急激に低下するんだよ。水が飲めればかなり延びるけど、坑道に生き埋めじゃ飲み水なんてないだろうし」

「えっ!?」


「しかしそれも怪我をしていないか、あるいは軽傷であることが条件だ。暑かったり寒かったりしても状況は変わる。悠長に人を集めている時間なんてないってことさ。行ける人はすぐに行った方がいい」


「分かりました! 所長に伝えてきます!」

「俺は兵隊さんに伝えてくるぜ!」

「俺たちはすぐに向かおう!」


 彼の話に聞き耳を立てていた者たちが一斉に行動を始める。誰も他人事とは思っていないようだ。優弥はそれが何となく心に響いた。


 妻の真奈美まなみと娘の玲香れいかが災害に遭った時、果たしてどれだけの人が手を差し伸べようとしてくれただろうか。多くの犠牲が日本中を悲しみに陥れたあの災害では、他人のことを思いやれる者などいなかったかも知れない。


 たとえいたとしても二人は生きて帰ってこられなかったのだから、今さら考えても詮無いことと分かってはいるのだが。


(くよくよ嘆いている時ではないか)


 気を取り直して彼は無限クローゼットに水樽を放り込む。紹介所の備蓄用のようだが、救助のためなら文句は言われないだろう。生存者がいれば飲み水を与えるだけで生還出来る確率が飛躍的に上がるはずだ。しかしどうやらこの世界にはそれを知る者は少ないかいないらしい。


 グルール鉱山までなら走れば一時間もかからないが、現場はここから馬車で丸一日かかるトマム鉱山だ。しかも途中に馬を換えられるような町や村はなく、道のりが険しいため人の足で夜通し進むことも不可能とのこと。


 馬車、出来れば馬で走るのが最善だが、残念ながら彼には乗馬の経験が皆無だった。かと言って誰かの後ろに乗せてもらうというのも気が引ける。


(馬車しかないか。出来れば小型で速そうな馬車があればいいけど……)

「おーい、さっき七十二時間がどうとか言ってたの、アンタだよな?」


 声に振り向くと、幌のない荷馬車の荷台から手を振る上半身裸の男たちの姿が見えた。乗っているのは四人だが、全員腕や背中に刺青を彫った、見た目は世紀末っぽいやんちゃなお兄さんたちだ。ただ、その刺青の趣味がなんとも言えなかった。


「この馬車なら明日の朝早くにトマムに着けると思うが、乗ってくかい?」

「いいのか?」

「いいぜ! 人の命がかかってるんだからな!」

「助かる。優弥だ」


「俺はローガン。両肩に薔薇の刺青を入れてるのがイーサンで、背中に飛び立つ鳩の大群がダニエル。ワイアットの背中には本人は天使つってるが、ありゃただの幼女だな」


 当のローガンの両腕と背中にはマンガ肉が彫られている。


「よ、よろしく……」

「「「おうっ!」」」


 聞けばこの馬車は通常よりも速く走れるらしい。しかし途中には険しい山道もあるため、短縮出来てもほんの数時間だそうだ。

 ちなみに徒歩だと二日がかりの行程になるとのこと。


「あ、ちょっと停まってくれないか?」

「どうした?」

「いや、宿に今夜は帰らないと伝えておきたくてさ」


 ロレール亭の看板が見えたところで思い出した。伝えないと今夜の夕食用の食材が無駄になってしまう。一刻を争う状況なのは重々理解していたが、身近な相手を蔑ろにしていい理由にはならないだろう。


「なんだってぇ!」


 ところが女将のシモンは優弥から崩落事故のことを聞いて絶句していた。聞けば少し前に泊まっていた客の中にトマム鉱山に行った者がいるとのことだ。


「両親と娘の親子三人さ。家族で働いて金貯めて王都に家を買うんだって張り切ってた。その娘さんがえらく別嬪さんだったから覚えてるんだよ。名前は確かソ、ソフィ……ソフィア! ソフィアって言ってたね。父親はケビン、母親はローラだったと思う」


「きっと無事さ。それより明日も帰れないかも知れないから、帰るまで食事は用意しなくていいよ。それじゃ」

「待ちな! ほら、持っていきな!」


 言うとシモンは何やら膨らんだ紙袋を彼に押しつけた。


「これは?」

「昼時用に焼いたパンだよ」

「ああ、昼に売るやつか。いいのかい?」


「パンなんかいくらでも焼けるからね。それよりトマムまでは二日がかりって言うじゃないか」

「あ、いや、早足の馬車で行くから明日の朝早くに着くらしいよ」


「そうかい。早く着くなら越したことはないね。いいから持ってお行き」

「ありがとう。それじゃ行ってくる」

「ああ、気をつけるんだよ」


 馬車に戻ってからパンを見せると、ローガンたちは朝食がまだだったようで大喜びで頬張り始めた。その様子に笑ってしまい、もしかしたら事故も大した被害はないのかも知れないとさえ思えてくる。


 だが、彼はすっかり忘れていたのだ。それは鉱夫十数名が生き埋めになっているという事実だった。

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