刑期満了

「やっと明日、刑期満了だね!やったじゃん!」


 昼食時、食堂の椅子に我が物顔で隣に腰を下ろしてきたのは、囚人服に似つかわしくない笑顔を浮かべる如月きさらぎ寧々ねねだった。


 地毛だと聞いた茶髪を高くまとめ上げ揺れる長い髪は、こんな所に留置されているにも拘らず清潔そうに見える。大きく綺麗な二重の瞳は爛々らんらんと輝いており、純真という単語をそのまま体現したかの様だった。小柄な体型も相まって未成年にも見える少女だ。


「そういう寧々だって、明日で刑期満了なんだろ?」


 じろりと隣に腰を下ろした寧々を見上げる青年は天野井あまのい幸樹こうき

 亡霊の様な色白い肌と何にも興味を持てない様な暗い三白眼が静かに寧々を見つめている。

 聞いたぞ、と付け足す言葉は至って平坦な声音で、とりわけ皿に転がる数粒の錠剤を指で突く。がやがやと賑わう囚人達の食堂ではごくあり触れた会話のひとつに過ぎなかった。


「そうなの!いやあ、仲良くなれた幸樹くんと一緒に出所できるなんてめちゃくちゃ強運の持ち主だなあ、私!」


 腰に手をあげて、誇らしげな表情で鼻高々な寧々に幸樹は呆れた様にため息をつく。「強運なら、こんなトコ入ってくんなっての」「えぇ〜〜」頬をりすの様に膨らます寧々を気にする事なく幸樹は配給された錠剤を2、3粒飲み込んだ。


 寧々と幸樹がいる此処は日本のたいして、大きくもないこじんまりした刑務所だった。


 罪状、刑期、性別、それぞれ異なる人間が一箇所に収集されている此処は世間では“人生の墓場”とも言われる生涯の汚点集合所だ。

 医療技術が発展し、老いが急激に勢いをなくし、寿命が延びに延びたこの世界での刑期は昔とは比べ物にならず、一桁から二桁まで又は死刑、無期懲役があった世の中の時間という概念を崩壊へと導いた。

 これが幸か不幸か、刑期が三桁を超えることは自然の摂理だった。


 近代技術への前進、現代技術からの進歩、と嬉々として騒がれる外の世界から切り離された一角は腐臭と汚泥にまみれて息をしていた。


 こんな泥中に咲く蓮の様に輝く笑顔で、まるで“卒業だね”と苦楽を共にしてきた同級生の様に語りかけてくる寧々に幸樹は阿呆かと突っぱねたくなる。


「あっ、そうだ!明日、折角一緒に出所する訳だし、そのまま美味しいもの食べに行こうよ!こんなモルモットみたいな囚人食じゃなくて、ふわっふわであまっあまな〜」


「行かないに決まってるでしょ、一人で行きなよ」

「なんでなんで!行こうよ行こうよー!!」


 駄々っ子の様に寧々は幸樹の腕を掴み、親に玩具を強請る子どもの様に左右に揺らす。がくがくと揺れる視界を気にする事なく空いている手で残りの錠剤を飲み込んでしまおうと幸樹が思った矢先だった。


「静かにしなさい、G -21064!」

「うるせえぞ、寧々!」


 幸樹とはまた違う男の怒声が二つ重なった。


「わ、看守さんに、名取くん…」

 驚いた様に肩を跳ね、声がした方を順番に恐る恐る見上げた寧々に鋭い視線が突き刺さる。カツカツ靴の音を鳴らして寧々に近づいてくる看守にもう一人の怒号の正体、名取なとり誠哉せいやが寧々との距離を遮った。

筋肉質な体と鋭い眼光。この三人の中の誰よりも犯罪者らしく、暴力を武器に生きてきた様な容姿だった。


「なんですか?W –40865」

「食事中だ。こいつにとっちゃあ、最後の飯だ。……俺からも強く言っとくから見逃してくれや」


 寧々に向いていた鋭い視線は、次に名取に向かい、爪先から髪の毛までなぶられる様に睨みつけると「ふん」と看守は鼻で笑った。


「……良いでしょう。この擁護で貴方の刑期が伸びない事を祈りますよ、W–40865」

「……うっす」


 看守は痩せこけた頬に薄紫の唇を吊り上げ、下品に微笑む。名取は目を合わす事はなかったが小さく頷いた。

 看守は再び、寧々と名取を睨みつけると気に入らないと態度で表すように先程よりも高く強く踵を鳴らして持ち場へと戻っていった。

 そして完全に持ち場に戻ると三人は一気に脱力した様に溜息をついた。


「はあー、もう何してんだよ寧々」幸樹は安堵の息をついて寧々をこずいた。

「ご、ごめん……」申し訳なさそうにまつ毛を伏せる寧々に名取は乱暴な手つきで頭を撫でる。

「まっ、食事中は話して良いって決まりがある癖に、癇に障ると鞭打ってくる横暴野郎共だ。気にすんな」


 緊張の糸が切れた様に話し出す三人に空気が割れた様にひりついていた食堂がまたも小枝から幹に伝わる様に賑わい出した。その空気に次第に当てられたのか寧々は「うん」と大きく頷いた。


「じゃあ、名取くんが出所したら皆んなで美味しいもの食べに行こうよ!」

「懲りないなお前……」


先程の記憶を何処かに追い遣ってしまったかの様に元気な物言いになった寧々に思わず幸樹は苦笑した。

名取は一瞬何を言われているのかわからないという様に戸惑った表情をしたが、やがて嬉しそうに八重歯を見せる。


「ああ、約束だ」


勿論、幸樹もだからな。他人事の様にその様子を眺めていた幸樹を指差した名取はしばらく視線を彷徨わせたが穴が開くほど見つめる二人の気迫に負け、諦めた様に肩を落とした。



「わかったよ、もう」

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