第21話 橘の孝之、八百比丘尼の雪月と共に市場に向かうのこと。

 孝之と雪月が牛車の中であれこれと相談してると、いつの間にか市場に辿り着き、牛車の中にいる二人に随身を務めている老爺が話しかけてきた。


「旦那様方。お命じの通り、市場いちばに着きましてございます」


「おうそうか。ご苦労だったな、爺さん」


 そう言いながら牛車から降りた孝之は、袖口の中から取り出した金を随身の老爺に放り投げた。

 随身の老爺が危うげなくそれを掴み取るのを見て、孝之はケラケラと笑いながら話しかけた。


「俺らは暫くここらで買い物してくるから、爺さんもそれで飯食ってこいよ。その代わり、帰りも気張ってくれよ?」


 孝之の言葉に、随身の老爺は、へぇ。と力なく頷くと、如何にも腹の底の見えない無表情なまま、孝之から手渡された金を持って、のそのそと何処かに消えて行った。


「……随分と羽振りの良い真似をするじゃないかねい。それで私の酒を買う金が無くなってんじゃないだろうねい?」


「あ?じゃ逆に聞くけど、お前は俺の懐が痛まない程度の酒の量で、満足してくれるのかよ?」


「ああ、それは絶対ないね。人の金で酒飲む時は、相手の懐事情を考えないで飲むのがうまいからねい」


 孝之からの指摘に、雪月は即答で返した。

 余りにもあっさりと返された答えに、孝之は思わず半目になって雪月を睨みつけるが、そんな孝之に対して、雪月はどこ吹く風とばかりに見つめ返すだけだった。

 そんな雪月に、孝之は深々と溜息を吐いた。


「……お前がそんな奴だってのは、知っていた事だが、だからと言ってそこまで開き直られると、流石に腹立つぞ。……まぁ、とにかくお前がそう言う態度なんだから、どっちみち酒屋の代金はツケになるぜ」


「だったら、はなから金など持ってない方が良いってことかい?随分と合理的だねい。ま、ちゃんと酒買ってくれるんってんなら、私は文句はないねい」


 そう言うと雪月は、琵琶袋にしまった琵琶を背負って、さっさと市場に向かい始めた。

 そんな雪月の背を追って、孝之も市場に足を踏み入れることになった。


 市場に入るなり、ふらふらと酒の匂いに吸い寄せられる様に、雪月は市場の酒屋を行ったり来たりしており、高い酒やら旬の食材やらを買い漁っていた。

 孝之はそんな雪月の金使いの荒さに辟易としながらツケを頼みこんでいたが、時折り、誰かに見張られているような気がして、孝之は何度か背後を振り返った。

 すると、そんな孝之の視線に隠れる様に、何人かの人影が身を隠す姿が見えた。


「……旦那。随身と早目に目をつけられたようだねい。どうやら、恨みを買いやすいお人なんだねい」


 孝之が後をつける人影を睨みつけていると、手に酒やら鮭の干し肉やらを手にした雪月が声をかけてきた。

 余りにも遠慮なく酒やら食い物やらを買い込んでいる雪月の姿に、孝之は「締まらねえ姿だな」と、苦笑しながら呟くと、肩を竦めて雪月の言い分に頷いた。


「全く、闇討ちなどと言わずに今すぐにでも囲みこみゃいいものをよ。しかも、碌な奴を雇ってねえと見える。この距離で刺客の数も練度もおおよその数が見当付くって段階でたかの知れた連中だ。……俺の首も安く見られたもんだ」


「確かにねい。それで?どうするつもりだねい。こっちから打って出るって言うんなら、私の方もそれなりに準備はあるから、助け舟を出してもいいよ?」


 雪月からの提案に、孝之は、はっ。と、短く鼻で笑い飛ばした。


「どうもしねぇよ。向かって来るなら迎え撃つ。それ以外ねぇだろ。あの程度の雑魚ども、追っかけて殺すのも面倒だ」


 そう言うと、孝之はそろそろ帰ろうと、牛車を停めている場所に向かい始めた。

 すると、そんな孝之に雪月は鋭い静止の声を上げた。


「まだ私は、食い足りないんだがねい。酒もまだまだ買い足りないねい!」


「……そうかよ、じゃ好きにしろ」


 孝之は、幾つもの酒の入った壺を片手に胸を張る雪月に、言い返す言葉もなくそう言った。

 そんな孝之に雪月は喜色満面の笑みで頷くと、すぐさまその場で踵を返して、足早になって、再びその場を離れ始めた。


 するとその時だった。


 雪月、と鋭い声でその後ろ姿を制した孝之は、きょとんとした顔で振り向いた彼女に、顎でしゃくってその場を離れる様に指示を出した。


「……雪月ゆづき。そこから三歩ほど、右に動け」


 孝之はそう言うと、袖口から一本の扇子を取り出し、ほんの僅かにそれを広げた。

 そうして、雪月からわずかに離れた距離から雪月を睨みつけていた孝之は、広げた扇子を雪月に向けて


 孝之の手から放たれた扇子は、まるで燕の様に滑空して、雪月の頬を掠めると、その背後から迫っていた一人の男の顔にぶち当たった。


 男の顔にぶち当たった扇子は勢いよく弾かれて、そのまま孝之の足元に戻り、扇子をぶち当てられた男はその場にもんどり打って転げ回った。

 情けない声を上げながらその場に転がる男を見下ろして、雪月は感嘆の声を上げると、孝之に少し気まずそうな笑みを浮かべた。


「……とりあえずはお見事と言っておくがねい。私はちょいと、この調子だから、力にはなれそうも無いねい。旦那一人でどうにかしてくれるかい?」


「端から荒事に人の手を借りるつもりはねぇよ。とにかく、お前は酒を奪われ無い様に隠れてな」


「そうさせてもろうとするかねい」


 雪月がそう言ったその時だった。


 孝之と雪月の二人を取り囲む様に、手に刀を握りしめた数人の人影が現れた。












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