橘流の、橘の孝之

第20話 橘の孝之、八百比丘尼の雪月と共に市場に向かうのこと。


 参内を終えた孝之は、帰りの牛車に揺られながら屋敷に向かいながら、孝之は牛車の中に身を横たえた。


「正直、冷や冷やしたが、結果的にはお前を内裏に連れて正解だったな。とりあえず、借金がどうにかできる当てができたのはホッとしたよ」


「そう褒められると照れるねい。そんなに褒めてくれるんだったら、名酒の一本か二本を私にくれても良いんだよ」


 琵琶を奏でる雪月を見ながら溜め息を吐いた。

 調子に乗ってそう語る雪月に、孝之は苦笑を滲ませながらも、珍しく雪月の言葉に頷いた。


「今日ばかりは好きにしろよ。酒樽一杯分位なら、お釣りが来るぜ」


「太っ腹な事を言ってくれるじゃないかねい。じゃあ早速、市場の方に向かってくれないかい。今時なら、牡蠣が旬だった筈だねい。ついでに鰹も戻り鰹があるかもしれないし、しめじも店に並ぶ頃合いだった筈だねい」


 分かりやすく食い意地を見せる雪月の様子に、孝之は苦笑すると牛車の手綱を取る隋身ずいじんに市場に寄る様に言いつけた。

 すると、随身の老爺は何を考えているのかも分からない無表情のまま、仰せの通りに。と言うと、牛車の手綱を牽いて進行方向を変えたー

 牛車が市場に向かい始めたのを確認すると、思わずボヤいた。


「しっかし、あれだな。本当に内裏の人間はケチ臭いな。道比等の爺さんがやると言ってる事にも、あれこれ言って反対とはな。殿上人ってのは、揃いも揃って貧乏性なのかね?」


 すると、孝之のボヤキを聞いた雪月は、琵琶の音を止めて孝之に苦笑した。


「ああ。あれは単なる小芝居さ。私に突っかかったのは、恐らくは道比等のお付きか何かだろうねい。道比等が何か決めたら、反対するのが役目なんだろうねい」


 そんな雪月の解説に、孝之は思わず半目になって鼻を鳴らした。


「お付きなのに反対するのが役目なのかよ?」


「何事も、とりあえず反対するのが朝廷の流儀だからねい。下手に今までと違うことをすれば、後で揚げ足取られて、思いも寄らぬ皺寄せを喰らうからねい」


 そう言って雪月が説明したのは、朝廷の政治と言うやつだった。

 つまりは、朝廷とは極端な前例主義で動いており、例え個人の事情と言え、内裏で意見を述べ、その意見の意見の通りに動くと言うことは、それが前例になる。

 前例の通りに動く以上、一度前例を作って仕舞えばそれを動かす事はほぼできないと言って良い。

 その為、前例を作るためには、想定できる反対意見を予め出させて、その反対意見に賛同する者の数を見て、その反対意見を取り込むなりなんなりする。

 そうすれば、後から実はこう思っていた、という意見を潰すことができる。

 そうする為にこそ、敢えて反対意見を述べる人間が必要とされる。

 そう言う理屈であった。


 孝之からすれば、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 この理屈で言えば、口から吐いた言葉の全てが、本気なのかも出まかせなのかも分からない。

 これでは、道比等ならずとも、朝廷の誰を後ろ盾にしようとも信用できるものではない。

 信用も信頼もできない人間を相手に、一切の身命を委ねようというのは、正気の沙汰とは思えなかった。

 何より、これからそんな場所であれこれと働かねばならないと言うのが、孝之にとって恐ろしいことこの上なかった。


 そのことを雪月に話すと、雪月は苦笑しながら、そこで今まで鳴らしていた琵琶の音を止めた。


「全く、旦那は鈍いんだか、鋭いんだか本当にわからないねい。確かに、今回の道比等のやり口はどう考えても、旦那を切り捨てるつもり前提の行動だったとは思うがねい」


 そう言った雪月は、そこで寝転がる孝之に手を指刺した。


「それよりも、これからは旦那は自分の身辺の方に注意した方が良いねい」


「俺の身辺?」


「ああ。旦那はこれから、仮にも皇室の守護を担当する近衛を務める事になる。つまりは、朝廷でそれなりに立場のある身になった訳だ。これまで以上に、厄介ごとに巻き込まれる事になるはずだねい。恐らくは、旦那を嵌めようとした連中だけじゃない、闇討ちを仕掛けてくる奴らまで増えると思われるねい」


 雪月のその指摘に対して、孝之は起き上がる事もなく、耳元を掻くと、


「闇討ちねぇ」


とだけ呟いた。






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