第19話 八百比丘尼の雪月、道比等に頼み事を述べるの事。

 雪月の見事な琴の腕前と、呪禁の腕前を見た道比等は、感嘆の息を吐いた。


「これは、これは……。見事である。自ら申し出るほどの琵琶の腕前に、呪禁まじないの腕も立ち、宮中の機微も心得ておられる。ただの遊女ではないな?どこの家の出だ?」


 そう雪月に話しかけた道比等の目には、既に侮りの色は無かった。

 琵琶を弾く前と打って変わり、すっかりと一人前の貴族を相手にするかの様な口調となった道比等に対して、雪月は先ほどから口許に浮かべている薄い笑みを崩す事なく再び頭を下げた。


「芸の道に入った時より、生まれた家とは縁が切れておりますれば、それを口にするのは憚れます」


「なるほどのう……。遊女の道に入り、女だてらに陰陽法師の真似事までするか……。生中な事ではなかったろう。気に入った。何か一つ望みを叶えてやろうではないか。何でも言うてみるが良いぞ」


 そう言った道比等の口調は、これまでのどこか厳しい老人のものではなく、どこか無頓着なガキ大将の様な無邪気な口調だった。

 すると、そんな道比等に対して、雪月は頭を下げたまま、静かに言い返した。


「ならば、摂政殿にどうしてもお頼み申し上げたい事がございます。是非ともにお聞きいただきたくございます」


 道比等を前にして、深々と頭を下げて願いを聞いてほしいと言う雪月に、この白い髭で顔が覆われている老貴族は興味深そうに首を縦に振った。


「ほう。言うてみよ。叶えてつかわす。無論、儂が叶えられる範囲でだが。こう言わねば、日を西から昇らせろだの、死者を蘇らせろだの、無茶を言う奴がおるでのう」


 軽く笑いながら道比等はそう言うと、それを聞いた雪月は、されば。と言って、と口火を切って頭を上げた。


「私がお力を添えさせて頂く橘の孝之様は、主上にお仕えなされるよりも以前から、検非違使の官職に籍を置き、身を粉にするが如く、様々な務めを果たして参りました。されど、ここに来て滝面の武士という重要な任に就くに当たって、多大な借金を背負い頭を抱えております。にも関わらず、滝面の武士には禄も出ず、金を返す当てもございません」


 立板に水を流すが如く、雪月は淀みなくそう言うと、わざとらしく目元に袖を当てて、如何にも縁起臭い泣きっぷりを見せた。

 そんな雪月の芝居臭い様子を見て、道比等は広げた扇を閉じると、その扇の先端を雪月のかおにむけた。


「ほう。それで、儂にいかんせよと申すのだ?」


「私も多くは望みません。ただ、私の仕える孝之殿を哀れと思うのならば、どうぞ何かの俸禄は孝之殿にご下賜いただきたく存じます。それが私の望みにございます」


 雪月がそう言ったその時だった。

 周囲で雪月の提言を聞いていた殿上人の一人が声を上げた。


「ならぬぞ!滝面の武士は本来、この葦和で数ある官職の中でも特に誉れある役目!それ故に、無私無欲を以て、見返りを求めぬのが慣例である!その役目を金に換えようなどとは、主上に対する無礼であるぞ!」


「私の頼みが無礼であるのは、重々承知しております。しかし、それでは余りに、主上の慈悲を感じられませぬ」


其方そなた、主上を愚弄するか?!口にして良いことと悪い事があるぞ!!」


 雪月の言葉に、突っかかってきた殿上人が思わず声を荒らげた。

 しかし雪月は、そんな殿上人を前にして、涼しい顔で返した。


「これは余りに異なことを申されますな。私は主上の慈悲を感じられぬ。と申し上げたまで。主上に慈悲の心がないと申した訳ではござりませぬ」


「詭弁を弄すな!言い方を変えれば、言っていることの意味が変わる訳ではないぞ!


「では、お聞きしとうございます。こちらに座す橘の孝之殿は、先ほど申し上げた通り、この葦和の為、ひいては主上の為に尽くされました。しかし、滝面の武士への任官に当たっては、命は懸けろ、金は払わぬ、務めを果たすは当然で、しくじれば首は晒す。と朝廷は命じられた。これを、自らの暮らしを犠牲にして主上に仕えた報いと言うのでしょうか?これのどこに、主上の慈悲を感じられると言うのでしょう」


「ふざけるな!それでは主上が悪辣な君主とでも言うつもりか?!口が過ぎるにも程があるぞ!」


「それは、私の申す事が正しいという事でございますか?」


 その鋭い返しに、雪月に突っかかった殿上人は、何?と、言って黙り込んだ。


「言い方を変えれば、言っている内容が変わるわけではない。と申したのは、そちらの方でございますよね?であれば、私の申すことに、不備や不義があるのであれば、それを正すのが先にございます。それをせぬと言う事は、遠回しに私の言うことは正しい、と。つまりは、孝之殿に俸禄も与えずに官職につけるのは間違っている、とそうお認めになられたも同然と言うことでございましょう?」


 雪月からの指摘に、雪月に突っかかっていた殿上人のみならず、その場にいた全ての殿上人も一様に黙り込んだ。

 そんな中、雪月は畳み掛けるように、突っかかった殿上人に話しかけるように、朗々と訴えた。


「そうではないと思うのでしたら、まずはこの橘の孝之様に対して、どうぞ奉公への報いをご下賜くださいませ。主上の慈悲は見せる様に、平に頼みとうございます」


 紫宸殿の中で、訴え終わった雪月が深く頭を下げると、紫宸殿に沈黙が降りた。

 すると、今まで黙り込んでいた道比等はくく、と声を漏らしながら肩を震わせると、不意に弾かれた様に大きく笑い声を上げた。

 やがて笑い終えた道比等は、目元の涙を拭いながら、雪月たちに向き直った。


「諦めろ、実弘さねひろ。其方の負けだ。この遊女殿の弁舌にはお前では勝てぬ。横紙破りにはなるが、遊女殿の望み通り、ここは俸禄を用意するのが筋だろう」


 道比等からの言葉を聞き、雪月に突っかかった殿上人は、はい。と、しょげ返った様子で答えた。


「とは言え、すぐに用意できるものでもない。金を動かすとなれば、煩いことが多いからな。一先ず、此度の出仕にかかった費用だけを今すぐ用立てるからして、まずはそれで当座を凌いでくれ」


「御意に」


 道比等からの要望に雪月が頭を下げたままそう答えると、道比等は思い出したように再び孝之の方を見た。


「それと、滝面の武士となったからには、その実力の程を見せてもらいたい。孝之殿には、儂の邸に一度来てもらう。期日は、追って伝えるから、その指示に従うように。では、二人とも下がって良いぞ」


 道比等のその言葉で、二人は紫宸殿を後にした。

 こうして、孝之と雪月は参内を終えると、紫宸殿を出てそのまま帰り道に着いた。










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 3月15日に18話と共に一部修正しました。

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