第22話 橘の孝之、闇討ちに遭うのこと。


 雪月と共に人影に取り囲まれた孝之は、足元に落ちている扇子を拾ってそれを閉じると、それを刀の代わりに人影に向けて構えた。

 いつもならば、腰に刺しているはずの刀も、今は参内の為に用意していない。

 それがここに来て祟った形になるが、孝之はさして焦った様子も見せずに、静かに雪月に話しかけた。


「……雪月、逃げ隠れする前に一つ聞いておきたいんだが、良いか?」


 孝之からの問いかけに、雪月はなんだねい?と短く返した。


「……こいつら、皆殺しか、生捕りか、どっちが良い?」


「……なるだけ、殺しておいた方が良いと思うねい。……多分、それが慈悲って奴だねい」


 雪月の言葉に、孝之はやはりか。とだけ返した時だった。


 孝之たちを取り囲んでいた人影は一斉に襲い掛かり、雪月は咄嗟にその場を逃げ出し、それを視界の端で確認しながら孝之は手にした扇子を振るった。

 

 襲いかかって来る人影の刀を交わしながら、その顔面を扇子で強く打ち据えると、今度は閉じた扇子の骨組みで挟む様にして、相手の刀を奪刀するなりその首を刎ねた。


 途端に、周囲には悲鳴と絶叫が響き渡り、周囲の人間は孝之たちからの被害を避けようとその場から逃げ出し始めた。

 検非違使を呼び出すように喚き出す声も聞こえたので、すぐにでも検非違使の一党が駆けつけるだろう。

 そんな中、刀と扇子の二刀流となった孝之は、自分を取り囲む人影の数を数えると、孝之は手にした刀の血を振るい落としながら、声を上げた。


「今斬った男を含めて、八人、か……。とりあえず忠告するぞ?今すぐケツ捲って逃げちまえ。よしんば俺を殺せたとして、お前らには何も良いことはねぇ。ここで俺に殺されるか、俺を殺せと言われた奴らに殺されるだけだ。だから、逃げちまえよ」


 しかし、孝之の忠告に対して、人影たちは何も言わず、ただ手にした刀を大きく振りかぶりながら襲い掛かった。


 孝之は襲い掛かる一人目の人影を袈裟斬りに切り捨てると、襲い掛かる二人目の人影を胴薙にした。

 そのまま、三人、四人と。殆ど相手と刀の刃を合わせるまでもなく、まるで、泥の人形を打ち崩す様に切り捨てていくと、最後に一人だけが残った。


 孝之は刀から血が流れるまま、その切っ先を生き残った最後の一人に向けると、言った。


「……そのなりからして、お前はまだガキだろう?見逃してやる。失せな」 


 最後に残った人影は、小柄で痩せこけた体躯をした、身なりのボロい子供だった。


 薄汚れた着物に、草鞋も履いていないボロボロの素足から、恐らくは孤児なのだろう。

 無造作に伸ばした灰色にくすんだ髪の所為で表情や顔つきは分からないが、病気なのか怪我をしているのか、額に薄汚れた包帯を巻いている事だけは分かった。

 手にした刀も、その痩せこけた体で握っているのを見ると、相対的に大振りのものに見えてしまうほどだ。


 だが、そんな孝之からの忠告が癇に障ったのだろう。

 

「うるせぇ!俺はガキじゃねえ!!」


 そう叫ぶや否や、孝之の前に立つ子供は、手にした刀を振り回して孝之に襲い掛かった。


 孝之は呆れ返りながらも咄嗟に、子供が手にした刀を弾き飛ばそうと無造作に刀を振るった。

 だが、意外にも孝之からの一撃を喰らった子供は、半ば吹き飛ばされる様に後ろに下がりながらも刀は手放さず、そのまま孝之に向けて再度手にした刀を振りかぶった。

 孝之は咄嗟に手に持つ刀を峰打ちに持ち帰ると、今度こそ子供の手にした刀を弾き飛ばすと、勢いよく刀の峰で子供の頭を叩きその場に気絶させた。


 荒事が全て終わる頃、検非違使の連中が十数人ほどの群れとなって馬に乗って駆けつけてきた。

 そんな検非違使の一党を見据えた孝之は、手にした刀を放り捨てながら鼻を鳴らした。


「……随分とお早いお着きだな。俺が居た頃とは大きな違いだ」


「これはこれは……。この度、滝面の武士に昇格されたと聞くが、貴殿であったか。橘の孝之殿。して、これは一体何が起こったのか、ご説明はいただけるのでしょうか?」


 検非違使たちの先頭で、馬に乗っていた検非違使の一人は、孝之の前で下馬すると、そう言って頭を下げた。

 孝之はそんな検非違使の男に肩を竦めると、扇子で肩を叩きながら、さあな。と答えた。


「とりあえず、闇討ちかけられた。俺を襲った人数は九だが、生き残りは今足元に転がるこいつしかいねえ。それ以上は答えようがない」


 孝之は足元で意識を失っている子供を見下ろしながらそう言った。

 その説明を聞いた検非違使の男は、そこでふむ。と、顎に手をやった。


「では、その子供に聞くより他はありませんな。その子をこちらに引き渡してもらっても、よろしいですか?」


 そう言うと検非違使の男は、孝之の足元に伸びている子供に向かって視線を落とし、残りの検非違使の人間たちも孝之を取り囲み始めた。

 だが、孝之は検非違使を率いる男の前に立つと、検非違使たちを制するように左手を前に突き出した。


「いや、悪いがそのガキの身元は俺が預かる。あんたらは全員、死体の後始末と身元の取り調べだけしてくれないか?こいつに関しては、俺が引き受ける」


「……それは了承しかねますな。貴方も検非違使の官職に籍を置いた身ならば、それがどれほどの横紙破りか分からない訳でもありますまい?」


 検非違使を率いる男からの言葉に、孝之は頷きながらも、足元の子供の前から動こうとしなかった。


「アンタらの職務も、俺のやってることが非常識だと言うことも、重々理解している。その上で、そこの節を曲げて俺にこのガキを任せてくれないかと言っている。……こっちにも色々と事情があってね、検非違使任せにはできねえんだ」


「なりませんな。法を守るのが検非違使であり、法を曲げる訳にはいきませぬ」


 検非違使を率いる男は孝之の頼みをそう切って捨てたが、それでも孝之は検非違使を率いる男の前に立ちはだかり続けた。


「先程俺は、滝面の武士への任官を正式に受諾した。位階についてはともかく、官職の上ではお前らよりも上だ。位階についても、すぐにでも沙汰があるはずだ」


 孝之からの言葉を聞き、今まで訝しげな表情を浮かべていた検非違使の男は、明確に孝之を睨みつけた。


「……良いでしょう。そこまで仰っられるのならば、ここは引き下がりましょう。ですが、断っておきますが、位階も官職も、そうそう振り回して良いものではないぞ。今後も似たようなことをするのであれば、私はお前を敵視する」


「ああ、分かってるよ。恩に着る。今日のことは貸しにしとくよ」


「結構だ。それよりも、その子供を連れてさっさと消えてくれ」


 検非違使を率いる男はそう言うと、部下を連れて死体の後始末を始めた。


 そんな検非違使を尻目に、孝之は足元に転がっている子供を担ぎ上げると、言われた通りその場を後にした。








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