宮使えの、橘の孝之

第15話 橘の孝之、再びの参内。


 孝之が滝面の武士になると決めた翌日。

 簀巻きに巻いた雪月が、起きるなり大騒ぎを起こす中、孝之は宇治原の道比等に滝面の武士になる旨の返事を送り、その間に任官を受ける為の準備を行なっていた。

 

 準備の為に一通り都中を駆け回った孝之の最後の仕事が、木簡に纏めた人員の目録作りである。

 準備の大詰めとして慣れない書類仕事に手をつけた孝之は、頭を掻きながら、文机の前で大きく溜め息を吐いた。


「なんで、こんな面倒くさいことしなきゃいけねぇんだか……」


 そもそも、朝廷からの任官というのは、引き受けたからそれで直ぐに官職に就く。と言うものではない。


 そもそも、以前孝之が内裏に出向いた時と同様に、朝廷に行くだけでも相応の準備と支度、そして手順がある。

 実際に孝之は、以前朝廷に招かれただけでも、相応の借金をしたのだ。


 今後、正式に仕官すると言う事であれば、以前の様に呼ばれたから出て行ったという訳にはいかない。


 まずは、任官を引き受ける旨を兵衛府に届ける。

 それからは正式な沙汰があるまで、自邸にて待機となる。

 待機している間に、必要なものを取り揃え、必要な人員を確保する。

 朝廷からの使者は、関係各所を通して孝之からの返事を道比等に通すまで、およそ三日ほどかかる。

 その沙汰待ちの間に、孝之は朝廷に上がる為に必要な人員や資材を集めねばならない。

 そうして集めた人員の目録を作り、それを内裏の人間に報告する。

 その後、内裏へと出仕し、目録の内容と違いがないかを確かめた後に、正式に参内が許される。


 当然ながら、出仕するまでの間、確保した人員には給与を与えねばならないが、その間にかかる費用は孝之持ちだ。

 余りにも理不尽な様に見えるが、これは本来、滝面の武士に任じられる人間が、それだけ金に恵まれた者だけで構成されていると言う事である。


 そして、それだけの金がかかっても、基本的には滝面の武士は無給で務めるものとされる。


 これは建前の上では、皇室に仕える者はそれだけで名誉な事であり、ましてや近衛に連なる滝面の武士は、貴族に置いても任じられるのは最高の名誉とされるからた。

 それ故に私心を滅し、私利私欲を捨てる為に、滝面の武士に任じられる者は、無給で務めるようになった。とされる。


 だが、この建前にはカラクリがある。

 実際のところ、滝面の武士に任じられる際には、貴族としての位階が大きく上げられる。

 その位階は、最低でも正六位。場合によっては正四位を務めるほどの高位である。

 正六位ともなれば、これは地方の領主を務めるには足りるだけの位階であり、実際、滝面の武士に任官された者は領国の運営を兼任される事が多い。

 兼任とは言え、一国の国主を務めるともなれば、その分、金なり物なり女なりは好きに出来る。

 故に、滝面の武士に任じられた者は、表向きは無給と言う事になっているのだ。

 だが、一国の国主を任されると言う事は、そもそもそれ以前から領国の経営に携わっていたり、一族が相応に強い政治基盤・経済基盤を持っていると言う事である。


 しかし、孝之にはそんなものなどあろうはずもなく、元の職務が無給ともなれば、給与の前借りなど望める訳もない。

 当然のことながら、孝之は再び借金を背負うことになった。


 それも、二度目の借金ということで、ただでさえ限界ギリギリの見栄を、更に一段低いところで張らなくてはいけないことになり、礼服やら牛車やら使用人やら、見るからに方々でかき集めたのが分かる見るからに珍妙な寄せ集めができた。


 そうした寄せ集めの目録を作るために文机の上に木簡を広げていた孝之は、そこで最後に一つ残った問題に頭を抱えんでいた。


「後は、陰陽師をどうするかだな。あれを雇うの高けぇんだよなぁ。しかも野良の奴もそんな簡単に掴まらねぇし。いつまでも抱えてはおけねぇしなあ」


 孝之がそう言って、墨を含んだ筆を文机の上に放り投げたその時だった。

 今まで拗ねて屋敷に引きこもっていたはずの雪月がどこからともなく現れ、ニヤニヤと笑いながら孝之に話しかけてきた。


「どうやらお困りの様だねい。私が一つ良い知恵を貸してやろうかねい?」


「あ?今更出て来て、何を企んでやがる?」


「企むだなんて、それだと私が何か旦那を相手に何か恨みでも持っているみたいな言い方じゃないかい。それとも、そんなことに心当たりがあるのかい?」


 余りにも胡散臭い笑みを浮かべながら話しかける雪月に、思わず孝之が胡乱な表情を見せると、雪月は心外そうに鼻を鳴らして孝之に胸を張った。


「何だい?その顔は?とりあえずだねい、旦那が私を相手にこれから先、『雪月様、二度と貴方に逆らいません』と、血に這いつくばって乞い願えば、」


「よし、聞く価値無いな。とりあえず、お前は飯時まで黙ってろ」


「冗談だよう。そんなに怒らなくたって良いじゃないかねい」


 思わぬほどに冷たい対応を取られ、逆に慌てて孝之を宥めた。

 そうして、雪月は孝之が意見を聞く気になったのを見ると、軽く咳払いをして自分の胸に手を当てた。


「知恵というほどでもないがねい、私を連れて行けば良いねい。これでも、仏道、遁甲、巫覡に占術と、呪禁の道にはそれなりに通じているからねい。そこらの陰陽法師共より余程当てになると、言い切れるねい」


「……それは本当に大丈夫なのか?陰陽法師と言えば、葦和の中でも庶民貴族を問わずに才ある人間がかき集められた、大学出の学者ばかりと聞くぞ?ちょっと呪いに詳しい妖怪女が出向いて、それで何とかなるのかよ?」


「逆に聞くがねい、他に当てはあるのかい?」


 そう言われてしまえばぐうの音も出ない。実際、陰陽法師について言えば、内裏によって任命された陰陽博士以外には、そこまで厳密な定義はない。

 ある程度その道に詳しければ、それで陰陽法師として認められる。

 極論を言えば、陰陽法師と名乗れば、それが陰陽法師である。 

 そう言う意味では、確かに雪月が孝之の陰陽法師となるのは、なにも問題はない。


 しかし、それはそれで別の問題が発生する。

 孝之は、胸を張る雪月に対して、その問題を口にして、訊ねた。


「確かにお前が陰陽法師となるのは、なにも問題はない。だが、滝面の武士のお抱えともなれば、それ相応に内裏に出向く必要がある。内裏に女が入るって事は、基本的には禁じられていたはずだ。そこら辺を無視して内裏にお前を入れたらどうなるか分からねぇぞ?」


 基本的に、内裏に女性が足を踏み入れる事ができる機会は、大きく分けて二つの場合だけだ。


 一つ目が、後宮に仕える女官として取り立てられるか。

 二つ目が、御帝みかどめかけとして目をかけられるか。


 それ以外の要件で女性が足を踏み入れるのは、基本的には禁忌とされている。

 その事を孝之は雪月に指摘したが、孝之からの疑問に対して、雪月はどこか孝之を揶揄うような笑みを浮かべた。


「内裏に女性が入る事は禁じられているってのは、正確なところじゃないねい。あくまでも慣習として、足を踏み入れる事は避けられるだけさねい。理由と建前が有れば、女が内裏に入ったところで何も問題はありやしないねい。……もっとも、あたりは強いだろうが、そこら辺は全部旦那におっ被せるから、大丈夫だねい」

 

 そう言って笑う雪月に、孝之は思わずおい!と強い声を上げるが、そんな孝之相手に雪月は何か問題があるかい?と訊き返すだけだった。

 一瞬、その態度に言い返そうと口を開きかけた孝之だったが、よくよく考えてみれば、以前、内裏で大暴れした以上、今更小さな事をあれこれあげつらうのもおかしな話だと思い直し、大きな溜め息を吐いた。


「……分かった。そこまで言うなら、お前が好きな様にやれ。この際、後は野となれ山となれだ」


 孝之がそう言うと、雪月はそこでふと、決まり悪そうに頬を描くと、孝之に改まった様子で話しかけた。


「まあ、大丈夫とは言いつつも、一つだけ条件があるんだがねい。その条件、飲んでくれるかねい?」










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