第14話 橘の孝之、任官を受けるのこと。

 滝面の武士になれ。そう言われた孝之の顔は、それはそれはひどいものだった。


「……ここまで見事な渋面作るお人は初めて見たよ。そんなに滝面の武士になるのが嫌かい?」


 雪月の率直な質問に、孝之は心底から嫌そうな顔をしつつ鼻を鳴らした。


「嫌も何も、そんなの虎の口の中に頭を突っ込むような事じゃないか。そもそもが俺に無理難題を吹っかけてきた奴らだぞ。みすみす殺されに行けと言われて、納得できるかよ」


 孝之の素直な感想に、雪月はけらけらと楽しそうに笑い声を上げると、不意に目元だけを細めて、値踏みをする様に孝之を睨めつけた。


「……確かに、旦那の気持ちは分からんでもないがねい。ただ、だったらどうするねい?このまま放って、吹っかけてきた奴らに唯々諾々と付き合うのかい?言っておくが、宮中の奴らは強い奴らには滅法弱いが、弱いと見たら容赦は無いよ。旦那の血を啜り尽くして、利用できるだけ利用して、用が終われば。首切りさ」


 自らの首筋に人差し指を当て、そっと横に引く雪月の姿に、孝之は笑いもせずに視線を外すと、力なく言い返した。


「随分と宮廷の事に詳しいんだな?俺よりよっぽど貴族に向いているぜ?」


「嫌味にしては随分とキレがないねい?閨で聞いたかどうかを聞けるなら、寝技で落とした男の人数位聞いたら良いだろう?それか、男の口を開かせる為の女の口の使い方とかねい?まぁ、そんな事はどうでもいいがねい、私としちゃあ、旦那が死なない為には、策を立てる必要がある。策を立てる為には情報がいる。情報を得る為には、朝廷に潜り込む必要がある。そう言う話だねい」


 肩をすくめながらそう言う雪月に、孝之は暫くの間腕組みをして考え込み、ふと思いついた事を口にした。


「なあ、今からでも帝室の人間に橘家の家宝を差し出したら良いんじゃないか?そうしたら、滝面の武士にならなくても、何とか情報を集められるんじゃないか?」


 すると、孝之の提案を聞いた雪月は、弾けた様に笑い声を上げると、目元の涙を拭いながら孝之の提案を跳ね除けた。


「冗談にしては、随分と体を張ったことを言うねい。そんなことしたら、殺されるに決まってるだろう?」


「何でそんな事が言えるんだよ。要は朝廷の内部を探れれば良いんだろう?だったら、家の名器を差し出せば、それで俺のことを見逃すんじゃないか?」


 思わず口を尖らせながら反論する孝之に、雪月は手にした筆で空中をなぞりながら

しょうがなさそうに首を振った。


「そもそも事情が事情だからねい。摂政の道比等は、斎王を殺してその罪を着せる人間として旦那を選んだんだ。元から橘の旦那を殺して、その家宝を接収するのも計画の内だろうさ。だから旦那が最初に帝室に三名器を献上しなかったことはむしろ正しい判断だったと言えるねい。多分だけど、そんなことしてたんなら、とっくの昔に首を刎ねられていたねい」


「そうなのか?どっちみち、俺には宝の持ち腐れだから、どうしたものかと思ってたし、羅城門でお前から聞いた時には良い手だと思ったんだが」


「噂に名高い、天下の三名器、売れば相応に悪目立ちするし、適当に誰かにやろうものなら、妙な噂を呼ぶだけだからねい。きっと、旦那に張り付いている監視の目が厳しくなっただろうし、逃げるのにもなおさら苦労することになったろうねい」


 思わず意外そうな顔をする孝之に、雪月はちっちっと言いながら筆を横に振った。


「恐らく、無闇に家宝を差し出せば、それが最後。それこそ今度こそ回避不能の無理難題を突き付けられ、打ち首にされるかもしれないねい。もしくは、斎王殺害の計画を知ったことで、闇討ちにされることもありうるよ」


「闇討ちねぇ……。俺の首にそこまでするほどの価値があるとは思えねぇが」


「そうだねい。それは同意するねい」


「あ?お前、そりゃどう言う意味だ?」


 自分のボヤキに平然と同意する雪月に、孝之は思わず荒らげた声をあげると、雪月は心底から楽しそうに笑い声を上げた。


「そう怒らないでも良いだろう?別に、悪口を言ってる訳じゃないからねい。そもそも、闇討ちの価値がないってのは、言い方を変えるなら、死ぬだけで損を与えるってことさ。例えば、自分の部下だからって平然と殺したり捨てたりする奴の事を信じられる訳ないだろう?それと同じさねい。下手に殺せば傷がつく。だから殺す価値は無い。そう言うことさねい」


「……まぁ、理屈はわかるし、別に殺される価値なんざ欲しくも無いが、嬉しくねぇ言い方だな」


「悪かったね、そう拗ねるもんじゃないよ。ま、いずれにしろ、橘家の家宝を差し出すことは、時間稼ぎにもならぬ最悪の一手と言えるねい。とりあえず、当面の間は何かしらの形で、朝廷に従い続ける必要がある。それも、下手に出すぎない程度にねい」


 そう言って笑う雪月の言葉に、孝之は深々とため息をついて思案した。

 下手したてに出すぎず、それでいて朝廷には従う態度を見せる。そしてなおかつ、できるだけ朝廷内部の情報を手に入れる。

 それが今現在、孝之に求められていることである。

 そう考えると、確かに孝之に出来ることは限られており、一番手っ取り早いのは確かに、「滝面の武士」になることである。


 だが、このまま「滝面の武士」になるとして、内裏に仕える為には今まで以上に高い金を用立てる必要があるだろう。

 今でも既に首が回らないのに、これ以上に借金を重ねる事は気が引けた。


 何より、最大の懸念として、孝之が上手く朝廷で立ち回れるのか?と言うことである。


 今まで雪月との話の流れからしても、朝廷でのやり取りで孝之が上手く立ち回れる自信が何一つ湧かなかった。

 このまま朝廷に出仕しても、下手を打たないとは考えられ無い。

 既に下手を打っている孝之が、このまま朝廷で滅茶苦茶やらないとは到底思えなかった。


 孝之は暫くの間、呻めき声を上げながら考え込んでいたが、やがてゆっくりと息を吐くと、渋々ながらも雪月の提案に同意した。


「……しょうがねえ。確かに、このままウダウダ言っても埒が開かねえ。とりあえずは、引き受けるだけ引き受けるか」


「決まりだねい。夜が明けたらすぐにでも朝廷に顔を出すように便りを出すべきだねい」


 そう言うと雪月は、持っている筆をその場放り出すと、そのまま布団の中に潜り込み、瞬く間に寝息を立て始めた。

 そんな雪月に、孝之は暫く呆気に取られていたが、やがてゆっくりと溜息をつくと、雪月が放り投げた筆や酒を片づけて、気持ちよさそうに寝息を立てている雪月を簀巻きに巻いてその場に転がした。


 翌朝、自分の状況に気付いた雪月が大騒ぎを起こしたのは、言うまでもない。










後書き



 第二章で一旦区切ります。第三章以降はまだ少し完成の目処が立っていないので、完成次第公開します。

 

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 できれば感想などもあれば、今後のストーリー作りに参考になります。








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