第16話 八百比丘尼の雪月、孝之の陰陽法師となる。


 自分が孝之の陰陽法師となるのに条件がある。


 そう言い始めた雪月に、孝之は暫くの間考え込むと、ややあって頷いた。


「……分かっていると思うが、金のかかることは聞けねぇぞ?金のかからない事でも、俺が当てになるとは思うなよ?」


 はっきり言って、情けないと思いつつも、それが孝之に言える唯一の返事だった。

 すると、そんな孝之の返答を聞き、雪月は苦笑いのような、あるいは喉の奥に魚の小骨が引っかかったような様子で口ごもり、思わず孝之は首を捻って雪月に訊ねた。


「珍しく歯切れが悪いじゃねえか。何かそんなにヤバいことでもあるのか?」


「そんなに難しい問題じゃないねい。……ただねぇ、まあ、何と言うか、その、ねい…。要は、あれだ。旦那のところに伝わっている天下の三名器の一つ、琵琶の雪月を私にくれないかねい?」


 暫くの間、唸り込んだ末にそう言った雪月に、孝之はあっけらかんと答えた。


「ああ、分かった。何だよ、その程度のことの、そんなに言いづらそうにしてたのか?」


「……理由は聞かないのかい?仮にも旦那の家の家宝だろう?これが無くなれば、それなりに大変なことになると思うんだがねい?」


 すると孝之は苦笑混じりに、雪月に返答した。


「だからどうだ、って話だよ。元々俺には持ち腐れだったんだから、欲しいってやつにくれてやった方が良いさ。それにお前を殺せば返ってくるわけだから、長い目で見りゃ、貸しただけだろ?」


 余りに呆気なくそう言ってのける孝之に、雪月は暫くの間ポカンと口を開けて呆然としていたが、やがて腹を抱えてその場で笑い転げた。


「いやいや、いやはや、旦那は私が思ってたよりも、随分と面白いお人だったんだねい。言われて見ればそりゃ、確かにそうだねい」


 腹を抱えながら笑い転げる雪月に、孝之は思わず拗ねた顔をして言った。


「褒めてんだか貶してんだか分かんねえ言い分んだな、それ」


「それが分かんないんだから、旦那は頭の働きが鈍いんだねい。まぁ良いさ。旦那が私のことを高く買ってくれている事は分かったからねい。私もそれなりのことをするさ」


 流れる様に孝之を煽る雪月に、思わず孝之は雪月に声を荒らげたが、すぐにため息を吐いて雪月の肩に手を置いた。


「そこまで言うんだから、必ず俺の役に立てよな?何もできませんとか言うんなら、叩き出すぞ?」


「勿論だねい。旦那の頭が上がらないのはほどに役に立って見せるさ」


 そう言って不敵な笑みを浮かべる雪月に、孝之はそうかい。と、言って肩をすくめた。


「それじゃあ、お前にアレをやる以上、今すぐ目を通した方が良いだろう。ちょっと待ってな。持ってくるから」


 そう言うや否や、孝之はその場に立ち上がるなり伸びをすると、琵琶を取りに席を外した。

 そんな孝之に、雪月は軽く笑いかけた。


「意外な事だねい。旦那のことだから、どこそこにあるから持っていけよと言うと思ったがねい。随分と今日に限って殊勝じゃないかい?」


 すると孝之は、雪月は振り返る事もなく、背中越しに雪月に手を振った。


「……別に。書類仕事が嫌になっただけだ。そんなん言うんだったら、お前が目録作りを進めといてくれよ」


 そう言って、しばらくその場から立ち去った孝之は、やがて手に袋に入った琵琶を持って、雪月の前に現れた。


「……ほらよ。これがお前の欲しがってた、天下の三名器の一つ。琵琶雪月だ。その音色を聞くだけで、酒よりも酔うと言われる一品だ。これをくれてやったら、お前は俺の陰陽法師になるんだな?」


 そう言うと孝之は、意外にも丁重な手つきで紫色の琵琶袋から琵琶を取り出した。


 孝之が持ってきた琵琶は、雪の月、と名乗る割には全体的に黒っぽく、まるで煤けた炭の塊を捏ね合わせた道具のように見えた。

 経年による色素の黒ずみもあるかもしれないが、元々から材木に黒に近い色の木材を使っているのだろう。

 見た目だけならば、とても名器とは言えないような、見るからに見窄らしい琵琶だった。


 ただ一点、腹板に刻まれた螺鈿細工の三日月だけが、闇世に浮かぶ月の様に神秘的な光を放っていた。


「……見ての通り、この雪月って琵琶は、見てくれが悪い。だが、腹板に刻まれた三日月だけが、炭の上の雪の様に、或いは秋の名月の様に美しい事から、雪の月と言う名前が与えられた」


 孝之が何とはなしに由来を口にしたその時、いや。と、雪月は孝之の言葉を遮った。


「……十二分に立派な見てくれをしているねい。流石は天下の三名器というだけある。見ただけで分かるねい。これは、良い音が鳴るよ……」


 どういう訳か孝之が持って来た琵琶に眼を奪われた様子で、雪月はおずおずと琵琶を手に取ると、弦の様子を暫く確かめて静かに孝之に聞いた。


「旦那……。その琵琶を弾く撥はあるかねい?一度、軽く弾いてみたいんだがねい」


 そう言う雪月に孝之は無言で撥を差し出すと、雪月は孝之から受け取ったバチを手にして、静かに琵琶の弦に当てた。

 撥が弦を弾くと、張り詰めた良い音が響き、その響きに続く様に朗々と雪月の声が続いた。


 暫くの間、雪月の即興の歌と曲に耳を傾けていると、やがて満足したよう雪月は琵琶を鳴らし終えた。


「なるほど、良い琵琶だねい……。百年ももとせを耐えるだけはある。これなら、使えるねい」


 そう言うと、雪月は琵琶を床に置くと、今までに見たこともないように爽やかな笑みを浮かべて孝之に向き直った。



「一先ず、旦那には私のわがままに付き合ってもらった事、感謝するよ。確かにこれがあれば、色々なことができそうだ。陰陽奉仕の務め、精一杯果たして見せようじゃあないか」





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