第10話 橘家の因縁、そして斎王の狐憑き


 孝之の怒りの眼差しを目にした雪月は、手にした瓶子を床に置くと、孝之に向き直って、床に手をついて頭を下げた。


「……悪かったよ。確かに、私の方が調子に乗り過ぎていたのかもしれないねい」


 意外なほどに素直に謝る雪月の様子に、孝之は拍子抜けしたようだったが、流石にこれ以上責めるのも気が引けたのだろう。

 孝之は軽く舌打ちをすると、床に置いた腕と箸を再び手に取った。


「……もういい。俺も言いすぎた。とりあえず、あんま人の事情に首を突っ込むな」


 そう言って、孝之が再び飯を食い始めた途端だった。

 雪月は今まで下げていた頭を素早く上げるなり、身を乗り出して再び孝之の家の事情について、遠慮容赦なく踏み込んだ質問をし始めた。


「それはさておき、早瀬の橘氏と言えば、雅楽橘流の総本家だろう?葦和でも屈指の、風雅を極めた芸術家の家系じゃないか。それが何でわざわざ武官くんだりに身を置いて、羅城門で頭を抱えてたんだい?」

 

 孝之が許すなり、あっけらかんとした口調で矢継ぎ早に質問する雪月に、孝之は思わず怒りも忘れて呆れ返った。


「お前な……、言ってる端から何を聞いてるんだよ。俺の家の事情は、そんなに聞きたい事かよ?」


「そりゃあ、聞きたいに決まってるねい。早瀬の橘氏とその一族が伝える橘流と言えば、雅楽の始まりより続く由緒正しい家柄だ。とすると、三名器の話も本当ってことになる。そうなると、今回の話も大分様子が変わってくるからねい」


「なに?どう言うことだ、それは?」


 雪月の言い分に思わず孝之が食事の手を止めると、雪月はニヤニヤと笑いながら瓶子を手に取り、酒を豪快に呷った。

 勢いの良い飲みっぷりに、口の端から一筋だけこぼれた酒を袖口で拭いながら、雪月は孝之を見据えた。


「旦那の話を聞いた時から思っていたんだけどねい。今回の旦那の窮地、随分と旦那に都合が悪いと思ってねい。その部分がかなり引っ掛かっているんだよねい」


「都合が悪いって、そりゃあそうだろう。どう転がろうが死刑になる話の、どこが都合が良いんだよ?」


 孝之が怪訝な顔をすると、雪月は愉快そうに笑い声を上げた。


「そういう話じゃないねい。考えてもみねい。なんでわざわざ摂政は、旦那の事を殺そうとしているんだい?」


「……それは、斎王様を殺して、狐憑きのことを隠そうとしているんじゃないのか?で、俺な斎王様を殺した罪を被せて、俺を殺すことで全てを闇に葬る。そういう手筈になっているんだろう」


 孝之が味噌汁を啜りながらそう言うと、雪月は酒を飲み干した瓶子の中を覗き込みながら、そうだねい、と言った。


「旦那が言う通りだと、私も思うよ。ただ、だとすると、妙な点が幾つかある。その一、何でわざわざ旦那を使うのか。罪を擦りつけて殺すんなら、それこそ誰でも良い筈だ。だのに、摂政はあえて旦那を指名した。此処には何か理由がある筈だ」


 雪月がそう言った時、孝之の脳裏には思い当たる人物が一人浮かび、思わず口に運んでいた箸を止めた。

 確かに、孝之には摂政に近しく、孝之を疎ましく思っている人間がいる。

 もしもそいつが裏で糸を引いていたなら、道比等が孝之を嵌める為に大舞台を用意したのも頷ける。

 思わず、味噌汁の入った碗を手にしながら、そんな事を考えていると、雪月からの、旦那、と言う掛け声で我に返った。

 そんな孝之の様子を見て、雪月は得意げな笑みを浮かべつつ、次に、と言いながら左手の指を二本立てて孝之に突き出した。


「その二、何故今更になって斎王の狐憑きについて明かしたのか。わざわざ今まで隠していたのに、旦那を使う段になって、急に狐憑きについて明かした。それも、これは世事に疎い旦那だって青褪めるほどの大事だってのに、呆気なく、だ」


「……確かに、それに関しちゃ俺も妙だなとは思っていたが、なんか理由あんのか?」


「今のところ確かなことは言えないねい。ただ、これらの事が、もしも旦那を殺す為のはかりごとであったとすれば、不自然な昇進にも、無茶苦茶な難題にも説明がつけられるだろう?」


 笑いながらそう言う雪月に対して、孝之はこれまでになく険しい顔をすると、鋭い目付きのまみ雪月を睨んだ。


「じゃあ、何か?斎王様の狐憑きは嘘だって言うのか?」


「理屈の上では、そう言うことになるのかねい」


「いや、それは、あり得ない。斎王様の狐憑きに関しては、本当にあるはずだ」


 鋭い目付きの断言する孝之の姿に、雪月は興味深そうな顔をしながらも、揶揄う様に孝之に言った。


「随分と力強く言い切るじゃないか、旦那。それじゃあ、そう言えるだけの根拠はあるのかい?それとも、まさか今上帝が子供だから嘘は言ってないって、思ってんじゃないだろうねい?」


「羅城門で話したと思うが、俺は今上帝と御吉山で直接顔を見合わせた。その時に浮かべていた表情は、確かに誰かを心の底から心配している顔だった。あの時の顔と声を、俺の目で見て、耳で聞いた以上、相応の証拠がない限り、斎王の狐憑きが無かったとは認めない」


 断言した割に返って来たのは、感情的な感想でしかなく、何の論拠にもならない言葉に、雪月は思わず苦笑した。


「そりゃあ、演技だったんだろうよ。今上帝と言えば、生まれながらに政治の暗闘に巻き込まれる身の上だ。多少の演技位は朝飯前だろうさねい」


 しかし、雪月の言葉を聞いた孝之は、尚もその言葉を否定した。


「だとすると、俺を殺そうとしているのは今上帝ってことになるぜ?お前の理屈が正しければ、そこまでして今上帝は俺を殺したいことになる。今上帝がそんな事をする理由は何だ?」






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