第11話 八百比丘尼の雪月、橘の家の因縁を知るのこと。

 孝之からの指摘を受けた雪月は、はた。と、困ったように黙り込んだ。

 確かに、今しがた語った雪月の論が正しければ、孝之の命を狙っている者の中には、今上帝が混じることになる。

 今上帝が何故、孝之の命を狙うのか。そう問われてしまえば、黙り込むしかない。

 その点について、雪月は大人しく白旗を上げるしかなかった。


「……困ったねい。確かに旦那の言う通りだ。私の読みが正しければ、旦那の命を狙っているのは、今上帝ってことになる……。一応聞くけど、旦那は今上帝を相手に何か怒りを買うような事をした覚えは無いのかい?」


「あるわけねぇだろ。あえて言うなら、御吉山での一件だけだ。だからもしあそこで怒りを買ったんだだったら、何で今更こんな陰湿な真似で命を狙われるのか、っつー話になるぞ」


 最後に残った飯と味噌汁を口の中に放り込みながら言う孝之の言葉に、雪月は尚更に考え込み始めた。


「そうだねい……。それこそ、犬神の一件があれば、今上帝なら幾らでも旦那を殺せるからねい……」


 そう言うと雪月は、やがてほとんど呟くような小さな声で、呪文を唱えるように考え込み始めた。

 それを見て、孝之は邪魔するのも悪いと思い、暫く黙って見つめながら飯を食い終えたが、その頃には呟くことすらもしなくなった。

 そんな雪月の様子を見た親之は、食器を片付けて風呂に入り、布団を敷いて、燈台の火を吹き消そうとした。


 すると、その時だった。


「旦那!旦那の言う通り、私の読みが正しければ、誰にも旦那を罠に嵌める理由がないってのは、その通りだよ。そうすると、狐憑きは本当にあると言わざるをえないねい」


「うお。ビックリした。もう寝てるかと思った。急に何だ。何の話だ」


「そこでだ。ここは少し考え方を変えてみようた思うんだがねい」


「俺の質問は無視かい。と言うか、何だ?考え方を変える?」


 唐突な雪月の提案に、思わず面食らいながらも、布団の上で胡座をかくと、そんな孝之に、ああ。と、雪月は頷いた。


「旦那、もしも私の仮定が正しかったとして、旦那を罠に嵌めそうな人間に心当たりはあるかねい?」


 雪月からの質問に、腕組みをして暫く考え込んだが、やがて雪月の質問に、肯定でも否定でもない答えを返した。


「……あると言えばある。ないと言えばない」


「禅問答でもやってんのかい?それはどういう意味だねい」


 雪月の疑問に、孝之は先ほど自分の脳裏に浮かんだ人物の名を挙げた。

 それはある種、孝之にとっては、いっそ清々しいほどに忌々しい男だった。


「俺の叔父に、雅胤まさたねという男がいる。俺とは違い、橘流雅楽を修め、宮廷に仕える雅楽師として活躍している」


 孝之の返答を聞き、雪月は何か得心が言ったと言う風に、ははぁ。と息を吐いた。

 孝之は、橘流の御曹司を名乗っているのにも関わらず、宮廷で活躍しているのは叔父であると言う。

 そして、現在、孝之は経済的にも大きく困窮している。

 詳細は分からずとも、これだけで大体の事情は察せられるし、それを目の前で楽しまれたら、確かに機嫌の一つや二つも悪くなる。

 むしろ、孝之の性格を考えれば、刀に手を掛けなかったのが不思議なほどだ。


「……なるほどねい。……さっきの旦那の態度がちょっと分かった気がするねい。随分と込み入った事情がありそうだが、話せるところまでで良いから、話してみてくれないかねい?それとも、それも嫌かねい」


 雪月からの提案に、孝之は……いや。とだけ呟くと、再び暫くの間黙り込み、やがてゆっくりと口を開いた。


「……元々、橘流の雅楽の正当な後継者ってのは定まってなかったんだ。俺の親父が跡取りを決めなかったからな。だから、俺が本家の地位と、橘流雅楽の重要な宝物である三名器を継いだんだ。叔父の雅胤は、そのことについてことある事に絡んでくるんだよ。本家の地位と三名器を渡せ。とな」


「どうして旦那はその雅胤さんに本家の地位と、宝物を差し出さなかったんだねい?正直に言って、旦那の生活を見る限り、橘流の本家なんて地位、宝の持ち腐れにしか見えないよ。いっそのこと譲った方がいいと思うけどねい」


 小首を傾げながらそう聞いてくる雪月に、孝之は鼻を鳴らして忌々しげに言った。


「そりゃあ、金を出さなかったからだな。金さえ払えば渡してやるって言ってんのに、鐚一文も出そうとしねえんだ。雅胤まさたねの奴、俺に本家の地位を譲れ譲れという割に、金の話になると、急に屁理屈捏ねやがって、俺の話を聞こうともしやがらねぇ」


「あぁ、なるほど。それは、死んでも渡したくないねい。金の話は大事だよねい」


 舌打ち混じりに吐き捨てる孝之の様子に、雪月は心の底から同意するが、少しの間黙り込むと小首を傾げて質問した。


「‥‥しかし、旦那。そうだとすると、それは普通に心当たりがあるってことにならないかい?ないと言えばないってのは、どういう意味だねい?」


 すると孝之は、面倒くさそうに頭を掻いて、溜め息を吐いた。


雅胤まさたねの奴は、宮廷雅楽師の中でも特に高い地位にいるんだ。そのせいで、道比等みちひとともかなり近い位置にいる。俺を殺したいなら、それこそ道比等に告げ口すれば事足りるはずだ。狐憑きとか何とか、そんな回りくどい真似される理由が分からない」


「なるほどねい、そう言うことかい……。命を狙われる心当たりはあっても、回りくどい真似をされる心当たりはない。それで、あると言えばある、ないと言えばない。か……」


 雪月は溜め息とともにそう呟くと、腕組みをしながら難しい顔をした。


「しかし、難しいねぃ。そうなると、私の第一の予想には割とドンピシャじゃないかい?旦那の命を狙う奴がいて、そいつが摂政を動かせるとなれば、これはもう、九割九分、犯人分かった様なもんじゃないかねい」


「だな。正直なところ、俺もお前の読みがそこまで大きく外れているとは思ってねぇよ。ただ、問題は」


「今上帝と狐憑きがどう絡んでいる、か。だねい……」


 孝之の言葉を引き取って、雪月がそう言うと、孝之もそれに黙って首を縦に振った。

 そうして、二人の間には沈黙が垂れ込んだ。

 やがて、その沈黙の中から、雪月がポツリと呟いた。


「……今出揃っている情報だけで素直に考えるなら、今上帝は何者かに騙されて、斎王に降りかかった災難を狐憑きと思わされている。ってのが、妥当な線かねい……。ただ、そうなると、誰が、何の為に今上帝を騙しているのか。って話になる」


「俺としては、本当に斎王様が狐憑きにあって苦労してるんじゃないかと思ってるんだが、お前の話をまとめると、どうやら俺を殺すために誰かが裏で糸を引いているってのも、それなりに確からしいな」


「……そうだねい。正直、狐憑きが本当にあったとは考えたくないがねい。そうなると、それはそれで別の問題があるからねい」


「別の問題?」


 雪月の言葉に思わず孝之が眉をひそめると、不意に雪月は腕組みを解いて孝之を顔を見上げた。


「旦那。旦那は狐憑きについて、一体どれぐらい知っているかねい?」




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