第6話 橘家の家宝


 しとどに降りしきる雨の音の中、孝之は長い話を終えると、気が抜けたのか、どかりとその場に腰を下ろした。


「今話したのが、俺が斎王様を斬れと言われた顛末だ。借金は背負うは、賊にされるはで、碌なことがねえ。内裏など、関わるものではないな」


 そう言って腕を組んだ孝之は、静かに空を見上げた。

 するとそんな孝之を見て、呆れたように苦笑を浮かべながら首を振った。


「随分とまあ、豪快と言うか磊落と言うか、中々に頭のねじが飛んだ御仁の様だねい。まあ、とんでもない奴だろうとは思っていたが、想像以上だねい」


 そう言うと、遊女はそこでふと笑顔を引っ込めて、地べたに座り込んだ孝之の前に立ち、孝之の顔を覗き込んだ。


「まあ、其れはそれとして一つ気になることがあるんだがねい、どうしてお前さんはそこまで思い悩んでるだい?」


「……それはどういう意味だ?」


「どうもこうもないねい。さっきのお前さんの様子を見るに、人を斬り殺すには何の躊躇いもないんだろう。そんなに頭のタガの外れてるんなら、わざわざ斬るか斬らぬかで悩む必要はないと思ってねい。それこそ、賊にでも身をやつして、どこぞへと消えてしまえば気が済む話だろう?お前さんのようなお人が、何故その道を撰ばないんだい?」


 腰を屈めながら孝之に話しかける遊女からの思わぬ指摘に、思わず孝之は身動いだ。

 確かに、賊になるのかどうかと言うのは、孝之自身も考えぬではなかった道だ。


 しかし、今こうして追い詰められながらにして、敢えてそれを選ばなかったのは、孝之の個人的な信条に反するからであった。

 だがその信条は、孝之のような荒くれが口にするには、些か滑稽なものであり、いざ口にしようものなら笑われるのが目に見えていた。

 だからこそ、それを誤魔化すために、孝之は咄嗟に頭に浮かんだ話を口にした。


「……こう見えて、俺は雅楽師の家の出でね。我が家には、三つの家宝が伝わってるのさ」


「家宝?」


 見るからに貧乏そうな孝之のなりを、思わず上から下まで見回しながら、訝しげに孝之は如何にも鷹揚に頷いた。


「ああ、俺は録な財産持たない木っ端貴族の端くれだがな、これでも家には辛うじてその道に通じた者だけが知る稀代の宝物が三点伝わっている」


「ほう?それは随分と、大きく出たねい。一応、どういう物なのか聞こうかねい?」


 明らかに孝之の言葉を信じていない様子の遊女の態度に、孝之は思わず苛立ち、怖い顔て睨み付けた。しかし、遊女は怖い、怖いと言いながら、からかう様な素振りで孝之に話の先を促した。

 そんな遊女に、孝之は憤然としながらも、話を続けた。


「……まあ良い。我が家に伝わる家宝ってのは、天女の音色を奏でると言われる、竜笛の『蜜葉みつば』。その音色を聞けば極楽に行けると称された、琴の『花音かのん』。神仏も聞き惚れる音色を出すと伝わる、琵琶の『雪月ゆづき』。以上の三つだ。どれも、天下の三名器と言われる、雅楽に携わるものならば聞いたことがあるような楽器ばかりだ」


 孝之は、胸を張ってそう言うが、そんな孝之の様子にむしろ、遊女は疑いの眼差しを強めるばかりだった。


「確かに、私も旅してる中で聞いたことのある名前ばかりだねい。本当に家宝に持っているな大したものだ。けれども、その三点の宝物は全て、それこそ売りさえすれば、家の十軒や二十軒には変えられる代物だよ?本当にそんなものを持っているなら、宇治原の家の者なり、帝室なりに献上して、拝命を取り消させれば良いじゃないか」


 何気なく指摘された事に、内心、孝之はその手があったかと思わず口を開いた。

 何故それを思いつかなかったかと後悔したが、今更それを覆すこともできないので、勢いに任せて胸を張った。


「まぁ、何だ。その、あれだ。三点とも俺が物心つく前から家に伝わる宝物だからな。俺なりに愛着があんだよ。雑な形で処分はしたくねんだよ」

 そう言って、明らかに遊女の顔から視線を逸らす孝之に、遊女は呆れたように肩を竦めた。


「まぁ、話は聞くだけ聞いたけど、私としては納得の行く話とは言えないねい。仮に旦那の話が全て正しかったとして、この国で帝室に預ける以上に、家宝を流す良い処分法は思い付かないしねい。……一体そうまでして何を隠したいんだねい?」


 心底不思議そうに首をかしげる遊女の様子に、孝之はバツが悪そうに顔を背けた。


「……別に嘘ついてる訳じゃねぇよ」


「まぁ、別に嘘か本当かはどうでも良いんだけどねい?旦那に手を貸す以上、旦那がどういう思惑で動いてんのかは、見当つけて起きたいのさ。いざと言う時に困るからねい。そう言うのは、この数日で旦那もいやと言うほど、体験したんじゃないかい?」


 どこか挑発的な雰囲気さえある遊女からの問いかけに、孝之の脳裏にはこの数日の間、頭を下げに回った連中の顔が浮かんだ。

 普段は調子の良いことを言いつつも、結局は何一つ頼りにならなかった周囲の人間の様子を思い起こしてみると、孝之自身、そもそも彼らとは腹の中を見せ合うことがなかったように思われる。

 過去のしくじりを省みれば、ここで腹の中も見せられない奴に命も預けられまい。

 孝之は腹を括ると、観念したように大きく息を吐いた。




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