第5話 勅命


 周囲があまりの異常事態に重苦しく沈黙する中、道比等はまるで何でもない事のように、軽やかに話し始めた。


「実はな、春先より斎王様には狐が取り憑かれているようで、取りついた狐が悪さをするのよ。物を浮かべて壊したり、夜も深くの時間というのに暴れ出したりな。何より、斎王様自身が狐のような姿や醜態をさらすのだ」


 道比等はまるで何という事もなくそう言ったが、その余りの内容に、孝之は目を見張った。


狐憑きつねつき、ですか……?斎王様が?」


「そうだ。主上もこれはいかんと思い、陰陽師や高僧、薬師や巫女など様々な祓魔の職を駆り出したのだが、中々解決することがない。そこで、最後の手段と思い、主上自ら平癒祈願の為に御吉山に向かわれ、斎王様の狐憑きを祓われるように願った。しかし、それでも何ともならず、我ら宇治原の一族の者も揃って、主上と共に頭を抱えたのだ」


 そう言うと道比等は、深々とため息を吐いて首を横に何度も振った。

 その態度は、まるで少し困ったことが起きたとでも言わんばかりの軽いものだったが、語られている内容は尋常ではない。


 斎王とは、通常は今上帝の妹君のことを指す言葉であるが、それだけではなく、神職の最高権威の一つでもある。

 権威としての斎王の最大の役目とは、平たく言えば皇室の管理する神域である「神宮」の巫女である。

 そして神宮とは、葦和の国に八百八万はあると言われる神社の総本家であり、皇室の始祖とも言われる太陽神を祀る神殿でもある。

 つまりは、この葦和の国の宗教の大きな柱であり、一種の聖女とも言える存在が、「斎王」だ。

 その斎王が狐憑きに遭いながら、自分で何とかできぬという。更には、神道のみならず、仏道の力を借りながらもどうにもならぬとあらば、これはもう国家の威信に関わる一大事だ。


 孝之は、自分が思っているよりも面倒なことに巻き込まれているということを知り、思わず冷や汗が掌に滲んでいることを感じながら、道比等に話の続きを促した。


「……それで、主上はどうなされたのですか?」


「何ともならんと思い、主上も意気消沈しておったところ、犬神が主上に襲い掛かり、貴殿がその首を見事に切り落として見せたろう?」


 そう言うと、道比等は扇をわずかに開いて、顔の半分を隠した。

 扇の下に見える眼光だけが鋭く孝之を見下ろしているばかりで、その奥にある表情は孝之には分からなかった。


「これに主上は痛く感激為されてなあ。犬神の首を取るほどの腕前を持つものであるならば、狐憑きの狐も斬り払えるだろう。とおおせられた。そして、犬神の首を斬った者を滝面の武士に着けられるようにおっしゃったのだ」


 そう言うと、道比等は再びぱちりと閉ざした扇で、孝之の顔を差した。


「孝之殿。貴殿には、この狐憑きに遭った斎王様の御身をどうにかしていただきたい。何よりも主上は、貴殿ならばそれができると、期待しておられる」


 まるで無責任にそう言う道比等に、孝之は内心忌々しい思いで舌打ちしながらも、できるだけ平常心を保つように努めながらも反論した。


「……言っていることの意味が分かりかねます。私はただの武官です。それも、切った張ったを繰り返す検非違使の下っ端だ。狐憑きをどうにかしろなどと言われても、見当もつきませぬ。それこそ、狐憑きに遭った者を、斬り、捨てる……」


 そう言った瞬間、何かが孝之の中でピタリとはまった気がした。

 孝之は一度つばを飲み込むと、ゆっくりと道比等の顔を見据えた。


「摂政殿……。つまりはそう言う事なのですか?私に狐憑きをどうにかしろ、というのは、斎王様を、斬れ。と、そうおっしゃっているのですか?」


 すると道比等は、右手に握った扇で左の掌を叩きながら、今までになく荒い語気で口を開いた。


「口を慎まれよ、橘殿。ここは内裏ぞ。この葦和の国で最も清く、雅な場である。この場において、乱暴な言葉は思いこそすれ、口にしてはならぬ」


「しかし……」


「しかしではない。儂はただ、狐憑きに遭った者を今上帝に近づけるわけにいかん。その言葉に主上もご賛同為された。故に、狐憑きに遭った者を今上帝から遠ざける必要がある。そう言っているに過ぎぬ。無用な詮索は、よしてもらおう」


 今までのどこか白黒のはっきりした言葉遣いを急に引っ込め、いきなり曖昧な言い方を使い始めた道比等に、一瞬、孝之は何が言いたいのか?と、怒鳴り声を上げそうになった。

 だが、それを静かに煮えたぎりそうな腹の底に飲み込むと、孝之は意識して緩やかに息を吐いて口を開いた。


「……摂政殿。それは、まことに今上帝の御意思にあられますか?」


「……ほう?主上の言葉を疑うのか?」


「いいえ。ですが、主上は今年で十二になるかならぬかの、未だに世間のあれこれに疎い年齢にございます。誰か悪意を持った人間の言説に惑わされ、本意でもないことを命じたと考えることもできましょう。ましてや、斎王様は今年で五つになるかならぬかのお年頃。わざわざ主上がお手にかけるかのような御命令を」


「橘殿。貴殿、言葉が過ぎるぞ?儂が何時、今上帝が斎王様を避けられようとしていると言った?儂はただ、狐憑きに遭った者を、主上に近づけるわけにはいかぬ。と言っただけだ」


 事ここに至って、尚ものらくらとした言葉遣いを続ける道比等に、遂に孝之は激発した。

 思わずその場に立ち上がり、道比等に向かって声を荒らげた。


「摂政殿!私は殿上人たるあなた方の使う、腹積もりを隠した言葉遣いにはとんと縁がない!だからはっきりと言ってくれなければ、その意味を汲み取れませぬ!」


 感情を大きく爆発させた孝之は、握りしめた拳に猶更に力を籠めるだけでなけなしの理性を保つと、怒りとも困惑ともつかぬ感情で声を震わせながら道比等に詰め寄った。


「貴方が仰っていることはつまり、俺に斎王様を斬り殺せと、そう言っているのではないのか?!まだ年端もゆかぬ幼女を、俺に斬り殺せと、そう言っているのではないのか?!」


 いっそ悲痛な色すらも感じさせる声音で孝之は道比等に質問は重ねたが、道比等は孝之の言葉に何も言わずにただ左の眉尻を動かしただけだった。


「それでは、儂は予定が詰まっておるでな。主上に良い報告ができることを楽しみにしておるぞ」


 そうして、それだけ言い残すと、孝之を置いて悠々とその場を立ち去った。

 すると、道比等がその場を離れたのを見計らって、一人の殿上人が孝之の傍にそそくさと近寄った。


「橘殿、貴殿、先ほどより口が過ぎまするぞ。摂政様と言えば、宇治原の一族の長者であり、今上帝の」


 殿上人がそこまで言った次の瞬間、孝之は皆まで言わせず、自分に絡んできた殿上人の顔面を殴りつけて吹き飛ばした。 


「やかましい!ぶちのめすぞ、コラァ!」


 そこから先は、上を下への大騒動である。

 紫宸殿を護る衛兵はやってくるわ、殿上人は逃げ惑うわと、てんやわんやの末に、半ば叩き出されるように孝之は紫宸殿をその場に後にした。

 それから後は、へそを曲げて出仕の催促にも応じることなく、適当に暮らしていたのだが、それもそろそろ限界を迎えて、羅城門で途方に暮れていたのだった。







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