闇に裁いて、仕上げます(五)
花田藤十郎は、自身の道場にて目覚めた。
妙な気配を感じる。微かな物音も。何者かが、道場に侵入してきたらしい。彼は立ち上がり、そっと歩き出した。
だが、侵入者に姿を隠す気はなかった。
「俺のこと、覚えてるか」
言いながら、道場にずかずか入って来た者がいる。大きな体と傷だらけの顔、ごつごつした手、そして鋭い目付き。
権太である。
「何しに来たのだ?」
低い声で言うと、花田は身構えた。何しに来た、などと尋ねてはいるが……権太の体から立ち上る殺気を既に感じ取っている。権太の意図が何なのか、既に察していた。
そして権太の答えは、花田の想像通りだった。
「お前を殺しに来た」
「ほう、誰かに頼まれたのか? それとも、お前の意思か?」
そう言うと、花田はじりじり間合いを詰めていく。久しぶりに、血のたぎりを感じていた。全身の毛が逆立つような感覚だ。目の前の男は、本当に強い。
実のところ、浪人を叩きのめした時から気にはなっていたのだ……あの場にいた権太が発していた、並々ならぬ闘気。花田は浪人との戦いで物足りないものを感じており、つい挑発してしまった。
しかし、まさか向こうから来てくれるとは。
「お前が痛め付けた女たちに頼まれたんだよ」
言葉と同時に、権太は襲いかかって行った。
権太の杉板をもぶち抜く正拳が、花田の顔面めがけて放たれる──
しかし、花田はその拳を素早く払いのけた。同時に、権太の襟を掴む。
直後、権太の巨体が一回転した。花田の投げ技が決まったのだ。畳の上に叩きつけられ、権太は思わず呻き声を上げる。
すかさず追撃する花田。権太の喉元めがけ、自らの足を降り下ろす。足裏による踏みつけで首の骨をへし折る、はずだった。
しかし、権太の反応は早い。首を振って、花田の踏みつけを避ける。
と同時に、花田の右足を掴む。足首を脇に挟み、捻りを加える。一瞬で、足関節を極めた──
関節が破壊される音が響き、花田は驚愕の表情を浮かべる。痛みより、足首を破壊された驚きの方が先に立っている。
だが、権太の動きは止まらない。自らの両足を、花田の左足に引っ掛けた。
直後、一気に引き倒す──
仰向けに倒れた花田。権太は巨体に似合わぬ敏捷な動きで、今度は花田の上半身に飛び付く。
仰向けになっている花田にのし掛かり、上四方固めで押さえ込む。
さらに、太い腕を花田の首に巻きつける。そのまま締め上げた──
抵抗することも出来ず、あっという間に絞め落とされた花田。しかし、権太は腕を離さない。完全に絶命するまで絞め続けた。
やがて、権太は立ち上がった。死体と化した花田を、複雑な表情で見下ろす。
その死に顔は、どこか満足そうであった。闘いの果てに死ねたことに、喜びを感じているようにさえ見えた。やくざと共に、悪行を重ねていた花田だが、心の奥底には武人の部分が残っていたのだろうか。
「だったら、柔術だけしてやがれ」
思わず、低い声で毒づいた時だった。
「どうしたんだい権太さん、しんみりして。あんたらしくもない」
不意に、後ろから聞こえてきた声。蘭二のものだ。涼しい顔つきで、道場に入って来た。
だが、権太はその言葉を無視した。黙ったまま花田の体を担ぎ上げ、歩き出す。しかし、蘭二がその肩を掴んだ。
「権太さん、あんたはいちいち喋り過ぎる。誰かに聞かれたら、どうするんだい? それに、これは果たし合いじゃないんだ。こんな奴は、後ろからさっさと殺せばいい」
「うるせえな。殺せりゃあ問題ないだろうが」
そう言って、権太は乱暴に手を振り払う。だが、蘭二は素早く動いた。権太の前に立つ。
「あんたは確かに、腕は立つよ。だがね、これは遊びじゃない。仕事なんだよ。あんたが下手を打てば、お禄さんに迷惑がかかるんだ。あと、死体の始末も──」
「だったら、お前が殺れや」
言ったかと思うと、権太は死体を藁に包み一気に持ち上げる。大柄な花田の体を肩に担ぎ、振り返りもせずに大股で去って行った。
その後ろ姿を、蘭二はじっと見つめる。ややあって、溜息をついた。
辺りを見回し、音も無くその場を離れる。
・・・
「おいおい、また刃物と鉄砲かよ」
渡辺正太郎は由五郎と新之丞の死体を見下ろし、頭を掻いた。一方、岩蔵は十手をぶらぶらさせながら、思案げな顔で辺りを見回している。
「こいつらは裏の世界じゃ、ちょいとした有名人ですぜ。青天の由五郎っていやあ、ちったあ知られたやくざ者です。そいつが殺された、となると……これから厄介なことになりそうな気がしますぜ」
「はあ? どういうことだよ?」
渡辺が尋ねると、岩蔵は呆れ果てたような表情を浮かべた。
「旦那……あんたは何年同心やってるんですか? だから、昼行灯なんて呼ばれるんですよ。いいですか、名の知れた親分である青天の由五郎が殺られたとなったら、その縄張りの奪い合いが始まるんじゃないですかい」
「ああ、言われてみればそうだなあ……本当に面倒くさい話だよ」
やる気の無さそうな渡辺の返事を聞き、岩蔵は顔をしかめた。この同心は、三十になるかならないかのはず。にもかかわらず、やる気がまるきり感じられない。
「あんた一生、出世しねえだろうなあ」
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