ジャクジャキジャッキジャケットジャック
今迫直弥
少年と少女の密室①
ドアが開いた。
その部屋のドアを開けたのは一五、六歳ほどの少年だ。迷うことなく足を踏み入れ、振り向き様に声をかけた。
「どうぞ」
やけに皮肉げに、吐き捨てるように言って、少年はもう一人を部屋へ招き入れた。少年に連れられている同い年くらいの少女は、相手の態度を意に介した素振りも見せない。にこやかに告げた。
「お邪魔します」
一歩踏み込んで、少女はすぐ足を止めた。部屋の中央に、何かを燃やした跡のような妙な残骸が転がっている。その殆どは灰とも炭ともつかない黒っぽい粉と化しており、原形を留めている部分は少なすぎて、元々が何であったのか一見しただけでは判断出来ない。
「……これは?」
部屋の真ん中を顎で示しながらその正体を尋ねたのは、意外にも少年の方だった。腕を組み、油断の無い目で少女を睨んでいることから、彼女に気を許していない様子が窺える。
「……どうして、私に聞くんですか?」
一方で、少女は全くの無邪気。あたかも少年に全幅の信頼を寄せているかのような素振りだった。心底不思議そうに、尋ね返している。
少年は、ぴくりと頬を引き攣らせた。落ち着こうとするように部屋のドアをゆっくりと閉める。そのドアに寄りかかって退路を塞いでから、腕を組み直した。額に皺を寄せ、しばし考え込んでいるようだったが、いつまで経っても少女がきょとんとしたまま立ち尽くしているのを見て、口を開いた。
「お前の正体はもうわかっている。結局あいつも無事だったわけだし、こちらとしても穏便にことを進めるに吝かでない。あいつに危害を加えるつもりのないことは存分に示してもらったし、一頻り笑わせてもらった。あとはここでのお前の態度次第だと言っておこう」
少年の剣呑な言葉を聞いても、少女は顔色一つ変えない。本当に何もわかっていないようにも見えた。
「この期に及んでのこんなやり取りは、全くもって時間の無駄、不毛の極みだ。お前は正体を隠し通す気などさらさら無いはず。でなければわざわざあの時、自分から正体を暴露するようなことを言うはずがないからな。違うか?」
少年の更なる追及。彼の右手にはいつの間にか拳銃が握られており、銃口は正確に少女をポイントしている。少女はそれを見て、無抵抗を示すように両手を上げた。顔色は変わっていないが、さすがに観念したのか、曖昧な笑みを浮かべてから口を開いた。
「ご推察の通りよ。でも、何? お久しぶり、とでも言えば良いの? ついさっき別れたばかりのように思うけど」
多分に皮肉に満ちた言い方だったが、少女の言葉に敵愾心は込められていなかった。少年は銃口を下ろした。だが、完全に警戒を解いた様子ではない。
「幾つか訊きたいことがある。……間違いなく致命傷を負ったはずなのに、どうして生きている? お前らが不死身だという話は本当なのか?」
「……黙秘権はあるの? 私にしても、その問いはとても答えにくいんだけど」
少年はひどく苛ついたように、ちらりと時計を確認した。
「一発、試しに撃ち込んでも良いんだぜ」
少女は、その物騒な発言にも笑みを絶やさない。両手を上にして、あくまでも無抵抗の姿勢を崩さずに続けた。
「不死身という噂は、本当。たぶん、ね。本質的に死ぬことは無いと思う。ただ、肉体が滅ぶことはある。肉体が滅んでも、復活は出来る。私がここにいるのがその証拠だと言えばわかる? そういう意味では、私は一度死んでいる。あなたに殺されている」
「……なら、この銃もあながち無力じゃないってわけか。安心した」
少年は、少女の問いには答えようとせず、ただ冷たい目で睨みつけた。少女は一瞬だけ哀しそうに目を伏せたが、また元の表情に戻る。
「他に、訊きたいことは?」
「お前のその格好の意味がわからん。何の意味がある?」
少年は、少女を上から下までじっくりと眺めた。その視線は、終始冷めたものであったが、少年自身がそれを意識的にやっているのだろうことは明らかだった。少女の格好はあまりにも大胆に過ぎた。何しろ、その白い裸体を、純白の細長い布が幾重にも巻いただけという出で立ちなのである。その布の片端は地面に垂れ下がっており、今にもそこから解けそうに見えるのだが、どうしたことか一向に解ける様子はなかった。
「それを説明するには、あなたの協力が必要ね」
恥じ入るように、少年から視線を外し、少女は呟くように言った。
「どういう意味で?」
「これを解くの、手伝ってくれる?」
「な」虚を衝かれた少年が言葉に詰まる。「……普通に口で説明しろ」
「その場合でも、あなたの協力は必要だけど」
「どういう意味だ?」
「私の言うことを信じる必要があるってこと」
少年は、不可解そうに眉根を寄せた。少女は、ずい、と大きく一歩、少年との距離を詰め、媚びる様な瞳で彼を見る。その瞳から露骨なまでに視線を逸らしながら、少年が、「良いから言えよ」と、続きを促した。
少女は、幾分か躊躇いを見せた。迷いを振り切るように口を開く。
「あなたのためよ」
「は?」
「信じてもらえないだろうけど。私は、あなたが好きなの。だから、誘惑するためにこんな格好をしてるわけ。それ以上でも以下でもないわ」
「……また、色仕掛けということか?」
「違う!」
詰め寄って来る少女の剣幕に気圧されたように、少年がたじろいだ。内開きのドアに寄りかかっているため、今以上後ろに下がれない。
「本気なの」
「……冷静に考えろ。どうして信じられる? お前が俺にしたことを忘れたとは言わせないぞ。あれも、『好きだったから』だというのか? 戯言を何回繰り返せば気が済むんだ?」
「あれは……忘れて」
「そう都合良く行くか。第一、辻褄が合わない。もしもお前の言う通りなのだとしたら、お前があいつの所に現れた理由がわからない」
「それは、私にも説明が難しいの。もっと、上手いやり方は絶対にあったはずなのにね」
少女は、自分に対して呆れているのか、やけに乾いた笑みを見せた。
少年は、何もかも理解出来ないといった顔で立ち尽くした。
「何なんだ、お前は。そもそもどうしてここに現れたのか、それもわからないし」
「それは……」
少女はちらりと部屋の中央の残骸に目を遣った。少年が目敏くそれに気付く。
「ん、あれが関係あるのか? だが、お前達が絡んでいるとすれば、それは……」
言葉の途中で少年の顔色が変わった。
「ちょっと待て。……まさか! そんな馬鹿な!」
少年は少女を押しのけ、部屋の中央に駆け寄った。かろうじて原形を留めている薄っぺらい一部分を手にとり、目を大きく見開く。
「これが、そうなんだとしたら……。おい、まじかよ。最悪だ。空前絶後の大失態じゃねえか。こんな身近に転がってたのか。何年間見逃してたんだ。その挙句に、損壊させてロストだと……。冗談だろ。おい、嘘だと言ってくれ」
がたがたと震える。その引き攣った顔に張り付いているのは、紛れもなく恐怖の表情だ。
「最初は、私も、その、それを回収するために来たんだけど、何というか、流れ的に、こんなことに……」
「――お前のせいだ」
取り繕うような少女の言葉を、狂気に彩られた少年の言葉が遮る。
「お前のせいだ。全部、お前のせいだ。もう、お終いだ……」
うわ言のように呟く少年の肩に、少女はそっと手を置いた。
「その、私にはあなたの事情はよくわからないんだけど、何か、力になれるなら――」
「今更そんなこと言われて納得できるか!」
少年は少女の手を振り払い、素早く身を翻すと、正面から相対して銃口を向けた。
「何が、『好き』だ。何が、『力になる』だ。元はと言えば、全部、お前が引き起こしたことじゃねえか。ふざけるな」
「確かに、今更、ね。そんなことは、私もとっくにわかってる。でも、私にはこういうやり方しかないの」
少女は拳銃を全く恐れずに、飄々としたまま少年に近付いた。
「私は、本当にあなたのことが好きなの。愛しているの」
さらに歩を進め、突き出された銃口を自らの左胸に押し当てた。思わず少年が一歩後退した。フローリングの床が軋んだ。少女はそれを追ってさらに前進。
「撃ちたければ、撃っても良い。でも、それで、何か解決する?」
「うるさい。うるさい。お前さえ、お前さえ居なければ……」
少年の腕は、興奮のためか、あるいは緊張のためか、小刻みに震えていた。
「……落ち着いて。私の目を見て」
すっと、少女の右手が拳銃を掴んだ。少年は慌てて引き鉄を引こうとしたが、その時には既に銃口はあらぬ方向に向けられていた。力の抜けた少年の手から、少女は素早く銃を奪い取る。それを部屋の隅に放り投げてから、にこりと微笑んだ。
拳銃は壁にぶつかって鈍い音を響かせる。
「大丈夫。ね、大丈夫だから」
少女は目を瞑り、そっと少年に口付けをする。
「夢だ。これは、夢だ」
呆然と、立ち尽くしてうわ言を呟く少年の唇を、少女のそれが塞いだ。少年にもたれかかるようにし、首の後ろに腕を絡める。生気でも奪われたように全く活力を失った少年は、それでも少女の体重を支えた。少女の唇と舌が、相手を貪るように激しく動いている。
「夢だ。夢だ。これは、夢だ」
少年の口だけは依然、呟きを吐き出している。
「夢じゃないわ」
少女は熱い吐息混じりに囁いた。
「……いや、夢でも良いのかもしれない。私のことは、全部、夢でも。それであなたが、私を受け入れてくれるのなら」
少女の唇は、少年の顔から首筋へと艶かしく移動した。少年は、茫然自失の体で、「夢だ」
と、もう一度呟いた。
「そう、夢。私は全部夢。だから……お願い。全て忘れて、今はただ楽しんで」
その科白の発された一瞬間に、室内の空気が根こそぎ覆された。官能的なムードは払拭され、凛と研ぎ澄まされた鋭利な緊張感が満ちる。
少女は何かに勘付いたように、はっとなって顔をあげた。少年と視線が重なった。少女の顔に驚愕が走る。少年の目には理性の色が戻っていた。
「待っ――」
制止の声は間に合わない。間に合わなければ届かない。少年の手が凄まじい速さで動いた。どこから取り出したものか、先のものと異なる拳銃を握っていた。少女のこめかみに突きつけて、躊躇せずに引き鉄を引いた。
乾いた音が弾けた。部屋の壁が音波の衝撃を受け止め、外までは大きく響かない。
ゆっくりと、少女が膝から崩れ落ちた。目を開き、口を開けたまま、少年に縋りつくように倒れ掛かる。硝煙の匂いの中、生赤い血液が穿たれたばかりの弾痕から静かに零れ落ちていく。恐ろしいまでの静寂が、部屋を支配した。
少年はきょろきょろと辺りを見回し、最終的に自分の両手で視線を止めた。右手は拳銃を強く握り締めている。空の左手は、握ったり開いたりを何度も何度も繰り返している。口の中だけで小さく呟く。
「夢だ」
少女はもう動かない。
しばらく、少年は立ち竦んでいた。時折思い出したように少女を見下ろしては、足で小突いたり肩を揺すったりした。自分の唇に手をやり、頭を掻いたりもした。何かを考えているようでもあり、その実何も考えていないようでもあった。
少女は動かない。体内からは未だゆっくりと血液が流失していく。
少年が動いた。何を思ったか、部屋の中央に散らばる灰のような残骸を片付け始めた。両手で掬い、ざらざらとゴミ箱に流し込む。フローリングの隙間に入り込んだ細かい屑も、卓上用の小さなクリーナーで掻き集めた。原形を留めていた部分も勿論捨てる。
少女を眺めてじっと佇む。少女の頭に手を伸ばし、弾痕を上に向けて血が零れないようにする。床の血痕をティッシュペーパーで拭った。何枚も何枚も取り出して、憑かれたように擦る。どうしても完全には落ちない。肩で息をしながらひたすら繰り返していたが、途中でどうでも良くなったのか苛々したように立ち上がった。少女は動き出さない。
『不死身という噂は、本当。たぶん、ね。本質的に死ぬことは無いと思う』
先程の言葉を信じているのだろうか。その復活を待つように、少年も動かない。
不意に視線だけが移ろって、その目にクローゼットの扉が映り込んだ。少年は、床に横たわった少女の体と鎖された小さな扉を交互に見つめ続け、そして――皮肉げに、力なく笑った。憔悴しきった笑みだった。
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