第8話
いつも通り、いまいち滑りの悪い鍵と格闘してからシャッターを上げる。
いつもと違うのは、
「おおお、久しぶりだね、ここに来るの」
「……お邪魔します」
我ら軽音楽同好会のメンバーが勢ぞろいしているということ。
「アンプ、とりあえずここに置くよ」
そして、その理由は――、
「では、同好会活動第一回、張り切って行きましょう!」
この納屋が当面僕らの活動場所になるからだった。
田所さんが参加を決めた日。優枝はすぐに同好会活動申請書を持って職員室へと向かった。特に不備のなかったそれはその日の内に仮承認を受けて一定の活動をする許可を得ることができた。
とは言っても所詮同好会である。当然、部室なんて上等なものはないし部費も出ない。せいぜい、なんらかの活動、放課後の演奏会等、をしたければ事前に担当教師へ知らせることで教室を押さえてもらえる可能性があるくらいだ。その担当すらまだ決まっていない現在、僕らが学校でできることは何もなかった。
現状、開店休業状態ではあるものの、手をこまねいて待っていても今後活動場所を確保できる見込みはないに等しい。
ということで優枝が目をつけたのが僕の家の納屋だった。電源もあるし、多少の騒音なら誰も怒らないので確かに都合は良かっただろう。
そもそもドラムセットの問題で僕がちゃんとした練習ができるのはここだけだし。
継続的にスタジオを借りるお金なんてないんだから、必然的な決定だったともいえる。
昨日のうちにグループチャットで提案があり、即座に活動場所として決定された。そして今日、みんな揃ってやってきたというわけだ。
「ごめんね。こんなボロ屋で」
ただ一人、初めて来訪した田所さんには謝っておく。
「え、全然! カッコいいじゃんガレージバンド! ロックって感じがしない?」
ものは言いようだ。納屋ってガレージなのか。横文字にするだけで確かにちょっと音楽っぽくなった。
しかし、優枝の言った通りかもしれないな。見た目と話し方のためか、僕はもっとずっとぶっきらぼうな人だと思っていたのだけれど、なんていうか会話の端々に相手を気遣う部分があるような気がする。
優枝が彼女に惹かれる理由を見つけるたびに、劣等感を刺激されることになる。
でも、正直そういった生き方には慣れているのでここでは忘れることにしよう。せっかく、誰かといっしょに演奏する機会が生まれたのだから、楽しまないと損だ。
田所さんと優枝がガレージの中を散策している間に手早くアンプをセッティングして電源を入れた。今日のところはマイクはないけれど、それでいい。まずは楽器の練習からだ。
あ、そういえば、我がバンドのボーカルは優枝ということになった。二人で話し合った結果らしいので特に異存もない。
以前カラオケで聞いた感じでは優枝は問題ないレベルで歌が上手だ。だからそこそこ形にはなるだろう。器用な子だと思う。
ちょっと気になることといえば、優枝自身がこの割り振りをかすかに不満に感じている気がすることだろうか。とはいっても本当にちょっと。ずっといっしょにいた僕だからわかることだと思いたい。
たしかに、ギター初心者である彼女にはボーカル兼業は負担が大きいかもしれないなとは思う。けれどたぶん違う理由。優枝は目の前の壁が大きければ大きいほど燃えるタイプだから。
「一度休憩しようか」
首にかけていたタオルで額を拭く。
今日は四月としては少し涼しい方だろうか。だから納屋に入りこんでくる風が気持ちいい。
スティックを振っていた僕ほどでないにせよ、二人とも頬が紅潮する程度には温まっているのは集中していた証だ。
「優枝、本当にギター初めて?」
「……え、うん、えへへ。三週間くらい。この二曲はずっと練習してたんだー」
『チェリー』とGreendayの『Basket case』。後者はチェリーと同じく九十年代にリリースされた有名な洋楽だ。どちらもギター初心者向けといわれる楽曲だから、優枝なりに妥当性を考えて選んだのだと思う。
でも三週間そこらでちゃんとリズムに合わせられるのはやはり大したものだ。だからこそ田所さんも驚いているのだろう。
優枝がこの二曲を選んだのは、CDがこの納屋にあって僕が叩いたことのある譜だからというのも大きいとは思う。だから大きな困惑はなく対応できた。
「でも、思ったより指が動かなかったな……。その点桜花はさすがだね!」
優枝の言う通り、本当にすごいのは田所さんだ。
それぞれ名前を聞いただけで「たぶんいけるよ」と答えてしばらく優枝の用意した譜面を眺めていた。結果がこれだ。
今日のところは全員で合わせなくてもいいんじゃないかと思っていたのに、結局二曲、ちゃんと
「まだまだ課題が一杯だー、これに歌も合わせられるようにならないと。でも楽しい!」
本音だと思う。確かに楽しかったから。
ただし、優枝の場合はもう一つの感情があるのも僕にはわかる。
「喉渇いちゃったね。何か飲み物取ってくるよ」
それは、悔しい、だ。
彼女は自分が考えた自分に追いつけなかったとき、強い感情を覚える。
勝負に負けた、とか自身が未熟だった、とかそういうこととは根本的に違って、思い描いていたこととの違いに対する悔しさ。
「冷蔵庫に麦茶のボトルがあるよ」
こんなときの彼女にできることは少ない。ただ一人で考え込むことだけが慰めになる。
だから僕はできるだけ自然体を装って返答した。
「…………ねぇ、友永」
優枝が納屋を離れてからしばらくして、田所さんがそっと声をかけてきた。
「なぁに?」
「優枝と友永って付き合ってるの?」
「……付き合ってないよ」
「……そう」
「本当に、付き合ってないんだ。幼馴染で、距離が近すぎるからよく勘違いされるけど。普通、人の家に飲み物取りに行ったりしないから驚くよね」
この感情は僕の片思いなんだ。
「……友永が言うならそうなんだろうね。ごめん、変なこと訊いて。私、二人の邪魔になってないかなって思って」
「ううん、いいよ。それに僕も優枝もさ、驚いたんだ。田所さん、ベースができるとは聞いてたけど、本当に上手いんだね」
「えっと、それほどでも……。友永だってしっかり叩けてたじゃん。こんなカッコいいスタジオにドラム持っててさ。かなり練習したんでしょ。なんで?」
世間話がてら、兄とドラムの話をする。田所さんはそこそこ興味深そうに聞いていた。
「へぇー。……うちといっしょだね。私も元々お姉ちゃんがやってたからベースを始めたんだ」
なんだか可愛らしい呼び方だなと思った。
「そんな理由が。でも確かに、近くにやっている人がいないとなかなかベースやドラムは始めないかも」
うちのケースは珍しい方だと思う。
「そうかもね。でもさ、私、自分でいうのもなんだけどベースの音って好きなんだ。心臓の音っぽいっていうか。曲の中に自分の血もいっしょに流れていく感じがするっていうか。曲が生きてるって感じがする」
「なんか詩的。あとロックっぽい」
「……ごめん恥ずかしいこと言ったかも」
「いや、でも僕もそう思うよ。僕らリズムセクションは音楽の輪郭で心臓。地味だけどすごく重要。ちゃんとやれば優枝も演奏しやすいはずだし。僕さ、ベースとピアノの組み合わせが好きなんだ――」
しばらく楽曲の話をする。
高い技術を持っているだけあって田所さんはポップスやロックの歴史にも深い造詣を持っているようだった。だいたい僕が挙げる曲は知っていてキャリアの違いを感じさせられる。
「え、何々、面白そうな話してる? 私も混ぜて!」
途中で優枝も戻ってきて、しばらく雑談に花を咲かせることになった。
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