第5話

 新学期とは言え二日目からは変わり映えのしない授業の日々だ。

 新しく配布された教科書だけが独特のにおいを放っているけれど、それも今のうちだけ。机やロッカーの中で寝かせていれば自然となんでもない普通になることだろう。

 休み時間。去年から変わらずクラスメートだった友達との他愛ない話を打ち切ってお手洗いに向かった僕は、少し大きな声で呼び止められることになった。

「友永」

「田所さん」

 昨日見た顔。僕らの青春絶賛ペンディング中の彼女だ。

「ちょっと話いい?」

 なんだろう。普通に考えればバンドのことだけれど……。大穴で「私の優枝に近づくな」とかだろうか。そうは言ってもこっちだって付き合いは古いのだから、はいそうですかと身を引くつもりはないけれど。

「どうしたの?」

 とにかく訊いてみる以外に選択肢はない。

 もしかしたら細かい気になることでもあるんだろう。僕に確認する理由はわからなけれど。

 ちょいちょいと手招きされて向かったのは廊下の端っこ。先には非常階段しかないからあまり人はいない。たしかにちょっとした相談には向いているかも。

「昨日の話。経緯を訊きたくて。もしかして優枝、無理やり友永のこと誘ってない?」

 この質問への回答は難しいな。無理やり誘われはしたけれど、基本的に僕の意志のもとに決定された参加だ。答え方は訊いた側の意図によって変わってくる。

「うーん。いちおう、やりたくてやってるつもりだよ。誘われたのはついこの間だし、急な話だったけど」

「……やっぱり急だったんだ」

「春休みにおじいさんからギターを貰ったみたいだね。それがきっかけだって」

「あ、うん。メッセで聞いた。だからお願いって」

 どうやら優枝はあの後も連絡をとっていたらしい。マメだな。

「バンドの話、迷惑だったかな」

 今まで下を向いて目線を合わせてくれなかった田所さんがこっちを向く。あ、この子目が大きいな。気付かなかった。

「そんなこと、ない。面白そうだなって思う。ただ、こういうものってみんなでやることだから。優枝は……、優しいから私に合わせてくれるけど、参加したら迷惑になるんじゃないかって」

「ないない。田所さんの参加を熱望しているよ。どちらかというと僕がついでかな」

 ぎょろりとこちらを向いた瞳が動く。なんだろう。困惑? 疑問?

「そうなの?」

 どの部分を聞いているんだろう。

 優枝はだいたい感情のままに動くから、お願いと言われればそれがだいたい彼女の希望で、疑う余地はないと思うけど。

「まぁね。今、優枝は田所さんと演奏したくてギターの猛練習してる。けっこう真面目にやってるからびっくりするかもよ」

 ここまで言ったところで僕は小さく驚くことになった。田所さんが笑顔を浮かべていたから。人に見せるために作ったものではなく、なんというか我慢できなかった、みたいな少しだけだらしない、でも魅力的な表情。これって、恋する乙女の顔なのでは……。

「……うれしいな。うん! だったら私もやってみたい。バンド」

 無事仲間が増える。それは良いことだ。けれどこんな顔を見てしまった僕の心境は複雑だった。このままだと優枝の恋が成就してしまう……。

「……伝えてあげてよ、喜ぶからさ」

「後で連絡しとく。それとさ、ボーカルって決まってる?」

「まだだと思うよ。僕は無理だから田所さんか優枝になると思うけど」

 ドラムスで歌う人というのも少ないながら存在する。けれど僕はそんな器用なことはできない。

「……そっか。っとそろそろ休み時間も終わるし行くね、ありがと!」

 元気にお礼を言って駆けて行く田所さん。廊下を走ったらだめだよ、と僕もそんなこと考えている間じゃない。トイレ、行っておかないと。

 追いかけるように廊下を歩きだした。

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