第3話

 そして今回の『バンドやろうぜ』だ。

 まくらがあまりにも大きすぎたせいで、やたら平凡に感じる誘いだけれど、経験から言えば大変なことになるのは間違いない。

 そして、この誘いを僕が断らないことは自明の理なのだ。僕にとっても、彼女にとっても。

 ため息しか出てこない……。

 あと、彼女が僕を誘った理由にもうひとつ心当たりがあった。

 これまで通り頼み込めば便利に使える人員だから、という点以外にもだ。

 単純な話で、我が家にはドラムセット一式があり、たしなむ程度とはいえ僕がスティックを握った経験があるから。当然優枝もそのことを知っている。

 何年か前、僕らが遊び場にしていたゲームセンターにドラムをテーマにした音楽ゲームが設置された。僕と兄はそれにどっぷりハマりこんだのだ。日々の生活の中でなんとか小銭を捻出し、足しげく通った。挙句の果てに兄は高校の先輩という人から中古のドラムセット一式を安価に買い受けるところにまで至った。

 我が家は地域でも郊外に位置しており、周辺には優枝の家以外の家屋がない。家族にさえ目をつむってもらえれば叩き放題な環境ではあった。

 離農した祖父が残した納屋に設置されたドラムに、兄と僕はそれなりの時間を費やした。ゲームとは全然違う体験だったけれど、やってみればこれはこれで面白かった。同じように祖父が遺したラジカセに時代遅れのCDを突っ込んで曲に合わせて叩くだけでも面白かったし、正しい使い方を調べたり、街に出て楽器屋で雑誌や楽譜を読むのも楽しかった。

 やがてときは流れる。兄は高校卒業を期に一人暮らしを始め、ドラムセットを納屋に置き去りにしていった。

 僕は今でも一人になりたいとき、むしゃくしゃしたときなんかにこれを使わせてもらっている。


「それは、僕がドラムをやってもいいってこと?」

 だから最初に確認するのはここだった。

「もちろん。映ちゃんそれしかできないでしょ」

 まぁ、そうだけどさ。

「……なら、興味ある」

「だよね!」

 演奏をそれなりに楽しんできた僕だけど、ドラムというのはリズムセクション、それ単体では限定的にしか楽曲を構成できない。ほとんどの人は誰かの楽器とセッションしてみたいと思うはずだ。それでなくても、楽器を練習すれば他の人といっしょに演奏してみたくなるものだと思う。

「じゃあ、残りのパートはどうなるの?」

 バンドというからには、それぞれが楽器を受け持つか歌うかするはずだ。ありそうなのはギター、ベース、ボーカルにキーボードというところだろうか。

「私と桜花でやるよ。他の人を入れたくないもん」

 距離を縮めるためというさっきの与太は、どうやら本気のようである。

 しかしちょっと人数が少ないな。ボーカルと他の楽器は兼用できるかもしれないけど、それぞれギターとベースかな。

「具体的には?」

「桜花はベース弾けるんだ。だから私がギター。実はね――」

 急に僕の右手を握ってくる優枝。ドキッとしたりはしない。彼女にとってこれくらいのスキンシップは普通だからだ。

 でも気が付いたことが一つある。少しかさついた彼女の左手指先。皮膚が分厚く固くなっている。これは、弦を抑えることを繰り返してできたタコだろうか。

「――もう既に練習してたり」

「ギター? どこで手に入れたのさ。優枝の家で楽器をやる人っていないよね」

「春休みにおじいちゃん家に行ったときに見つけたの。ダメ元でねだってみたらくれたんだ」

 どうやら今回の計画はそこから動き出したらしい。おじいちゃん、なんてことをしてくれたんだ。

「でもさ、さっきの言い方だとまだ田所さんには話してないんでしょ。そんなにすんなり参加してくれるかな」

「だいじょぶだいじょぶ、桜花はバンドに憧れてるから。去年一年ずっと近くで見てたからわかる。ちゃんと面子が集まりそうなら、まずやってくれるはず」

 ふーん……。

「でもこれから確認する以上、まだ決定ではないよね。いい返事が聞けたら、あらためて教えてよ」

 それまでに優枝の思考を逸らすアイデアをなんとか考えておくからさ。

「何言っているの。映ちゃんもいっしょに誘うんだよ。そのために先に声かけたんだから」

 えー……。

「そんなこと言われても、僕田所さんのことそんなに知らないんだけど。なんて誘ったらいいの」

「あれ? そうだった? まぁ、細かいことは私から話すよ。映ちゃんにはいつも通りフォローを任せたいの」

 いつもそれを任せられるから困るんだ。

「桜花はね、名前の通り女の子らしいことが好きな女の子らしい女の子だよ。そこのところよろしくね」

 僕の苦悩を知ってか知らずか続ける優枝。とにかく情報量が少ない。しかもジェンダー論争活発なこのご時世にその物言いはどうなのか。

 頭の中で田所さんの姿を思い浮かべてみる。女の子、か。

 実の所、僕の印象とはだいぶ異なるのだけれど、優枝が言うならそうなんだろう。

 今度こそ話すべきことは全て終わったと、家路につこうとする優枝。それを慌てて追いかけながら、これからのことを考える。

 高校二年の春、バンド活動。そして恋。

 僕の青春真っ盛りはこれ以上ないくらい青春らしい組み合わせで幕を開ける。

 ただ、その中身のいびつさに多大な不安を抱えたままで。

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