21

「オレにも聞きたい事がある。ここが天国HEAVENでは、大多数の幸福のために少数が不幸にされているそうだ。少数は救わなくていいのか、助祭サマ。民の不幸を見たら心が痛むだろうに」

「やむを得ぬ事だ。彼らの不幸は他の大多数を幸福に導く。尊いに身を捧げているのだよ。闇があるから光がある。地獄あってこその天国だ。幸福とは相対でしかない。不幸の不安があればこそ、ヒトは今日の幸福に感謝する。だから、不幸を小出しにして、HEVENの住民の意識下に供給し続けねばならない。それによって住民は感じるんだ。、と。幸福の維持に必要なのは、不幸に対する潜在的な怯えだ。

 未熟な時代の世界は、後進国の貧困の上に先進国の繁栄があった。文明が均一に成熟し、一人ひとりが同じ待遇を主張するようになった時、世界は崩壊を始めた。資源、食料、環境……この地上は、すべての人々を幸福にするほど余裕がない。しかも、前時代に苦しめられた疾病や飢餓など苦難の多くが克服されても、人々はちっとも幸福そうじゃない。ゼロの地平が上がれば、プラスはさらなる水準を求められる。マイナスを挿入して地平を下げねば、いずれは破綻する──

 わかったかな、ブーステッドマン。幸福は砂漠の蜃気楼だ。渇きがあるからこそ、清涼な泉が見える」

「なるほど、宗教は所詮、自分自身のためのものか。助祭にまでしたオマエは、イカサマ天国でファーストクラスの生活が約束されるわけだ」

「幸福になるには努力がいるのさ」

「薄汚い努力だ」

 助祭は否定もせず微笑む。

「人の善い説教師だったナザレのイエスは処刑された。弟子どもは、イエスなど知らないと言って官吏の手から逃れ、彼一人を処刑の丘に送った。その罪悪感から逃れるために、復活などというストーリーをこしらえて、死人を救済者キリストに祭り上げたのさ。本人の意志にかかわらず、イエスは、創られた宗教の依代よりしろにされる。弟子らはちゃっかり聖人を名乗り、ユダ一人が裏切り者にされた。

 イエスが崇められるのはユダが居るからだ。蔑まれ、死してのち未来永劫、人々の足裏で踏まれ続ける。これこそが〈受難〉だろう。闇となってイエスに救済者キリストを投影させるユダこそが、真の救済者ではないのか」

「カルトだな」

「カルトも時代を経て正教になる。キミとの戦いも、やがて神話になるだろう」助祭はやさしげな笑みを浮かべる。

「さしづめオレは、矢じりの尻尾が生えた悪魔の役回りか」

 教義は体裁だ。助祭さえ信じていない。信じるものはシステム。救う対象はおのれ一人。目の前の殺人マシンも自分の幸福しか眼中にない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る