第四章 ~『ゼノとハラルドの闘い』~


 クラリスを捕まえるために、ハラルドは足を動かす。額から汗が流れ、呼吸は乱れている。優雅さを重んじる王族らしからぬ反応だが、それだけ彼は必死だった。


「必ず……っ……クラリスを俺のモノにしてやるっ」


 意気込みを独白することで、足の回転が早まる。速度を上げた彼の脚力は、前方を走るクラリスの背中を捉えた。


「やはり体力の限界だったか」


 体力だけなら訓練を積んできたハラルドに分がある。時間をかければ追いつけるのは自明の理だ。


「クラリスッ、そこで待っていろ!」


 ハラルドの呼びかけに反応して、クラリスは走るペースを早める。だがそれも想定の範囲内だ。脚力に圧倒的な差があるのだから、今更駆けだしても遅い。


「ははは、俺から逃げられると思うなよ!」


 無駄な努力だと笑うが、クラリスの脚力は想定を超えていく。万全の体力なら追いつける速さだが、疲れているハラルドでは離される速度だった。


「なぜクラリスがこんなにも足が速いのだ?」


 疑問が頭に浮かび、自分は致命的なミスを犯したのではと、背中に冷たい汗が流れた。


「ま、待て。待つのだ、クラリス」

「あなた程度の男に私を捕まえられますかね?」

「うぐっ、俺を侮辱するつもりかっ!」


 頭に血が昇り、疑念が吹き飛ぶ。クラリスは彼を誘い込むように、鬱蒼とした森の中へと飛び込んでいく。


 泥濘を踏破し、クラリスの影を追う。だが彼女はジャングルでの逃走に慣れているのか、巧みに逃走経路を選択し、距離を突き離していく。


「やはり、おかしい。クラリスにあんな動きをできるはずがないっ」


 外見はクラリスと瓜二つだが、中身は別人だと確信する。そこで彼は思い出す。帝国との戦争で、ジャングルでのゲリラ戦を得意とした兵士がいたことを。そしてその兵士が友人でさえ判別できないほどの変装術の使い手であることを。


「クソッ、時間を浪費させられた」


 敵の策に嵌ったと知り、踵を返そうと背を向けた瞬間、森の茂みから物音が鳴る。そしてそれが衝撃の合図となった。


 現れた人影がハラルドの脇腹に拳を突き刺す。魔力の籠った鉤突きが彼の肋骨にヒビを入れた。衝撃で吹き飛ばされた彼は、泥濘を転がりながら、敵に鋭い視線を向ける。


「誰だ、お前は?」

「私はゼノ。聖女様の敬虔なる信徒です」


 ハラルドを襲った人影の正体は金髪青眼の神父だった。狂気の笑みを張り付ける彼は一目で強者だと分かるほどに魔力を迸らせていた。


「お前がクラリスに変装していたのか?」

「私の魔法は変身ですから。人を欺くのは得意なのです」

「王子である俺を騙すとは万死に値する。覚悟はできているのだろうな?」

「それは私の台詞です。聖女様を傷つけることは何人たりとも許しません」


 ゼノは追撃を加えるべく、泥濘を蹴って、走り出す。間合いを詰めようとする彼を、ハラルドは迎撃するために風の刃を放つ。


「炎ならともかく、風魔法ならば問題ありません」


 森の中では、相手を一瞬で消し炭に変える炎魔法は使えない。風の刃による刀傷ならば耐えきってみせると、両腕で顔を守りながら、間合いを詰める。


 風の刃が身体中を切り刻む。だがボロボロになりながらも、拳の届く距離まで接近することに成功した。狙いはヒビの入った肋骨だ。そこに追撃の前蹴りを当てる。


 魔力を集約した一撃は肋骨をへし折った。だが攻撃に魔力を割きすぎたため、防御は手薄になっていた。泥濘から生まれた樹木が、ゼノの身体を縛りあげた。


「自然魔法は樹木の生成までできるのですね。さすがは最強の魔法です……っ」

「俺に挑んだことを後悔したか?」

「いいえ、私は満足していますから。聖女様のお役に立てたのなら、命など安い物です」

「頭のおかしい狂信者め。何がお前をそうさせるのだ?」

「恩義ですよ……私はね、過去に一度死んでいるのです。瀕死の重傷で手の施しようのなかった私は、邪魔になるからと、死体の山に積まれていました……」

「…………」

「そんな私を聖女様は救ってくれました。さらには寝ずの看病まで。私はその時、誓ったのですよ。ああ、この人のために死のうと」


 戦場に送り込まれる貴族は訳アリが多い。次男坊や私生児、金で売られた者もいる。地獄のような環境で、救いの手を差し伸べてくれた彼女に、ゼノは人生を賭けるほどの恩義を感じていた。


「だがお前の頑張りは無駄に終わる。俺はこの後、クラリスを追いかけ、それですべてに片が付くからな」

「無駄ではありません。なにせ私は役目を終えましたから。ここから先は……任せましたよ」


 ゼノは意識を失い、言葉を言い残す。それを拾い上げたのは、茂みから現れた黒髪の男だった。


「ゼノ、君の頼みは私が引き受けた」

「アルトッ」


 宿敵同士が視線を交差させる。因縁深き兄弟の争いに終止符が打たれようとしていた。

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