第四章 ~『クラリスが初めて感じた憎悪』~


 王宮へと出向いていたハラルドは、クラリスの待つ山荘へと帰ってくる。彼女と会えることに心を躍らせながら、玄関の扉を開いた。


「クラリス、お前の夫が帰ったぞ」


 声をかけるが返事はない。閉じ込めていても声は届いているはずだ。アルトによる洗脳が解けていないのかもと、廊下の突き当りにある部屋へ急ぐと、扉が壊されていた。


「いったい何が起きたのだ! いいや、それよりも。クラリスは無事か!?」


 疑問よりも前に彼女の安否を確かめるべきだと呼びかける。しかし返事はない。椅子が転がり、扉には鋭利な刃物で切り裂かれた痕が残っている。


「まさかアルトの奴に誘拐されたのか」


 王宮で別れたアルトの瞳には決意の炎が浮かんでいた。あの弟なら強引に攫うくらいはやりかねない。


「暴れた様子から察するに、きっとクラリスは抵抗したのだな。俺との愛を貫くために、勇敢に戦ってくれた彼女に感謝だな」


 ハラルドの頭の中に、悪漢のアルトを追い払おうとするクラリスの構図が浮かぶ。嫁の頑張りに報いるために、彼は山荘を飛び出した。


「待っていろよ、クラリス。いま助けてやるからな」


 向かう先は簡単に予想可能だ。アルトの屋敷がある方角へ馬を走らせていく。


「アルトの奴め。俺から逃げられると思っているのなら大間違いだ。自然魔法の応用力の高さを思い知らせてやる」


 自然魔法は戦闘でも強力だが、それ以外の使い道も多い。


 その一つが風の変化を感じることで、周囲の状況を探ることができる索敵能力だ。この力でハラルドは帝国との戦争でも多大な戦果を挙げてきた実績がある。


「魔物の森は戦場と違い、人の数も少ない。見落とすこともない」


 肌で感じる風の流れに異変を感じる。意識を集中させ、女性が川沿いにいることを感知する。その背丈からクラリスだと確信する。


「ガハハハ、とうとう見つけたぞ。だがアルトの奴はどこに……」


 風魔法の探知に引っかかったのはクラリスだけだ。傍にいるはずの宿敵の気配は感じられない。


「逸れたのか、それとも仲違いか。どちらにしろ、残念だな。必殺の魔法を叩きこむチャンスを失ってしまった」


 掌に魔力から生み出した炎の球体を浮かべる。着弾すれば、同じ自然魔法の使い手といえどもタダでは済まない。


 馬はさらに速度を増し、クラリスへ近づくに連れて川のせせらぎが聞こえてくる。森を抜け、広がった景色に最愛の人を見つける。


 クラリスは川の水を掬い上げて、口にしていた。川を覗くような姿勢を取っているため、ハラルドの存在に気づいていない。


「あの魔物はまさかっ!」


 クラリスの背後に子供のシルバータイガーが寄り添っていた。風魔法では人を中心に探っていたため、見落としていたのだ。愛くるしい外見だが、魔物は魔物。手先には鋼鉄さえ切り裂くと称される鋭い爪も生えていた。


 ハラルドは危機を感じ取り、炎の弾丸を放つ。元々は最強の魔法使いであるアルトを屠るための一撃だ。過剰な威力に、硬い体毛で守られたシルバータイガーでも、耐えられるはずがない。鳴き声をあげながら丸焼けになっていく。


「クラリスよ、危ないところだったな」

「……ギ、ギン様が……ぁ……」

「お前の危機を救ったのは俺だ。どうだ? 惚れ直しただろ?」


 馬から降りたハラルドは、感謝するがいいと恩を着せる。だがクラリスの瞳には涙が浮かび、黒焦げになったシルバータイガーを呆然と見据えている。


「どうした、クラリス? 俺が助けに来たのだぞ」

「……ぐすっ……ぅ……た、助け……私の力で……」


 動揺しながらもクラリスは自分が聖女であることを思い出す。燃え上がり、黒炭と化したシルバータイガーを癒そうと魔法を発動した。


 しかし無くした腕さえ復活できる万能な回復魔法でも、命までは蘇らせることができない。彼女は嗚咽を漏らしながら、無意味な治癒の力を与え続ける。


「俺が迎えに来たのだぞ。もっと喜べ」

「あ、あなたは……ぅ……最低の人ですっ」


 クラリスは鋭い視線をハラルドへと向ける。彼女が本心から向ける初めての憎悪だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る