第三章 ~『フーリエ公の嘆き』~


 フーリエ公爵の執務室では嵐が巻き起こっていた。原因は公爵自身である。彼は怒りを発散するために、部屋の家具を手当たり次第に破壊していたのだ。


「クソオオオオッ」


 雄叫びをあげるが怒りは静まらない。彼の怒りの原因は聖女であるクラリスにあった。


「な~にが、弱者の味方の聖女様だ。儂の方が何百倍も偉大ではないかっ」


 クラリスによる食料のばら撒きは、スラムの人たちを困窮から救った。飢えて苦しむ者たちからすれば、それは神の施しに等しい。彼女の人気は天井知らずだ。


「クソッ、このままではアルト公爵に領地を奪われかねない」


 聖女の人気が増せば増すほど、その旦那であるアルト公爵も評判になる。ただでさえ王族の圧倒的な武力と整った顔立ちで、男女共に人気の高かった彼だ。領主交代を叫ぶ革命運動のシンボルとされていた。


「アルト公爵のように儂もスラムの貧民どもに頭を下げればよいのか……」


 アルトの人気を生んでいるエピソードの一つが、スラムの人たちに謝罪した事件だ。公爵でありながら、平民と対等に接すると、噂に尾ひれが付き、人格者としての名声を確立したのだ。


 だがフーリエ公は認めない。虫に頭を下げる人間がいないように、平民を蟻以下だと見做している彼では、頭を下げることができなかった。


 苛立ちをぶつけるように、椅子を蹴り上げる。転がる椅子を見下ろしながら、彼はもう一人の憎い相手を思い出す。


「こうなった原因はバーレン男爵を信じたことにある。同じ貴族でも男爵のような低い爵位の者を対等に扱うべきではなかったのだ」


 クラリスの悪評を流す計画はバーレンの提案だ。しかし巷ではフーリエ公の命令によるものだと扱われている。


 その背景には実の父親が娘のことを悪く言うはずがないという思い込みがある。それよりは悪の公爵に脅されたとするストーリーの方が納得できるからだ。


 親子の絆さえ引き裂く、最低最悪の公爵として、民衆の支持は離れてしまった。彼は自分の不遇を嘆く。


「どうして儂の領民はこれほどまでに愚かなのだ。無能な民を持つ不運が憎い。実力だけなら公爵一だというのに、儂は運がなさすぎる……」


 悪いのは環境や運勢であり、自分は常に正しい。貴族らしい傲慢な台詞だ。それを部屋の外で聞いていた部下の男が、気まずそうに扉をノックする。


「急ぎ報告したいことがあります」

「本当に急ぎの用事なのだろうな?」

「間違いありません」

「チッ、仕方ない。入室を許可する」

「では失礼して」


 扉を開けると、フーリエ公が暴れた凄惨な状況を目にする。しかし部下の男は何も口にしない。問いかけることが藪蛇になると知っているからだ。


「それで急ぎの用事とはなんだ?」

「実は、兵士の退職が相次いでいまして……」

「辞めたい奴は辞めればいい。勝手にしろ」

「それが退職理由は給料の未払いでして。退職金の代わりだと、砦を占拠されてしまいました」

「なんだとっ!」


 フーリエ領は帝国と国境が面している。そのため国境沿いには防衛の要となる砦が建てられ、敵の進軍に目を光らせている。


 その砦が占拠されたのだ。これは退職した兵士たちの胸三寸で領地が危機に晒されることを意味する。それこそ金で帝国に寝返る可能性も十二分にあるのだ。


「砦を守るためだ。未払い分の給料を支払うと伝えろ」

「その資金はどこから用意すれば?」

「そんなもの適当に集めてくればいいだろう!」

「フーリエ様は我が領地の財務状況をご存知ないのですか?」

「農作物の売上が下がっているとは聞いている」


 クラリスたちが無料で食料を配布しているため、フーリエ公の農園で採れた作物を買う理由がなくなった。


 売れない作物ほど邪魔な物はない。在庫ばかりが増える一方で、収入は落ち込む一方だ。それこそ兵士に支払う給金すら用意できないほどの苦境に立たされていた。


「なら食料の配布を禁止すればよかろう」

「それは止めた方がよろしいかと」

「まさか、貴様は聖女の味方をするのか?」

「いいえ、私は職業軍人ですから。給料が支払われている間はフーリエ様の忠実な僕です」

「ならどうして儂の邪魔をする?」

「客観的な助言ですよ。領主交代を狙う組織が勢力を拡大している状況です。ここで食料の配布が止まり、高騰を起こせば、本当に革命が起きます」

「うぐっ、ならどうすればよいのだ!」

「フーリエ様の屋敷を処分されるのは如何でしょうか?」

「それは駄目だ。儂の財産を傷つけずに、何とかする手を考えろ!」

「ならば負傷兵たちを王都に送り返すのはどうでしょうか?」

「王子に押し付けられたあいつらか」


 軍事力強化のためにハラルドから負傷兵を与えられたが、満身創痍の彼らは役に立たない。治療費で財務を圧迫するだけの存在になっていた。


「だが王子が返却を受け入れるはずがない」

「ならどうしますか?」

「この状況だ。恥も外聞もない。あいつらを馬小屋にでも放り込んでおけ」

「人道に反すると、他の公爵から非難されますよ」

「言わせたい奴には言わせておけばいい」

「まぁ、フーリエ様がそう仰るなら……」

「それよりも根本的な原因を排除しなければ。作物が売れなければ、いつか限界が来る。何か案を出せ!」

「う~ん、フーリエ様も無料で食料を配るのは如何ですか?」

「儂が損をする。却下だ!」

「なら聖女様にお願いして、アルト領に帰ってもらうのは如何でしょう?」

「あの悪女が儂の話を聞くと思うか?」

「優しい人との噂ですよ」

「いいや、儂は人を見る目に自信がある。あいつは悪魔だ。そんな温い手では通用せん。もっとこう直接的な……待てよ、簡単な方法があるではないか!」

「良い案を思いついたのですか?」

「頼み事などしなくとも、邪魔者は殺せばよいのだ。兵士たちに命じろ。聖女を殺せとな」


 フーリエ公は問題解決のために、暴力に頼ることを決める。しかし彼は失念していた。クラリスの夫は、最強の魔法を扱えるアルトであるということを。


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