第三章 ~『馬小屋の神兵』~
フーリエ領での慈善活動は順調だった。食料を配布もそうだが、聖女による回復魔法の恩恵も大きい。怪我人が減り、スラムは笑顔で満ちるようになった。
「やはり人が幸せになるのは善いものです」
不幸な人生を過ごしてきたからこそ、人に幸福を与えたい。充足感に、クラリスの口元には小さな笑みが浮かぶ。
「お~い、聖女の娘さん」
「クルツ様、どうかされましたか?」
獅子のように茶髪を逆立たせながら、クルツが走ってくる。元負傷兵たちの代表であり、クラリスの護衛として一緒にやってきた彼だが、手が足りないと、慈善活動に駆り出されていたのだ。
「怪我人を見つけてな。治療してやって欲しいんだ」
「分かりました。すぐに向かいます」
「……アルト公爵はいないのか?」
「ゼノ様と何やら相談事があるそうで。アルト様にも御用なのですか?」
「それがな、怪我をしている連中が、只者ではなさそうでな。俺だけだと心許ないかと思ってな」
「ふふふ、クルツ様がいるのなら心配はいりませんよ」
「そ、そうか? それなら一緒に行くか?」
「はい」
クルツに連れられて、クラリスは街の外れにある馬小屋へと案内される。嵐でも来れば吹き飛びそうなほど傷んだ建物の中に入ると、彼の言う通り、藁の上に怪我人たちが並べられていた。
「み、皆さん、大丈夫ですか?」
クラリスが声を掛けるが反応はない。意識を失っているのだ。その内の一人に駆け寄ると、ジッと顔を見据える。
燃えるような赤い髪の男は、凛々しい顔つきをしていた。死んだように眠っており、身体を揺すっても目を覚ます気配はない。
「この人たちはいったい何者なのでしょうか?」
「顔つきで分かる。戦争経験者だ。おそらくだが、俺と同じ負傷兵だな」
「あれ? ですが負傷兵は厚遇されるとお聞きしましたが……」
「その辺は分からん。だが俺たちにやれることは一つだけだろ」
「ふふふ、ですね」
怪我人を前にして治療しない選択はない。魔力を手の平に込めて、回復魔法を発動させる。癒しの輝きに包まれた赤髪の男は、ゆっくりと瞼を開いた。
「ここは、いったい……」
「目を覚ましたようですね」
「あなたは?」
「私はクラリス。一応、聖女と呼ばれています」
「せ、聖女様!」
赤髪の男は聖女と聞くと、焦ったように平伏す。いったいどうしたのかと、クラリスの方が困惑してしまう。
「顔をあげてください。え~っと」
「僕はジェスタと申します。巷では『龍殺しのジェスタ』と呼ばれていました」
「ドラゴンを倒したのですか?」
「楽勝でしたね。なにせ聖女様の加護がありますから」
「え、私の?」
「何を隠そう、私は聖堂教会の信徒なのです」
「ということはゼノ様と同じ……」
「ゼノをご存知なのですね。あいつは僕の幼馴染ですよ」
「はぇ、世の中は狭いですね」
クラリスへの仰々しい態度もゼノを想えば理解できた。立ち上がるように伝えると、彼は勢いよく背筋を伸ばす。
「それにしても、まさか聖女様に癒してもらえるとは。嬉しくて涙が零れそうです。子々孫々まで語り継ぎますね」
「大袈裟ですよ。私は困っている人を助けるのが好きなだけです」
助けることに打算がない。だからこそ聖女なのだ。
「なぁ、聞いてもいいか?」
「あなたは?」
「俺はクルツ。聖女の娘さんの護衛だ」
「ほぉ、では同志ですね」
「同志……なのか?」
「聖女様を想う気持ちがあれば、それはもう敬虔な信徒です」
「まぁ、いいや。それよりも聞かせてくれ。お前は負傷兵だろ。どうしてフーリエ領に?」
「意識を失っていたので知りません。ただ馬小屋に放り込まれていたのですから、丁重な扱いを受けていないことだけは分かります……ふむ。ここがフーリエ領なら領主はフーリエ公爵ですね?」
「そうだが」
「クククッ、いずれ彼には神の裁きが下るでしょうね」
「裁き?」
「いずれの話です。気にしないでください」
「は、はぁ」
爽やかな笑顔で物騒なことを口にするジェスタにたじろぐ。続くように、彼はクラリスの顔をジッと見据えた。
「ここにいる負傷兵たちは、皆が敬虔な聖堂教会の信徒です。『千人斬りのリュウ』に『金剛砕きのテフ』など、名の知れた英雄も多く、きっと聖女様の力になってくれるはずです。是非、神の奇跡で癒しを与えてください」
「元よりそのつもりです……ですが、その前に一つ聞いても?」
「どうぞ」
「なぜ聖堂教会の信徒ばかりが集まっているのですか?」
戦場に送り込まれる基準に宗教は関係ない。国民のほとんどが無宗教の王国で無作為に抽出すれば、このような偏りは生まれないはずだ。
「明確な理由は分かりませんが、心当たりはあります。実は僕たちは国王に危険な思想の持ち主として敵視されていたのです」
「えええっ」
「もちろん、誤解ですよ。我々は敬虔な聖堂教会の信徒ですから。しかし噂は広がっていましたから、受け入れてくる領地がなかったのではないでしょうか……それなら馬小屋に放り込まれたのも納得できます。この地の領主は僕らの世話を押し付けられたのでしょう」
「フーリエ様もご苦労されていたのですね」
「同情の余地はありますね。馬小屋に放り込まれた恨みは忘れていませんが」
「あ、あの……」
「なにか?」
「いえ、なにも……」
復讐は何も生まないと、正論を伝えるのは躊躇われた。笑みを浮かべながらも、彼の瞳が濁っており、言葉だけで考え直すとは思えなかったからだ。
「聖女様、お気をつけください……外に人の気配を感じます。数十人、いや数百人はいますね」
「聖堂教会の信徒たちが手伝いに来てくれたのでしょうか」
「微かに血の匂いを感じます。こいつらは――僕と同じ人殺しです」
ジェスタの口元に浮かんでいた柔和な笑みが消える。立ち上がると、一人で敵の待つ外へと向かう。
「あの、一人では危険です」
「問題ありません。それよりも聖女様は僕の仲間たちを治してください」
「ですが……」
「杞憂だと証明してみせますよ」
ジェスタは走り出す。その背中を追いかけることも考えたが、クラリスでは足手纏いになるだけだ。彼のピンチを救うには武力がいると、藁の上で眠る怪我人たちを治していく。
一人、また一人と傷が癒えると目を覚ましていく。だがそれに負けない早さで、馬小屋の外から聞こえてくる剣戟の音が大きくなっていく。
「あの、クルツ様、ジェスタ様を助けていただけませんか?」
「駄目だ。俺は聖女の娘さんの護衛だからな」
「しかし……」
「それに手伝いは必要ない。なにせ助っ人が来たようだからな」
「この声は……ゼノ様ですね!」
争いの声に聞きなれたゼノの声が混じる。魔法使いの彼の助力があれば安心だと胸を撫でおろしていると、喧噪がピタッと静かになった。
「聖女様、僕の実力を証明してきました」
「我ら聖堂教会の力が証明されたのです」
戻ってきジェスタとゼノは血塗れになっていた。二人を心配して、クラリスは駆け寄る。
「怪我をされたのですね。今すぐ回復魔法で治しますから」
「いいえ、これは返り血です」
「か、返り血、ですか……」
「聖女様の加護を受けている我らが、あのような者たちに不覚を取ることはありませんから。それよりも……」
ゼノはすぅと息を吸い込むと、貯めた息を吐き出すように「注目!」と叫んだ。回復した負傷兵たちは立ち上がると、背筋をピンと伸ばして、ゼノに視線を集めた。
「どうやら皆さん、私の事を覚えているようですね?」
「顔を変えてもゼノさんのことを忘れる奴なんていません」
「よろしい。それでこそ敬虔なる聖堂教会の神兵だ」
神兵と呼ばれた彼らは先ほどまで意識不明の重症だったとは思えないほど、血の気の多い顔に変わる。
「神、もとい聖女様に仕える神兵諸君。我々は先ほど送り込まれてきた刺客から目的を聞き出しました。いったい何が狙いだったと思いますか? まさかの、まさか。フーリエ公爵は我らが神、聖女様の命を奪おうとしたのです!」
ゼノの言葉に神兵たちは瞳に力を宿す。狂気に取り憑かれたように、彼らは拳を握る。
「我らが聖女様を害するフーリエ公爵を――」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「命を捨てる覚悟はできましたね! 私が先導します。皆さん、フーリエ公爵に神罰を下しにいきましょう」
「うおおおぉっ」
馬小屋を揺らすほどの雄叫びがあがる。物騒な展開が始まろうとしていた。
そこに待ったをかけるべく、クラリスはゼノに声をかける。
「ゼノ様、待ってください!」
「聖女様、どうかされましたか?」
「あ、あの、私の命が狙われたことは気にしていません。だから……」
「聖女様は御優しいですね」
「ゼノ様……」
「だからこそ、あなたを傷つけようとしたフーリエ公爵が許せません。待っていてください。不届き者の亡骸を、あなたの元へと運んで参りますから」
それだけ言い残すと、ゼノは神兵たちを連れて、走り出した。
「あ、あの、待って。待ってくださーいっ!」
呼び止めるために声をかけるが、ゼノの脚力に追いつけるはずもない。遠くへと消えていく彼の背中を見つめながら、頬に冷たい汗を流すのだった。
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