第二章 ~『ハラルドの嫌がらせと負傷兵』~


 舞踏会の騒動から一月が経過した。屋敷では以前と変わらない日常が流れている。王宮での出来事などなかったかのようだった。


「心配は杞憂に終わりましたね」


 クラリスは愛する主人のために紅茶を淹れる。茶葉の香りが談話室に満ちていった。


「兄上も馬鹿ではないということだ」


 公爵家は王家に次ぐ権力の象徴だ。表立っての喧嘩はできない。しかもそれが痴話喧嘩ともなれば殊更だ。


 品位を重んじる王家が打てる手は多くない。心の平穏を保ったまま、紅茶を啜った。


「公爵様、お手紙が届きましたー」


 使用人として採用したグランが手紙を届けにくる。彼は年齢を感じさせない機敏な動きで、新人であるにも関わらず、使用人たちの中で一目置かれる存在になっていた。


「誰からの手紙だ?」

「ハラルド王子からのようです」

「また兄上か。舞踏会の誘いなら、もう二度と受けないぞ」


 関係性は騒動が原因で悪化しているのだ。一度は誘いを受けたのだから、断る大義名分は十分にある。


「だがさすがの兄上も再度誘うようなことはしないか……」

「そうとも言い切れませんよ。王子の聖女様への執着は異常でしたからね。懲りていない可能性も十分にあります」


 恋は人の判断力を狂わせる。愚行も正しい行動だと思いこむようになる。


「どうして私に固執するのでしょうか?」

「それは聖女様が魅力的だからかと」

「ご冗談を。私はお父様に貴族の令嬢に相応しくないと叱られていたのですよ」


 クラリスの自己肯定感の低さは父親の教育によるところが大きい。優れた妹と比較されて育ったことで、自信を喪失してしまったのだ。


「父親が何と言おうと気にするな。私は君の価値を誰よりも理解している」

「アルト様……」

「さぁ、そんなことより、手紙の内容を確認しよう」


 封蠟を外し、封入されていた手紙を確認する。その内容は負傷兵の受け入れ要求だった。


 その数は千人。貴族の子息も含まれているため、生活費の援助金は安くない。全員の面倒を見るなら、最低でも月額で金貨百万枚が必要だ。


「これはまた理不尽な要求だな」

「アルト様でも金貨百万枚の負担は重いですか?」

「重い。一時的な出費なら耐えられるかもしれないが、毎月の支出として消えていく金額だからな」


 とてもポンと出せる金額ではない。どうやって無茶振りに対処すべきかと頭を悩ませる。


「簡単に思いつく資金繰りは税金を上げることだ」

「ですがそれは……」

「領民が苦しむ。だから駄目だ」


 王国では領主が徴税の義務を負い、税負担についても自由に裁量権を与えられている。


 アルト領は周囲の領地と比較しても税が軽い。これは魔物が出没し、危険度が高い土地だからこその施策だ。もし税金を重くすれば、危険で魅力のない領地となる。そうなれば領民たちの多くは別の領地へと籍を移すだろう。


 さらに最悪なのはギリギリで生活している農民たちだ。荒れた大地を耕し、僅かばかりの農作物を得るために汗を流す彼らが生活できているのは、税が低いおかげでもある。


 もし税を重くすれば首を括らねばならない者も現れる。それは領民想いのアルトにとって許されざる行いだった。


「アルト様、我儘を言ってもよろしいでしょうか?」

「クラリスが我儘とは珍しいな。聞かせてくれ」

「私は負傷兵の皆さんを助けたいです。そのために……ぅ……あ、あなたの私財を……いえ、忘れてください。これはあまりに不躾なお願いでした」


 戦場で治療をしていたクラリスにとって、負傷兵は身近な存在だ。見殺しにはできない。救いたいと頭を捻った結果、生まれたのは、アルトの私財から資金を捻出するアイデアだった。


「なぁ、クラリス、大切な質問がある。心して聞いてくれ」

「は、はい」

「もし私が無一文の……屋敷もなく、豪華な食事や服を与えられない男になっても、君は信じて付いてきてくれるか?」

「はい! もちろんです!」

「ならば、決まりだ。私財を売り払おう。そのお金で当分の間は負傷兵の生活費を捻出できる」

「アルト様……ご、ごめんなさい」

「謝ることはない。私は君さえいてくれれば、他に何もいらないからな」


 金がなくても互いさえいれば生きていける。その覚悟を魂に刻むように、二人は手を握り合う。


「ではエリスを呼んで、私の私財を買い取ってもらわないとな……待てよ、エリスか……」

「どうかしたのですか?」

「私財を売るよりも優れたアイデアを思い付いた。こちらの方法なら一時的な解決ではない。負傷兵たちの長期的な生活を保障できる」

「そんな方法が……」

「私に任せておけ。君の願いはすべて私が叶えてみせる」


 冷たい白い手を握る指に力を込める。頼りがいのある彼の表情は、クラリスに安心感を覚えさせるのだった。

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