第二章 ~『ハラルドの評判とイラつき』~


 舞踏会での騒動から数日が経過した。大勢の貴族たちの前で醜態を晒したハラルドだが、噂の火は弱まるどころか、時間の経過と共に勢いを増していた。


(クソッ、アルトを笑い者にするどころか、俺の方が笑い者だ)


 醜い弟と一緒にいることを恥だと感じさせることで、クラリスを奪い返す計画は無に帰した。それどころか意中の相手に逃げられたハラルドを嘲笑うように、今では『逃げ恥じ王子』の異名まで広がっている。


「おい、あの噂を聞いたか?」

「公爵様の……だよな」


 ハラルドが廊下を歩いていると、衛兵たちがヒソヒソと噂話をしているのを耳にする。冷静ないつもの彼ならば、部下である衛兵たちが王族を馬鹿にする発言を近くでするはずがないと分かる。しかし頭に血が昇った今の彼にはそんな余裕はなかった。


「いったい何が可笑しいんだ?」


 怒りの籠った冷たい口調で衛兵たちに問う。突然の王子の問いかけに、二人の衛兵は背中に冷たい汗を流した。


「聞いているのか? 俺の何が可笑しいのだ?」

「い、いえ、王子を笑ったりなどしていません!」

「なら何の話をしていたんだ?」

「今晩の献立についてです。珍しい魔物肉のステーキが振る舞われるとの噂が流れていまして……」

「公爵とも聞こえたぞ。晩飯の献立とどう繋がる?」

「魔物の入手先です。公爵のアルト様が傷つけたお詫びだと、衛兵たちに送り届けてくれたのです」


 舞踏会からの脱出の際に、アルトは衛兵たちを魔法の力で排除した。怪我を負うことはなかったが、王族である彼の魔法は恐怖を与えるに十分な力がある。その詫びに魔物肉をプレゼントしたのだ。


「王子の弟君は、素晴らしい人格者ですね」

「衛兵たちの間でも、公爵様の評判はうなぎ登りなんですよ」


 衛兵たちに悪意はなかった。ただ王子の弟を純粋な気持ちで褒めただけ。しかしそれは虎の尾を踏む一言だった。


「あいつが俺より優れているということか!?」


 ハラルドは全身から魔力を放つ。一騎当千の力を有する王族に敵意を向けられたのだ。衛兵たちは震えを耐えることができなかった。


「クソッ」


 怯える部下を置いて、ハラルドはその場を後にする。弱い者虐めをしても、ストレスが解消されるわけではない。根本的な解決が必要だった。


(クラリスさえ取り返せれば、恥を掻いたことも笑い話にできる……そうだっ、俺には、あの女が必要なのだ!)


 再会したクラリスは美化された記憶以上の美貌に成長していた。何としても手に入れたいと、激しい情熱の炎が心の中で燻ぶる。


(アルトになど渡してなるものかっ!)


 強い決意と共に、廊下の突き当りにある会議室の扉を勢いよく開く。


「待たせたな」


 家臣たちが円卓を囲みながら、喧々諤々の議論を交わしていた。だが王子の登場で、空気が静まり返る。


「ようやく主役の登場ですな」


 声をあげたのは王族に次ぐ権力を有する筆頭公爵、グスタフ公だ。彼は国王の弟であり、ハラルドの叔父にあたる人物だ。


 丸太のように太い腕と、凛々しい髭面、そして鷹のような鋭い瞳は国王そっくりであり、ハラルドの頭の上がらない人物の一人である。


「それで本日の議題は何だ?」

「王子、それくらいは事前に目を通しておいてください」

「お、俺は忙しいのだ!」

「国王ならば、忙しくとも、やるべき責務を果たしますよ」

「――――ッ」


 グスタフは事あるごとに国王と比較する。家臣たちの前で恥を掻かされたことに怒りを感じるものの、筆頭公爵と揉めるわけにはいかないと、グッと感情を飲み込んだ。


「それで議題は?」

「戦争負傷者の受け入れ先についてです」

「気が重くなる話だな」


 王国は帝国との戦争で多くの怪我人を出した。その中には手や足を欠損し、満足に働けなくなった者も多い。


 そんな彼らを救済するために、王国では貴族たちによる相互幇助により、彼らに住む家と、最低限暮らしていけるだけの生活費を提供していた。


 だがこの社会負担は貴族たちにとって大きな負担となっていた。なぜなら負傷した兵には、魔法を扱える関係から貴族の出自も多い。もし農民のような暮らしをさせれば、金を提供したにも関わらず、血も涙もない領主だと責められる。故に多額の出費が必要になるのだ。


 誰もやりたがらない役割を、どの貴族が担うかで口論になっていた。だが簡単には決まらない。貧乏くじを率先して引く者がいないからだ。


「グスタフ公、あなたの領地は富んでいるはずだ。受け入れてもらえないか?」

「王子、昨年の約束を忘れたのですか?」

「約束?」

「まさか、本当に忘れたのですか?」

「もう一度説明してくれ」

「はぁ~、仕方ありませんね」


 呆れたと言わんばかりに、グスタフは目頭を抑える。


「昨年の帝国との紛争時にも同じように負傷兵が大勢出ました。その際も引き取り手が現れず、我がグスタフ領がすべての兵士を受け入れたのです。ただし条件を出しました。これ以降の負傷兵は王子自らが責任を持って、引き取り手を探すと」

「そういえば、そのような約束もしたな」

「大切なことですから、次からは忘れないようにしていただきたい」

「努力しよう」


 グスタフは本当に理解しているのかと、懐疑的な眼を向ける。だがそんな彼の心情など知らぬと言わんばかりに、ハラルドは悪だくみを思いついたと口角を釣り上げる。


「受け入れ先なら当てがあるぞ」

「まさか王子自身が資金を出されるのですか?」

「なぜ王族である俺が資金を出さねばならんのだ」

「では誰が?」

「俺の弟だ」


 ハラルドの悪巧みは単純に嫌がらせをすることが目的ではない。クラリスを取り返す算段も含まれていた。


(アルトの魅力は大きく三つだ。顔と名誉と金。顔は俺と遜色なく、地位も公爵だ。これを奪うことは難しい。だが金ならば俺の名案により削ることができる)


 負傷者の受け入れにより、莫大な費用が掛かる。税収で賄いきれない金額をカバーするためには、私財を投げ払う必要も出てくるだろう。


 そうなればクラリスは惨めな貧乏生活だ。そこに大金持ちであるハラルドが登場だ。贅沢な暮らしに惹かれ、心を取り戻すことも不可能ではない。


(ふふ、待っていろよ、クラリス)


 美しい花嫁を奪い返せる妄想が頭の中で広がっていく。知らぬうちに口元も綻んでいた。


「王子、アルト公爵も馬鹿ではありません。負傷兵の受け入れを拒否するのでは?」

「飲ませるさ。そのための策もある」


 舞踏会で恥を掻かされたことを思い出す。最悪の経験だが、王族を侮辱する行為は、相手が公爵ではなく農民ならば死刑もありうる。付け込むチャンスが生まれたのは、回り回れば都合が良かった。


(憲兵たちの話だと、魔物の肉を送るほどには罪悪感を覚えているようだし、断れば戦争だと脅せば、拒否はしないだろう)


 仮に本当に公爵家と軍事衝突したとしても、王族である自分が負けるはずがないと自信を持っていた。だからこそ強気な態度に出ることができる。


「俺の策謀により、問題はすべて解決だ。お前たち、俺のことを尊敬してもいいぞ」


 はぁ、と家臣たちは曖昧な返事を返す。彼らの瞳には王子に対する信頼の光が宿っていなかった。

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