第二章

第二章 ~『ハラルド王子の落ちた評判』~

 ハラルド王子の私室は瀟洒の一言に尽きる。壁には有名画家の絵画が飾られ、床には帝国産の高級絨毯、座れば雲のように沈んでいくソファが置かれ、贅を凝らした部屋は王族に相応しい装いだ。


 だが部屋の主であるハラルドは優雅とは程遠い。怒りをぶちまけるように、椅子を蹴り飛ばしている。肘掛けが外れ、宙を舞う椅子を、息を荒げながら睨みつけていた。


「クソッ、俺を拒絶するなんてクラリスの奴、何を考えてやがるっ!」


 容姿に優れ、次期国王の地位にあり、魔法の腕も超一流。一年前、気の迷いで婚約を破棄してしまったが、それでも王子である自分が再度求婚したのなら、尻尾を振って擦り寄ってくるべきだと考えていた。


「そもそも俺は悪くない。すべてリーシャの奴に誑かされたのが原因なんだ」


 一年前のハラルドは、リーシャのことを清楚で愛らしい少女だと誤解していた。


 しかし時間の経過と共に、あれほど愛していたリーシャへの興味が薄れていった。理由は明確だ。彼女がハラルドだけで満足できる女ではなかったからだ。


 始まりは小さな疑惑だった。複数の美男に囲まれて談笑する彼女に嫉妬したのを覚えている。


 そしてとうとう決定的な瞬間を目撃する。サプライズプレゼントのために、彼女の自室に忍び込んだ日のことだ。ベッドの上で三人の裸の男と戯れる彼女を目にしたのだ。薄れていた愛情が完全に失われた瞬間だった。


「リーシャのせいで俺は社交界の笑い者だ。婚約者に浮気された間抜けだと、今もどこかで馬鹿にされているに違いない」


 貴族は噂好きが多い。そんな彼らが王子のゴシップを話題に挙げないはずがない。知らぬところで自分の評判が落ちていると思うと、怒りが際限なく湧いてくる。



「あんな下劣な女がこの世にいるとはな……いや、他の貴族の令嬢も同じようなものか」


 財力、容姿、家柄、能力。ステイタスだけならハラルドは王国一だ。擦り寄ってくる令嬢も多い。だが内面を愛してくれた女性はいなかった。ただ一人を除いては。


「俺を本当の意味で愛していたのはクラリスくらいのものだ」


 思い返せばクラリスは理想的だった。聖女の力を有し、容姿もお洒落に無頓着なだけで素材は悪くない。家柄も男爵家と爵位としては最低格だが、貴族ではあるため、最低限の要件は満たしている。


 そして何より誠実だった。リーシャとの婚約を解消した後、本当にクラリスが浮気したのかと疑問に感じた彼は、部下に調査を命じた。


 その結果は白だった。スラムで目撃した光景も、本当に治療していただけだったのだ。


「人間、誰しも間違いはある。頭の一つくらいなら下げてやってもいい」


 落ち着くために、ふぅと息を吐くと、行儀が悪いと分かっていながら、執務机に腰掛ける。魔除けの置物が視界に入った。


「不細工な粘土細工だ」


 クラリスの手作りの置物だ。魔除けの龍をイメージして形作られているが、龍というより蛙に見える。


 捨てずに取っておいたのは、心の底で未練があったからなのか。


 プレゼントされた日のことを思い出す。あれは戦場へ指揮官として派遣される日のことだ。


『あなたが無事でいてくれることを祈りました。だから必ず生きて帰ってきてくださいね』


 魔除けの力が働いたのか、戦争は王国の圧勝だった。無事、クラリスの元へと戻ると、彼女は涙を流しながら出迎えてくれた。


 この人と一生を添い遂げよう。そう決意した瞬間であり、その決意は後程リーシャの登場によって崩れ去ってしまった。


「ふぅ、仕方あるまい。クラリスを歓迎するためのパーティを開いてやろう」


 王宮での煌びやかな催しの主賓として招待するのだ。これで自分がどれほど寵愛されているのか理解するだろう。


「それにもう一つ。クラリスの婚約者は、あの醜いアルトだ。隣に俺が並べば、どちらが優れているか一目瞭然。乗り換える決心も付くだろう」


 そのために仕込みも重要だ。招待客全員でアルトの顔を笑ってやるのだ。婚約者のクラリスは恥をかく。そこにハラルドが颯爽と登場するのだ。


「そうと決まれば計画を練らなければな。待っていろよ、クラリス。俺はお前を逃がさないからな」


 ハラルドは自分の頭の冴えを称えるように哄笑する。だが彼は失念していた。クラリスは容貌で人を判断するような人物ではないことを。そしてアルトの顔が治癒の力で美しく変わっていることを知らずにいたのだった。


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