あの家でまた……

水無月れん

あの家でまた……

 私は、同じ夢を何度も繰り返し見ている。


 窓から小さな湖がみえる。昼間は光に反射され、きらきら輝いているのだが、夜のためか、湖は不気味な、奥底の知れない、お世辞にも奇麗とはいえないものだった。

 私は一度、林檎の皮をむく手を休め、なんともいえないその湖を眺める。

暖炉の火がパチパチと音を立てている。ここのところ、寝たきりになっている彼女の為に暖炉の火を絶やさないようにしていた。そのため、部屋は眠たくなるほど暖かかった。

 再び目を手元に戻すと、彼女も窓の外を見ていたのか、顔を窓に向け ていた。

「……私、もう死ぬんだね」

「――馬鹿なことを言うな」

 私は彼女の冷たい、小さな手を握る。

 彼女の言葉を否定しきれず、悔しくて歯を食いしばる。

「ごめんなさい。でも、なんとなくもう⾧くないってわかったの」

 悲しそうに微笑む。⾧いとは決していえない彼女の一生だったが、悔いも後悔もないと私は察した。そして、私に出来る事はもう数少ないという事も。

「――なにか欲しいものとか、して欲しいことはあるかい?」

 せめて彼女の願いをかなえたいと、彼女に尋ねる。

「そう、だね……」

 彼女は眼を閉じ考えこむ。

「――ここで、また再び会えるまで待っていて」

 例え自分が死んでも、またこの思い出の詰まった家で会いたい、きっと逢いに行く。彼女は私の手を握り返しながら言う。

「わかった……何百年でも、君を待っている」

 彼女は瞳を細め、微笑んだ。

 それから数日後、彼女は息を引き取った。


 私は森の中、一人目を覚ました。

 涙が頬を伝っていた。

(あぁ、まただ)

 度々見るこの夢から目を覚ますと、私はいつも、自分の体の一部がえぐり取られたような、心臓を握られたような鋭い痛みと喪失感を感じる。

ただでさえそうなのに、森で一人遭難している最中に夢を見たせいで、眠る前まで無視していた孤独を思い出し、不安に押し潰されそうだ。

心細さをこらえ、私は立ち上がり、歩き出す。

(ここは……)

 森からようやっと脱出し、たどり着いたそこに息を呑む。

 心臓の鼓動がうるさい。

 小さな、日光に反射されきらきら輝く湖、そのほとりに建つ小さな家……。

(夢に出てくる場所だ……)

 指先が冷え、体が震える。

 はやる気持ちを抑え、湖のほとりの家へ歩く。

「……」

 泣きたくなった。

私は、この初めて見た家に旅人が苦労してようやく生まれ育った故郷に帰ったような、懐かしくてどうしようもない、郷愁に似た思いを抱いた。

 あるべき所にようやく帰った。

 私はその後、無事に町へ帰った。そして、その家を買い取った。

湖の家は静かで、とても快適だった。私の職業柄、そういう静かな場所はとても都合がよかった。

 しかし、ふとした時に誰かを探すことが多くなった。

 何かが足りない。

 私はずっと心に穴が開いたような、虚無感を抱えるようになった。

 そんなある日のことだった。

 私は夢の中と同じ場所から窓の外の湖を眺めた。ここのところ夢の中の

家と現実に私が買った家があまりにも似ている内装のせいか、夢と現実の区別が起きてすぐにつかない事が多々あった。夢の中の私はこの窓から湖

を見るのが好きで、私もことあるごとに同じことをしていた。

 誰か人がいた。

 私は珍しいと思った。

 この家は私の物だが、湖は私の私有地ではない。だが、町からは少し遠い場所の為、人は滅多に来ない。

 その人は女性だった。

 薄い桃色の裾の⾧いワンピースが良く似合っていた。

 こちらへと歩いてくる。

 私は外へ出た。ある、運命のような予感を感じていた。

 家の玄関から女性を見て、私は自分が何を――誰を待っていたのかを思い出した。

 二人の視線が絡まる。互いに昔から求めていた半身を見つけ、何と言えばいいのか、言葉を探す。

「――待っていてくれたの……?」

「――あぁ、約束しただろう」

 途端、押さえつけていた箱を開けたかのように、愛おしい日々の記憶が蘇る。

 私は彼女を腕にい閉じ込め、彼女の名を呼ぶ。彼女も私の腕の中で私の名を呼ぶ。

 湖のほとりに、勿忘草が風に揺れていた。

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あの家でまた…… 水無月れん @tunami273

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