第3話 生活は一変、心機は一転
──ロリコンマザーファ●カー!
そんな叫び声を聞き流しながらコインロッカーベビーを連れてきて、はや数日。蓄えがそれなりにあることに甘えて新生活へ思いを馳せていた私だったが、どうやら新生活は想像していたものとかなり違っていたようだった。
まず……
「ほら、そろそろ帰るからおいで」
「やだ! まだ見る!」
このベビー、お菓子売り場から本当に離れない。昔流行った、混ぜて練るタイプの知育菓子にいたく興味を引かれたようで、「まぜる!」と言ってその場に
周りを見ると、お菓子の棚に隠れて親を帰すまいと試みている子どもや、地面に寝転がって露骨に暴れまわっている子どもの姿もある。だから彼女がただ座り込んで商品を見つめているくらいは可愛いものなのだが、やはり甘やかすだけが教育ではないのでは──そうも思えてしまうのが困りものだ。何より問題は根負けした後のことである、今回もついつい買ってしまったわけなのだが……
「たべる! ありがとう!」
うっ、ふぅっ……、この笑顔である。
彼女はもう生きた人間ではない。それ故に栄養が届くこともないのか、どれだけ物を食べても出会った頃のように血色はひどいし、これは本人が傷付きそうだから言わないがたまに腐臭も気になる。外に出るとき香水をつけてやるととても喜ぶが、それはもちろん匂い消しだ。
それでも、何かを買ってやったときの屈託のない笑顔を見るととにかく甘やかしたくなってしまうし、やっぱりこの子のママになってよかったと思うのだ。もちろん言うがまま
他にも、幼い子どもとの過ごし方というのも私にはどうもわからなかった。そもそも私の周りには幼い子どもなどいなかった──従兄同士の中では私がいちばん年下だったし、彼らはみんな未婚だから子どもなんて縁がない。仕事で子どもと接するようなこともないので、私が子どもと関わるのなんて遠くから見つからないように写真を撮るくらいしかなかったのである。
だから、いざママになって同じ部屋で暮らすことになると、天地ほども開いていた距離が急激に縮まったような気がして毎日ドギマギしてしまうのだ。ただでさえそうだというのに、このベビーは半分腐っているにも関わらずそれを補って余りある可愛さなのだ。自分の子どもだからなのか、それとも単にこの子が可愛いだけなのかはわからないが。
帰り道。
まだ年も明けていないというのにやけに寒い夕暮れ時の
「君、名前はなんていうの?」
「おしえない!」
「困ったな、ママは君のこと『君』なんて呼ぶの寂しいよ?」
「ママじゃない、さびしくない!」
……まだ心を開ききってはくれていないらしい。欲しがるお菓子やアニメのグッズやらを買ったときには屈託のない笑顔を見せてくれるが、私のことをママと呼ぶのにはまだ抵抗があるようだ。
考えれば、それはそうである。
彼女は本来『ママ』と呼べたはずの相手から見放されたのだ。様々な事情があったにせよ、まだ何も知らなかったであろうこの子にとっては孤独以外の何物でもなく、そこから飢えや寒さ、暑さで死んでいくのはどんな気分だったのだろう?
言葉を発しないからといって生前の彼女に感情がなかったなどというはずはない。愛されることを知らずに命を落とすというのを、彼女はどう受け入れたのだろう? 私はまだ死んだことがないからわからないが、自分が消えていく感覚など想像するだけで恐ろしい。それを、幼い子が……少し、胸が詰まりそうだった。
そんな風に過ごした彼女が大人を信じられるようになるには、まだまだ時間が必要なのかも知れなかった。
結局私にできるのは、諦めずに愛情を注ぎ続けることくらいなのだろう。何てったって私はこの子のたったひとりのママなのだから……!
「ちがう! ママじゃない!」
「恥ずかしがることはないんだよ、もう君のママは私なんだから」
「むーっ!!」
はははっ、膨れた顔も可愛いなぁ。
一旦自転車を停めて頬擦りしたら、幼いぷにぷに感と冷えて湿った肉の感触とが同時にやってきて、更に少しの腐臭を伴って肉がちょっと削げ落ちた。だが、そんなの彼女の可愛さの前では些細なことだった。それくらいに可愛い。削げた肉を食べてみたが、ちょっと生っぽ過ぎるなぁ……うぇっ。
……ふぅ、次はちょっと火を通してみようかな。
「じゃあ、ママがお歌を歌おうか」
「ママじゃない!」
「いいの、ママは昔こう見えて夜通しカラオケ屋さんにいたことがあるんだよ?」
「からおけやさん?」
「お歌を歌えるところだよ。飲み物も飲みながら、たくさん歌えるんだ、楽しいよ?」
「おかしたべれる?」
「持ち込みオッケーなとこなら……うん、食べられるよ」
「いく!」
「え」
「からおけやさん、いく!」
「うんうん、今度ふたりで」
「いく!!!」
「うん、今度」
「いく!!」
突然自転車の後部座席で暴れだすベビー。その動きは堂に入ったヘッドバンギングにも似て──うわ首が
どうやら、私が話してしまったばかりにカラオケに興味を持ってしまったらしい。このまま粘って彼女の身体が欠損しても困るので、家路に向かっていた自転車を、駅前のカラオケ店へと向けることにしたのだった。
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