N17D3 生存禁止エリア
景色が流れる。道が空いているのを幸いに速度制限を無視して進む。建物が高くなり、再び低くなり、道路の舗装パターンが変わる。
変わらない景色はふたつ。空模様と、追ってくる車。
蓮堂は風呂敷の荷物を鞄に詰め直したら、裏返して顔を覆った。今どきアニメでもなかなか見ない泥棒のアイコンだ。
「オオヤ、この車の名義は」
「僕に決まってるだろ。評価は?」
「不可だ。探偵事務所と同じ建物にいるのはまずい」
「なら安心してくれ。住所は新所沢にしてある」
「奇遇だな。私も新所沢に隠れ家がある」
「気が合うね」
「合わせたんだろ?」
二人の車は普段の帰り道を外れて、埼玉県所沢市の方面へ向かった。植物とコンクリートの比率が次第次第に逆転していく。追ってくる車が近づき、ナンバーが見えた。
記録とは違う。別の勢力だ。
「あいつらはオオヤの側らしいな」
「出られそうかい?」
「冗談じゃない。嗅ぎ回る存在がいるだけで問題だ」
「蓮堂くんなら手があるんだろうね」
「当然だ」
「聞こうか」
協力者の顔から依頼人の顔へ。悪魔との取引では契約文をよく読んだほうがいい。
「『嗅ぎ回る存在がいたが、既に死んだ』となれば連中も変わらず動くだろうさ」
「まさかだが、あの蓮堂くんが命を投げ出す気か?」
「命は投げ出さない。死んだ根拠を出す。手を貸してもらうぞ。元よりお前も、いや」
蓮堂はひとつ気づいた。オオヤは自分の身を気にかけていない。必ず理由がある。安全だと確信できる理由が。直接の繋がりがあるなら、どんな間柄であれ話を通せる。そうでないならここで死ぬ。
元より裏があると分かって、知らないふりをして結んだ契約だ。ここに来て『実はなんにも知りませんでしたあ!』など通じない。
車はすぐ後ろにいる。おそらくはミラー越しにオオヤの顔を見ている。カーブの軌道からもそんな気配がある。同時に模範的な運転で来る。今どきはあらゆる車がドライブレコーダーを載せている。煽り運転の厳罰化もあり、すれ違っただけで不利な証拠を掴まれる。
「どことの繋がりかは知らんが、奴らとの利害関係があるな」
「勘がいいね。さすが蓮堂くんだよ」
「隠れ家に着いたら私は助手席から転がり出る。荷物はオオヤが持っていけ」
「投げ出すのかい?」
「続きはリナがやる。報酬は全額あいつに渡せ。伝言もだ。内容はふたつ。『蓮堂節子は姿を消すがお前を見守っている』『困ったらオオヤかハマカンを頼れ』だ」
オオヤは鼻を鳴らした。
「何がおかしい」
「頼れ、か。あの蓮堂くんがそんな湿った言葉を吐くとはね。絆されたな」
「茶化すな。お前にもふた仕事あるぞ」
側から見ると二台の車の間ではトラブルがなく、ともすれば友人グループにも見える。道は埼玉県も奥に来た。人工物も植物もなくなり、ほとんど荒野になった地に来た。申し訳程度にアスファルトと草があるばかりで、それらは文明とも自然ともつかない雰囲気になる。
人間は他の動植物が生きられない領土を作る。地面を覆い植物を追い出し、植物を食う虫を兵糧攻めにして、爬虫類や鳥類を他の餌場へ追いやる。計画的な死の荒野、それが埼玉県だ。
4章 確かな旅路
N17D3 生存禁止エリア
木造一戸建て。周囲に家屋はなく、門や塀は竹と生垣で成り立つ。障子張りの和室だらけの二階建てで、便所は汲み取り式、風呂は五右衛門風呂の、今どき珍しい純和風だ。
防犯設備はセンサー照明と監視カメラを各出入り口に置き、電源は定期的に交換する。誰が住んでいるか不明な実態もあり、不法侵入をただの一度も許していない。
電気もガスも水道もない、孤立した建物だ。住むには不便だからこその便利さがある。どのインフラとも繋がらない建物とは、破壊しても誰も困らない建物だ。
「蓮堂くん、本当に突っ込むぞ」
「やれ」
オオヤの車で竹の門を破壊し、縁側や障子まで突き破る。蓮堂が畳を踏む。
まだ夕陽がある。視覚情報に頼る動きを普段通りにできる。
同伴はここまでだ。オオヤはバックで敷地を出て、再び車を走らせた。蓮堂を追うには手分けが必要で、重要なのは動ける側だ。リーダー格を引き付ける。
蓮堂は火を放つ。あちこちに置いた炭に、マッチを擦っては投げ込む。火種を増やしながら二階へ駆け上がり、電灯に見せかけた紐を引いた。
細工が動き、天井に穴が開く。通り道ができた。炎が育つと一酸化炭素が生まれて、燃焼に必要な酸素が足りなくなる。一酸化炭素は空気よりも軽い。障子は焼け落ちて穴が開く。家の四方から空気が供給され、一酸化炭素が天井から抜ける。建物を燃やし尽くす。
同時に床が抜ける。一階では順調に炎が育っている。もうここから外へは出られず、同時に入る道もない。熱い煙が吹きつけて咳をこぼす。服を引っ張り出して呼吸器を覆う。
そんな袋小路の部屋に飛び降りた。
季節は冬。乾燥した空気を真夏以上に熱した空間だ。相対湿度が低い。乾燥が喉を襲う。
誰かが階段を蹴る音が聞こえる。数は推定二人、この部屋以外ならまだ逃げられるが、この部屋に飛び降りれば命はない。
家主を除いて。蓮堂は中央の畳を持ち上げた。炎の壁に囲まれた部屋だ。誰も入れず、もし入っても調べる余裕がない部屋とは、シェルターの入口に適している。
地上には荷物を隠した。ハマカンに用意させた秘密の品だ。封を開ける時間が惜しい。炎で袋ごと焼いてしまえ。
中身は精巧な、蓮堂の右手だ。精密な分析をしたら偽物とわかるが、分析をしない状況なら騙し通せる。瓦礫の下から腕だけが飛び出す。追ってきた下っ端に情報を持ち帰らせる。
シェルターは秘密の出口へ繋がるが、隔壁で空気の流れを止める。地下から風があればより燃えやすくできるが、不自然になってはいけない。
上からは煙と瓦礫で姿が見えない。横からは炎で姿が見えない。
この日のこの時刻、蓮堂節子は死亡した。詳しい検証が始まる前に手を回す。報道機関から情報が出れば信じるしかない。女性の遺体が一人分。身元の確認を急いでいる。
蓮堂はしばらく暗い地下室で過ごす。
呼吸を整えて、水を飲み、ラムネを齧る。ひとまずの安全を確保した。非常食の確認、水の確認、道具箱の確認。
明かりは口紅型のランタン兼用型を使う。単三乾電池一本で動く優れものだ。手や服の傷を確認し、洗えば済むと分かったら、飲み水のフラスクを握って流水にする。アスリート向けの装備は野外で必要になる事態での応用が効く。
中身が足りなくなれば置いていた水を開封する。
ミネラルウォーターの賞味期限は、表記の上では三年程度だが、中身そのものはいつまでも飲める状態を維持している。わずかな通気性により中身が蒸発する都合で、量が表示を下回り法的な問題があるためだ。無菌状態なので腐敗を知らず、水なので酸化を知らない。
どんな店でも過去の日付の水は買えない。日付が二年前の水をすり替えるのは不可能だ。
時計は着火から三〇分後を示している。
同時刻のオオヤは、車の上座から降りた男と話を済ませていた。
互いに顔が通る間柄で、遠目に煙を見て、消防車とすれ違う。話に時間はいらなかった。
下っ端が戻り、蓮堂は死んだと報告した。確実に見てはいないが、燃え盛る梁の下で右腕が真っ黒になっていては生きていると考える理由がない。
話は済んだ。オオヤは怪しまれないように食事へ向かった。そのうちに蓮堂を拾いに来る。
日が沈んだ。蓮堂の隠れ家だったあたりはまだ明るい。
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