N16D2 瓜田に履を納れ李下に冠を正す
駅前で車を降りてデパートへ。
適当にギフトセットを見繕い、特徴を薄めた顔で進む。記憶に残らなければ見なかったのと同じになる。
話をつけたご家庭へ向かった。インターホンを押し、偽の名前と会社名を符牒にして自分が蓮堂だと伝える。扉が開き、老夫婦が迎えた。扉が閉じてから本物の挨拶を始める。
「改めまして蓮堂です。今日はよろしく頼みます」
「ええ、どうぞお上がりください」
靴は脱がずにポリ袋と輪ゴムで覆う。ギフトセットを渡す。
ここまでトラブルはない。ただし、トラブルの気配がある。
無関係な連中が騒ぎを起こす可能性があり、そうなったら蓮堂が囮となってこの建物からは目を逸らす。もし誰かが来たら脅されていたと言わせる。
「こうなるとは私も想定外なので、いかがでしょう。今すぐキャンセルしても構いません」
蓮堂の提示に対し、爺さんはガハハと笑った。気前よく、豪快に。
「そこは蓮堂さんを信じますわ。こう見えて俺もワクワクしとるんですよ。探偵さんの調査にちょうどいい場所がウチだなんて、心の中の男の子が騒ぎます。存分に使ってくださいよ」
「助かります。設営は二〇分ほどですので、その頃に」
道具を見せる約束があった。理由を詮索せず了承した。その結果がこれだ。探偵の肩書きは時として思わぬ副産物を得られる。
蓮堂は単身で屋上へ踏み込んだ。土足でいいとは言うが、袋はつけたまま。念のため足跡を隠せる限りは隠しておく。
姿勢を下げると視界は建物の壁や屋根の色ばかりになる。道路のアスファルトがなくなると届く光は白や近似の明るい色が中心になる。
地階で見る景色とは何もかもが違う。同じ地域でも高さは全てを変える。風を妨げるものはこの高さにはない。遠くの潮風も、植物の香りも、車かそこらの音も。建物で阻まれなければこんなに届く。
トートバッグの中身を出す。二脚を逆さにして柱とし、薄い風呂敷を仮天井にする。低いが座り込むには十分だ。中で三脚と電子望遠鏡を構えた。ペンのように小型だがパームトップに繋いで使う。実質的な巨大さを性能で納得させて、パソコンは他でも結局は使う。うまい話は自前で組み合わせて作る。
記録するはまず海辺の倉庫の前の道路、音声までは記録できないが、おかげで記録データを少なく抑えられる。同時進行でSDカードにも記録する。
太陽はほとんど真正面にある。レンズは仮天井の奥で日陰に入れる。反射で位置が割れてはいけない。仮天井は灰色と直線直角の都市迷彩で、前情報なしではまず見落とす。
背後で扉が開いた。家主の爺さんだ。
「ちょうど設営が済みましたよ」
「ほお、これが。まるで秘密基地ですなあ」
パソコンの画面にはスコープが映す遠景と、意味深なグラフが並ぶ。風向き、風速、周辺の交通状況。何気なしの道具でも並べると実態以上にすごそうに見える。印象は作るものだ。
奥に婆さんも見えた。
「お客さまに茶菓子も出さないのはやはり馴染まず、お持ちしました」
「お気持ちは嬉しいですが、仕事中には口にするものと時間も決めてるので、すみません」
手元の小物入れを見せた。ピルケースに色とりどりの錠剤が並ぶ。水筒は目盛を書き込んで飲む量を一律にする。水を飲む準備をして、時計を見て、秒針が頂点に達したら少量を飲む。
「そういうことなら、失礼しました」
「せっかく用意いただいたのに申し訳ないです」
体温計やパルスオキシメーターをはじめ体調を調べる道具とか、知名度が低い謎の計測器が並ぶ。PM2.5や二酸化炭素の濃度は思考の精度を左右する。
外見の印象は続く思考を左右する。よく分からないがハイテクと思わせれば話が早い。
老夫婦が戻ったら、設営の仕上げを行う。
ややこしい道具を片付けて、自作の機材やアプリで各データを表示する。無線接続でもあり決して他人には見せられない。各情報を監視しつつ、いつでも逃げられる。仮天井の風呂敷で全てを包んで屋上から降りて走り去るまでは九秒でいい。
仕上げに指向性の集音器を構えた。商売道具を見せるのは目立つものだけで、本当に重要な道具は伏せておく。見ても地味すぎて分かりっこない。
これで全ての準備が整った。あとは視認して帰るのみ。
風の音と、遠くで動く点。刺激が少ない環境だ。ゆえに些細なものを見つける感性が輝く。
この地域について蓮堂はほとんど知らない。一週間分のライブカメラを十六倍速で再生して見えた範囲の他は、せいぜいが書類にある情報しかない。
それでもわかる範囲がある。ここ住宅地区では建築物に厳しい制限があり、不動産の制限はそのまま可動産の傾向を決める。行楽施設がない地域に家族連れワゴンは行かないし、工場がない地域にダンプは要らない。
変な車はよく目立つ。だから相手は変じゃない車を使う。セダンやプリウスなど有名車なら隠れやすいし見失いやすい。
同時に相手は反社会的組織同士だ。どこかで情報を掴んだ可能性は大いにある。別の組織が起こしたトラブルの流れ弾を警戒したら防御力を持つ車が必要で、ぶ厚い鉄板を走らせるには相応のエンジンが必要になる。
選択肢がどれだけ広くても選んだ結果はひとつだけだ。小さな候補の少なくとも一つを満たす動きを見つける。
4章 確かな旅路
N16D2
網にかかった。
怪しげな車を優先して集音器を向けていた。自前の耳では判断がつかない音も拾い、波長で視覚的に教えてくれる。
音が違う。一般的な車が出すはずのない高馬力を、一般的な大きさの車が鳴らす。示す所はひとつだ。銃撃戦を想定した防壁つきの車に、それを持ち出す理由がある者が乗る。
蓮堂は機械で追う。街中のドライブを楽しむ様子がある。自分達を探す者を探している。
屋上を駆け回って双眼鏡を使えるが、控えておく。余計な因縁は避ける。
ラムネを齧る。血糖値を維持する。老夫婦に見せた錠剤はフェイクでなく本当に使う。
狙いの車が街中に飽きた様子で緑豊かな道へ向かう。尻を向けた隙にナンバーを控えた。
記録していたナンバーと一致した。決まりだ。オオヤに電話を入れる。直ちに繋がる。
「蓮堂だ。七分後に出ろ」
「人使いが荒いね。もういいのかい?」
「お互い様だろ。そっちは穏やかか?」
「少なくとも騒ぎはないね」
話す間にもスコープの先では車が停まり、待っていた人影と合流した。
ほとんど木々に阻まれたがごく一部だけが見えれば十分だ。既に記録した。上半身の服装と髪型がわかれば、後で見やすく加工してリストと照らし合わせられる。
ああいう手合いはせっかちで、かつ有能だ。時間の管理には厳格だ。もし合流した顔の他に本命がいればすぐに現れる。おそらく一分以内に。念のため粘り、撮れたかオオヤが来たかでさっさと退散する。
さあ、早く来い。集音器で周囲の音を探す。どの車も異常な音や異常な外見がない。平凡と呼ぶしかない連中だ。別ルートの可能性はせいぜいモーターボートだが、そっちは警備の目を逃れる術がない。一応は蓮堂も目を用意したが期待はしていない。
倉庫の窓で人が動いた。数秒前とは別の服装だ。前日から潜んでいたか? 閉じ直す一瞬で記録も済ませた。これで仕事はおしまいだ。
同時に、電話が鳴った。オオヤからだ。
「蓮堂くん、まずった」
「お前が?」
「すぐに乗れ。それしかない」
蓮堂は行動を返事とする。仮天井にしていた風呂敷で荷物すべてを包み、細い紐とタオルで二階建ての屋上から滑り降りた。縁側の老夫婦に挨拶をひと言。すぐに走り去る。
オオヤの車が近づく。速度を緩めるのみで走ったままで扉に手をかけ、蓮堂を乗せて、再び加速した。
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