N04A4 ルール110

 二〇二一年六月一四日、午前九時十二分。


 予定通り、今日はストライの初仕事に出る。人差し指と言葉で荷物を確認したら、仕事用のパスモを渡して電車へ向かう。


 これまでの会話とイメトレの答え合わせが始まる。準備が正しかったと示す。互いの考えはゲームや散歩や食事である程度は共有した。自然に動けるよう打ち解けた仲を演じた。それが本当に打ち解ける助けになる。関係性は形からでも入れる。


 大江戸線の豊島園駅から乗り、六本木駅へ。都営地下鉄の最深部を記録する駅だ。長い長いエスカレーターで地上へ出て、雑踏を歩いていく。


「蓮堂、ここ聞いたことあるよ。日本屈指のオシャレ住宅街って」

「イメージはそうだろうが、実際はドヤ街みたいなもんだ。道を歩けば落書きやらガムやらが転がってるし、見ろ、陰に吉野家の牛丼が落ちてる。道が狭いから目立つんだよな。土支田や高松がいかに綺麗な街かわかるぞ。ここはそんな乱暴者が跋扈してる。気をつけな」

「恨みでもある? 辛辣しんらつすぎ」


 ストライは語彙の獲得がやけに早い。地頭がいいのか、与えた映画やらのおかげか、早くも常用漢字に含まれない熟語を使いこなす。


「客観的評価だ」


 蓮堂がどう言っても深読みをするだろうから、ここからは別の話題を続ける。駅から離れて人通りが徐々に減り、脇道で静かにスマホを取り出す。


 ポケモンGO。米国Niantic社が提供する位置情報ゲームで、世界中にある名所を巡りながらポケモンを捕まえ育てて時には戦わせる。日本では中高年を散歩へ駆り出して足腰から健康に貢献するほか、登山の目標地となる山頂標がポケモンジムになっていたりもする。


 道端でも野生のポケモンが現れるため、ひと休みのついでにポケモンを捕まえる。探偵には別の使い方がある。こまめに足を止めてスマホを触る理由になる。リズミカルに下から上への操作と画面にいる世界的に有名なキャラクターからすぐに意図が伝わる。覗き見防止シートを貼らないでおく。


 蓮堂もストライも定期的にポケモンを捕まえている。熱心にゲームをする人として周囲への印象を振りまく。


 出発前のストライは水とお菓子が重いと不平を垂れていたが、目的地へ着くまでに半分強が腹の中に消える。食べすぎても都会ならどこでも補充できるから問題なく、後半戦で物持ちがよくなるのは世の常だ。困難は序盤に集中する。


 ポケモンを八匹も捕まえて、第一の目的地に着いた。


「仕事の前に靴を買うぞ」

「ここまで来て?」

「そうだ。ここにしかない」


 Dansko enの扉を開けた。歩くときに疲れにくく、足だけで着脱できる。余裕ある作りだが足の甲を挟んでしっかり保持してくれる。たまに走るにも安心だ。


 回の字に配置された奥の店主に「こいつにプロを頼む」とひと言。フィッティングを任せて歩きのレクチャーを受けて、蓮堂は金だけを渡す。


 ストライがまた青い顔をした。今度は蓮堂が先に話す。


「高く見えるかもしれないが、長く快適に使える分と比べれば安い」

「でも、でもさ」

「うるさい。同じ金額で安めの靴を七足くらい買えるが、この一足が生きてる期間を安い靴で七足じゃあ足りない。必ず剥がれたり穴が開いたりする。道具は信用できる一流を使え」


 元手があるから言える話をしたら、次の元手になる仕事へ移る。まだ慣れない靴に合わせて道をゆっくり進んだ。





1章 迷い子の家

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 六本木駅と表参道駅の中間にいる。ケーキ店やブティックが目立つ大通りと、脇道を進むと住宅地がある。今回の仕事はここで人を眺めて、依頼人の弟が悪い交友でないか確認する。


「けど蓮堂、それってどうやるのよ」

「三つのパターンがある。ひとつは悪友とつるむ様子を見つけた場合。一発で完了になる」

「悪友かどうかの判断は?」

「地域のヤクザリストがある。私のお手製だぞ」


 正確には半グレや極道を含む、顔写真と背格好を一覧できる。蓮堂が探偵を初めてからもう一〇年以上になる。いつか使う道具を用意してきた。おかげで一件あたりの手間が減り、より大きな仕事か多くの仕事に取り掛かれる。


「二番目が善友と一緒にいた場合。これもそいつに電話したら一発で完了する」

「人脈かあ」

「そうだ。最後が地道に調査を続ける場合。これが最悪の面倒さだが、同時に最頻だ。普通はこうなる。何度もここに来るつもりで、次はどの店を見るか候補を選んどけよ」


 幸運は見つければ掴む。しかし、幸運を願ってはいけない。そもそもが本人の姿が見えるかどうかさえ不確かだ。大まかな時刻と通り道は依頼人から聞いたものの、まだすれ違うほうが多い。


「気長に行くか。そこのカフェでな」


 窓際に空席があり、行列でもない。ココアとケーキを携えて、視界は常に雑踏へ。見逃しはしない。ストライもやがてはそうなる。まずは単純な話で慣らす。


「スマホを貸しな」


 iPhoneは最初から入っているアプリだけでプログラムを書ける。ショートカットと題しているが、実際は言葉からイメージする範囲では収まらない。見てくれにアルファベットがないだけで内容はどれと並べても遜色ない。


 蓮堂はごく単純な内容を作り、ホーム画面に置く。再びストライの手元に戻した時には、大きなウィジェットふたつが並んでいた。


「ヒダリを押してみろ」


 指示の通りに押すと、動作完了を示すチェックがつき、スマホが震えた。


「その画面ではわからないが、押すたびに情報がこっちに届く。今から数え方を説明するぞ」


 窓から大通りを見て、左から右へ進むグループが四人以上なら左、三人以下なら右。右から左で三人以下なら右、四人以上なら左。女だけのグループは無視する。


「なんで?」

「後で言う。理由を知らなくても必要な行動は教えた。任せたぞ」

「蓮堂、どこかに行くの?」

「トイレだ」


 周囲の客に目を通す。


 明らかに大人ばかりで、ノートパソコンに向き合ったり、小難しい顔で俗な話をする。まず男性が多く、女性は決まって髪型からアクセサリーまで整い、しかも複数人で固まる。全てがストライを場違いに思わせる。


 蓮堂は顔馴染みの店員に事情を伝えた。トラブルがあれば守れる。しかし、ストライ本人はそうとは知らない。たった一人でアウェーの環境にいる。近くで物音があれば意識を向けつつその間も指示した作業を続ける。


 今回の仕事は能力を見る試験であり、勇気に繋がる経験だ。一人で成功した経験を作る。


 成功といえば、メダルや謝礼の言葉をがあればわかりやすいが、本物の成功は呆気ない。


 地味な作業をなんとなく進めたらいつの間にか成功の範疇に届いている。お知らせも実感もなく明確な結果もなく、自らの意思でこれぞ成功だと決める。


 経験を再発見させる。一度でも気づければ別の機会でも気づけるし、過去に成功していたと知るかもしれない。


 大変な手間だが、先が見えた計画だ。どれだけ遠大だろうと蓮堂に躊躇はない。


 言葉通りにトイレに行った。ただし、男子トイレ側に。蓮堂がぼうっとした顔で出会い頭に驚いた仕草をして、頭を下げてそそくさと去る。奥に気配がなかったので今はこれでいい。


 排泄を済ませて、席に戻った。同じ作業を続けさせて、脚を組み、ココアを飲む。


「ねー蓮堂。いつまでやるの」

「もうしばらくだ」

「思ったより結構ハード」

「そうだな。ココアのおかわりを貰ってこよう」

「うへえ」


 日が暮れるまで同じ作業を続けた。慣れてからは片手間で喋れたので心労が軽くなった。


「帰るか」

「はあい。今日は来なかったね」

「まだわからんぞ。帰ってから確認する」

「なにを?」

「映像だ」


 蓮堂が服のボタンを示す。


「これが極小のカメラで、記録をパソコンで確認する」

「そんな! 私がいた意味ないじゃん!」

「あるぞ。色々あって確認が早くなる。この記録のおかげでな」

「なんだかなあ。あ、てことは脚を組んでたのってさ」

「よく気づいたな。外側に向けるためだ」


 ストライは満足げににやけた。蓮堂の驚き顔がそんなに心地よかったらしい。


 蓮堂は、今日の仕事を大成果と評した。

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