第53話:最終決戦2
「とにかく逃げ……」
と、愛子が扉を押すが何故か開かない。
「無駄だ。この部屋は既に私の掌中にある」
扉は魔力で固定され、部屋中のものが魔力によってカタカタと動き出す。
鏡が割れていくつもの破片が宙に浮き、逃げ場を失った優里と奏人をめがけて飛んでくる。
「くっ……」
「奏人さん!」
「大丈夫、かすり傷ですから」
優里を庇った奏人の手から血が流れる。そっと触れて傷を治すが、逃げ場がない以上いつまでもつか分からない。
「そもそも、どうやって黒龍を取り出すのですか? 黒龍は私の栄養によって生かされている……その上栓があって自ら体外へ出せません」
何か呪術のようなものを使うのだろうか。
そう思っているとジュリアの身体を借りているドラゴンテイルはおかしそうに笑い声をあげた。
「くくく……私が作った栓によって閉じ込められた哀れな黒龍は貴様のどこに棲みついたか知っているか?」
「腸、ですよね」
輝夜が診察によって発見したのだ。腸という消化器官に棲みついて栄養を奪っているのだと。
「そうだ、黒龍は身体を縮め腸に棲みついた。後は生きたまま貴様の腸を引きずり出し新鮮なうちに私の体内に取り込む……そうすれば初めて龍と私は一つになれるのだ。人間を器にするのはそうやって龍を摂取しやすいようにするためだな」
「い、生きたまま……腸を?」
思わずお腹に触れる。
あまりに痛そうな手段だ。その上腸を抜かれたら死んでしまう。
しかも、引きずり出した腸をジュリアやジャスミンの身体で摂取すると言うのだろうか。想像すると少し気持ち悪い。
奏人は、優里を自分の背に隠し絶対に彼女を傷つけないようにしている。その間に愛子は二人を倒そうと試みるが、様々なオモチャや食器類、家具などがその場に浮かんで飛んでくるため対処するので手一杯だ。その上、一国の王女を傷つけてはいけないという考えも攻撃の手を緩めてしまう要因となった。
「優里お嬢様をお守りするためにある身体なのに、敵にすら手が届かないなんて」
苦し気に呟く愛子の声を聞きながら優里は必死に何ができるかを考える。
こういう時は戦う相手側の考えを想像するといいのだと、ファンタジーの小説で読んだ。
今の話からすると、ドラゴンテイルは優里が生きた状態で腸を取り出したいのだから、それまで殺すことはないだろう。
では、何故ガラスの破片をこちらへ飛ばしてくるような危険な真似をするのか……彼らが狙っているのは……
「あ……」
よくない展開に気づいてしまった。正直言って優里は非力だ。戦う力がない。だとすれば戦う力がある人間を先に殺してしまった方がその後も楽に決まっている。
抵抗すればするほど、狙われるのは奏人たちの方だ。
彼らはそれを承知で自分のことを守ろうとしてくれているのかもしれないが、そんなことは許せない。
愛子も奏人も自分のために傷ついてほしくなどないのに。
「邪魔者は消えろ」
「奏人さん!」
大きなガラスの破片が奏人の後頭部を狙って飛んでくる。しかし優里を守りたい奏人はそれを避けることができない。優里は彼がゆっくりとその場に崩れ落ちていくのを、背後で呆然と見つめた。
「いや……っ」
額が大きく裂かれ血が溢れてきている。このままでは出血死してしまうかもしれない。
「くっ……最後までお守りできなくて……すみません……早く、逃げてください……後は愛子に任せて、」
奏人の息が切れ切れなのが分かる。必死に治癒の能力を使うが、損傷が大きいためになかなか塞げずどんどん自分の力が消耗しているのが分かる。このままでは自分も動けない程度の怪我を負い、その間に腸を狙われるかもしれない。
愛子が巨大なクマのぬいぐるみを盾にして優里に振ってくるガラスの破片や重量のあるオモチャなどをはじいているが、それもいつまで持つのか。
「窓ガラスを割れば最悪逃げられるかもしれません。ここは二階ですが、死にはしないかと」
愛子は動き回りながらもそう言って窓を割ろうとする。
「でも、奏人さんが、まだ」
奏人の傷が塞げない。いつもでは考えられないほどに。
「魔力を込めて作った傷がお前ごときに簡単に塞げるとでも?」
やはり、魔力が関わっていたのか。優里は奏人の手を握る手に力を込め、同時に首にかけていた青龍の鱗を握りしめた。
「青龍さん、どうか私に力を……」
青龍が自分を加護してくれているなら……どうか手を貸してほしい。
そう、ひたすら祈る。
「無駄だ、青龍と白龍の二匹は昔から私の存在に否定的で……あいつらの妨害を防ぐためにかなり手こずったが、流石にこの城の中までは干渉できまい」
ジャスミンの身体を借りたドラゴンテイルの言葉を聞きながらも、必死に祈る。奏人を助けたいと……その一心で。
その時、頭の中に何かの声が響いた。
『何故、彼を助けたいのですか?』
それは昔……そしてこの前も海で聞いたことのある……青龍の声だ。
何故助けたいか? そんなことは決まっている。
「それは、奏人さんが私の大切な人だから……」
『それだけですか?』
一緒にいるだけで楽しくなれる。それが、大切な人だと思っている。
詩織も、愛子も、絢音も、千尋も、舞紗も、虎徹も、輝夜も、月彦も、将斗も、七海も、両親も、優里にとっては大切な人。
ただ、奏人は多分それだけではない。
小さい頃、奏人に仕事だから一緒にいると言われたとき、ひどくショックを受けた。何故か? 奏人に好きでいてもらいたかったからだ。
好きでいてもらいたかった。そして、今それが叶った。それなのに。
「私……我儘になってしまったのかもしれません。奏人さんに大切な人だって言われただけで幸せなはずなのに、その先を望んでいる。ずっと一緒にいたい……今まで以上に側にいたい。楽しいことも嬉しいことも一緒に味わいたい……私は、奏人さんと一緒に生きていきたいんです。温かくて幸せな日々を、一緒に」
「優里お嬢様……?」
涙が込み上げてくる。何かが自分の感情をせき止めようとしてくるのに、もう止まらない。
「私は奏人さんのことが好きなんです……愛して、いるんです」
胸が締め付けられて、涙がポロポロと溢れてくる。ずっと押し留めていた、感じたことがないほどの好きという気持ちが止まらない。
ゆっくりと身体を起こした奏人に抱きつく。
傷は、大部分塞がっていた。
「俺も、愛しています」
「奏人さん……っ」
やっと思いが通じった……そう思った瞬間、ずっと熱を持っていた優里の痣がひいていくような感覚がした。そして、身体が急に軽くなる。
何が起きたかは感覚的に分かった。
「あ……」
黒龍が優里の身体から抜け出し、ガラスが割れた窓の隙間を器用にすり抜けてぐんぐんと北の方へと飛んでいくのだ。
感情を封印した黒い痣がみるみるうちに消えていく。
「そんな……封印した感情が戻るなど……」
ジュリアとジャスミンの身体に入ったドラゴンテイルは声を合わせ呆然としている。
優里が愛情を自覚できたお陰で栓が消え、黒龍が解放された。これで、ノースキャニオンもひとまず安心だろう。
優里は奏人から身体を離すと、窓の方を悲し気に見つめる双子の元へゆっくりと近づいた。危険だと止める奏人の声は聞かない。
「ドラゴンテイルさん、あなたは切り捨てられた存在だと言いましたが……私はそんなことはないと思います」
「え?」
二つの声が綺麗に重なる。
優里はずっと考えていたのだ。ドラゴンテイルがこの国に存在する意味を。
そんなに厄介な存在なら殺してしまってもよかったはずなのに……ずっと鏡の裏に彼女がいる意味を。
「そもそもこの国はテイル王国……あなたの名前から国名が作られていますし……それにこの国の王族の能力を聞いて確信しました。王族は鏡を見て国を把握する……鏡の中を行き来できるあなたととても似ているんです」
「だから……どうした」
訳が分からない……そう言いたげな目だ。優里は二人の顔を交互に見ると、安心させるためににこりと微笑む。
「だから王族とドラゴンテイルさんが協力し合えばより王国のことを見守っていけるんじゃないかなって思いますし、当時の王もそう考えていたのかも……なんて、私の推測ですが。えっと、ですから……テイル王国のためにも、龍を集めるのではなく、寧ろその能力で国をより良くするお手伝いをしてくださいませんか?」
十年前、優里を攫ったドラゴンテイルはどこか寂しそうにも見えた。龍を集めて欲しくはないけれど、だったらせめて彼女が抱えている苦しみが少しでも軽くなって欲しいと優里は思う。
「くっ……いいようにいいやがって。私はずっと孤独の中を……」
「そんなことはありません」
もう攻撃の意志がないと気づいて、優里はまた一歩双子に近づく。
「ドラゴンテイルさんにはずっと話し相手がいたではないですか。これからは彼女たちに憎しみじゃなくてぜひ幸せな感情も伝えてください」
「な……」
戸惑うドラゴンテイルを落ち着かせるように、優里は二人の手を握る。
「怖がらないでください、世界は案外優しいんです」
ずっとこの目で見てきたこと。だからはっきりと告げることができた。
勿論悪意だってある。人を見下したり、私欲のために攻撃したり、そんな人もいないわけではない。
けれど同時に見返りなどなくても支えてくれて、世界の広さを教えてくれる人がいた。この一か月だけで、数えきれないほどの幸せを感じた。
朝を迎えるのは憂鬱だった。それはもう過去の話。
仲間がいて、笑っていられる日常……是非、それをたくさんの人に味わって欲しいと、今はそんな気持ちでいっぱいだ。
「くそっ……厄介なやつだ。もういい、どうせ黒龍を失って反撃のチャンスは消えた」
ドラゴンテイルは二つの身体を使ってそう呟くと、ふっと目を瞑る。その途端、二人の少女の身体がその場に倒れた。
「消えたのか?」
もうこの部屋にある鏡は全て割れてなくなってしまったが、きっとドラゴンテイルは二人の身体から外へ出て、どこかの鏡へと戻っていったのだろう。
優里の説得がどこまで効いているか分からないが、それでももう誰かを傷つけるような真似はしないのではないか……そう、思った。
もし想いが届いていないのであれば、何度だって説得するまでだ。
「開いた、開いたぞ!」
「わっ……」
急に、先程まで魔力によって閉じられていた扉が大きく開け放たれ、国王、王妃、そしてその使用人たちが何人も入ってくる。
あちこちにガラスが散らばり、机や椅子は倒れ、おもちゃが散乱し……見るも無残な姿になったこの部屋に。
「あの、これは……」
優里がこの部屋の惨状をどう説明しようか悩んでいると、国王は手鏡を持ったまま優里の元で跪いた。
「異変に気づいてから、中でのことをずっとこの手鏡で見ていた……まさかドラゴンテイルが娘たちを……いや、それをあなたが救ってくださるなんて」
「い、いえ、私は何も……この青龍の鱗にも助けられましたし」
「あなたは娘の……いえ、この国の命の恩人、特別にお礼をさせてください」
王妃まで優里の前で膝をついてみせる。それがむず痒くて、申し訳なくて……そして、身体が限界で。
「優里お嬢様!」
優里はその場にふらりと倒れる。かなり治癒の力を使ったのだから無理もない。
この騒ぎは暫く続いたが……こうして、ドラゴンテイルを巡る問題も見事解決したのであった。
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