第44話:灰かぶり救出の裏話2
「失礼します……あの、どうされました?」
奏人は自分を応接間に呼び出した伯爵と夫人の顔を見比べた。悪い話かいい話か……それはすぐに判明した。
夫人、灯里・イーストプレインは未だに感情の読めない顔をしているが、主人の優作・イーストプレインは分かりやすい。何故か嬉しさを隠しきれない子どものように輝いた目をしているのだ。十年間近くで彼らを見てきたがいつまでも変わらない二人である。
「まあまあ、座りなさい。朗報だ」
「……そのようですね」
この顔から悲報という言葉はまず出てこないだろう。
ソファーに座り、優作の顔を再び見つめる。わざわざ自分を呼び出して朗報とは一体何事だろうか。
研修が入ったということならわざわざ応接間に呼び出さないだろうし、昇進なんてある訳がない。自分の役目となるポジションには父がいて、彼が引退しない限り奏人は姉の下で働く一使用人に過ぎないからだ。
だとすれば……と、僅かな期待を抱いてしまう。
「優里が、生きている可能性があるんだ」
「な、」
期待が的中して言葉が続かない。
優里……優里・イーストプレイン。彼女は元々奏人の主人になるはずの人だった。
しかし十年前、優作の妹で優里の叔母にあたる美咲・イーストプレインに連れ出され、命を落としたとも言われていたのだ。
奏人はずっと優里の生存を信じていた。信じて必死に優里の執事になるための教育を受けてきた。
例え両親が、自分の姉が優里の生存を諦めようと、自分だけは優里が戻ってくることを待ち望みにしていたのだ。
「奏人?」
「あ……いえ、驚きと喜びで言葉が出てこなくて……しかし、可能性というのは……」
武者震いだろうか、手が震えてしまう。
ただ優作の言葉では生きているのが確定というわけではないらしい。
「獄中の美咲から連絡があってね……彼女は優里を殺してはいないこと、そして彼女をどこへ捨てたのか……それを自白してきたんだ」
「そんな……急に?」
「ずっと口を割らず、誘拐したのも魔が差したから、場所についても分からない……そう言い続けていたあの子が何故突然話したのかは分からない。久々に会ってみたら随分と衰弱していてね……役人に聞けばもう食べ物を口にもしていないらしい。一日中鏡をみてぼんやりしていると……自分の死期を悟って話すことにしたのかな」
疑問は残るが、とにかく捨てたらしい場所が分かったのはかなりの朗報だ。
「場所はどこですか?」
「ノースキャニオンだ」
「そんな……よりにもよって」
ノースキャニオン……それはこのテイル王国の北部にある自然豊かな土地である。ただ、その豊かな自然に土地が細かく分断されて小さな集落が点在しているような状態で、文明も大きく遅れている。よりにもよってそんな分かりづらい場所に連れていくとは。
「しかも最近ノースキャニオンは異常気象が続いていると……」
断片的にしか情報は入ってこないが、ノースキャニオンは豪雨や日照りに交互に襲われるような状態で、災害が相次いでいるという。
「そうなんだ……理由としては何が推測できると思う?」
「やはり黒龍、ではないでしょうか」
ノースキャニオンにいる黒龍は自然と災害を司る神。その龍の怒りを買って災害に見舞われているのかもしれない。
「私もそう思う。だからこそ早く優里を連れ出さないと」
「すぐに捜索に向かいます。詳しい位置は分かりますか?」
「国道を道なりに進むとやがて大きな橋を渡る。そこを右折するとクルトという町があって、その周辺の集落のどこかに預けた、というんだ」
「なるほど……大きな情報です」
イーストプレインのように正式な市町名がないのは非常に分かりにくいが、何も手がかりがない状態に比べたら大きな一歩と言ってもいい。
ただ、一点気になることがあった。
「あ……そういえば、御主人様方の意向は……? もし優里お嬢様が発見されても十年も貴族暮らしをしていない状況です。イーストプレインという由緒正しき旧家として、令嬢教育を受けていない優里お嬢様を受け入れられるのでしょうか?」
「ふむ……もし、受け入れないと言ったら?」
ここばかりは、優作も試すような顔をする。
しかし奏人の解答は決まりきっていた。
「それでも俺は彼女を見つけ出し、辞職をしてでも彼女の側で彼女を支えていきたいと思います」
優里を支える使用人になると決意した身だ。例え両親が彼女が家に上がるのを拒んでも優里についていく。それだけは貫きたい。
「はは、その言葉は本当に心強いね。勿論私たちだってたった一人の娘だ。是非迎えたいし彼女が受け入れてくれるのであれば跡取りにさせたい」
心配はしたが、優作の気持ちも同じらしい。
「まあ、気がかりなのは国王の意向ですけどね」
そこで、灯里夫人が口を挟んだ。
「庶民上がりが跡取りなんて……そう仰られる可能性はゼロではありません」
確かに、イーストプレイン家は貴族としてのしきたりなどに拘らない緩い家系だが、王家や他の旧家たちはまた話が違う。
優里がいなくなったことは公表もしているのだから、連れて帰ってくるとなればまた報告も必要だ。
「まあ、王への報告に関しては私たちが行おう。奏人は是非優里の捜索を」
「承知しました。姉にも伝えてよろしいですか?」
「うん、詩織にも是非よろしくと言ってくれ」
「はい」
奏人は心の中でガッツポーズをする。ついに長年望み続けた願いが叶う時がくる。なんとしてでも優里を見つけ出し、再会を喜び合いたい。
十年分の思いを伝えたい気持ちでいっぱいだった。
「えー、金にものを言わせて調べた結果、優里ちゃんはクルトという町の北にある集落にいることが分かったわ」
「金にものを言わしたのに一週間もかかるのかよ」
豪雨の中車を運転しながら助手席にいる姉に不満をぶつける。
優作の話を聞き、すぐにでもノースキャニオンに向かおうとする奏人を詩織が引き留めた。
そこにイーストプレイン家のお嬢様がいる……そんなことがバレたらよからぬことをしようとする輩もいるし、マスコミにリークでもされては大変だ。
ということで町の無害そうな町民を金で懐柔させ調査してもらったのだ。
その結果、一週間で優里の存在を確認することができたらしい。
詩織はその間に優里用の衣服を準備したり追加の使用人を雇ったりと忙しく動いていたが奏人も何もしなかったわけではない。
執事として勉強すべきことは一から復習したし、何度もシミュレーションを繰り返してきた。
「その北の集落にね『灰を被った化け物』と言われている女の子がいるの」
「なんだそれ」
「継母に奴隷のように扱われいつもみすぼらしい格好をした女の子……灰かぶり。彼女は触れた人や動物の怪我を治せるらしいのだけど……それを周囲の人たちは呪いだと言って『灰を被った化け物』と揶揄しているらしいわ」
触れた人や動物の怪我を治せる……確かにそれはイーストプレイン家の人間に受け継がれる治癒の能力だった。
しかしその前の言葉が信じがたい。
「奴隷のようにって……」
「あそこの人たちからすれば親がいない見知らぬ子。ならばものを食わせる代わりに使役する……なんてことも、ないわけでもないでしょう」
「そうかもしれないけど……」
そう言われても、信じたいと思えない。
「それにしても今日って雨強くないか?」
「最近のノースキャニオンは確かに酷いみたいだけど……いつもに増して酷いかもね」
ワイパーを最速で動かしても前が見にくい。
「事故らないでよ? イーストプレイン家の車はこれしかないんだから」
「分かっている」
ようやく、橋が見えた。豪雨の所為で川が氾濫寸前だが何とか突っ切る。そして、十字路を右に曲がった。
「一応何かあった時のために愛子ちゃんと絢音ちゃんに来てもらっているけれど……何もないことを祈るまでね」
「ああ、そういえばいたな」
奏人はサイドミラーで後部座席に座る少女たちを確認する。
体術の使い手で用心棒として雇われている愛子・レイクサイド。そして新米メイドの絢音。
「愛子はともかくなんでこんな新人を」
「絢音ちゃんは結構ガッツがある子だからね。なんとなく、ね?」
「あ、えっと……やれるだけのことはやってみる」
絢音はカタコトのようにそう言ってバールのようなものを手で弄ぶ。奏人としては足を引っ張らないことを祈るばかりだ。
「なんか見えてきたが」
「あれがクルトという町。あれを迂回して北に向かって」
木を継ぎはぎしただけの今にも壊れそうな家が立ち並ぶあれが町というのはにわかに信じられないが、これがノースプレインの現状なのだろう。雨のせいでやはり視界が悪く全体は把握しきれないが、やけに閑散としているように見えるのは皆家に籠っているからか。
雷も鳴り響き、一際黒い雲が上空に集まっている。
「……なんか妙じゃない?」
詩織が呟いた。
耳を澄ませば雷の音が響く間に、鈴の音のような奇妙な音が聞こえてくる。
黒い雲は不自然なくらい一点に集まって渦を巻き始めた。
「何か、儀式を行っているような……」
「まあノースプレインは呪術が根強く残っている土地だし、あり得ない話ではないだろう。異常気象をどうにかしようと……何だ、あれ」
黒い雲の間に、鱗のついた細長い物体が見えた。次に雷の音とも違う巨大な咆哮のようなものが聞こえてくる。
この声に近いものを、奏人は知っている。上空に見える鱗も……色は違えどみたことはあった。
「黒龍だ……黒龍を降ろそうとしている……のか?」
「しかも、北の集落の方じゃない……」
嫌な予感がした。
「黒龍って……?」
絢音は背後で不安そうに尋ねる。彼女は龍の話を知らないらしい。
「このノースキャニオンに豊かな自然を与える反面怒らすと巨大な災害をもたらす神のことよ。ここの人たちはそれを殺そうとしているのかも」
「ノースキャニオン家は何をしているんだ? そんなことをしたら……」
奏人はハンドルを大きく切り、木々の間を縫って強引にショートカットを試みる。
「ちょっと!」
「大丈夫、乗り物の運転には自信がある」
一瞬車体が宙に浮くが無事に着地し、集落の裏側までなんとか辿り着いた。
急に雨がやんだが、やんだというよりこの一地帯だけを雨が避けているというのが正しいのかもしれない。
詩織は車から出ると、軽々と車の屋根に上り集落を観察する。
「女の子が木に縛られている。賽銭を持った人たちが何か祈りを唱えていて、その外側に銃を構えた人たちがいるの……頭上には黒龍……黒龍を降ろして女の子ごと殺すつもりかしら。すごい人だかりだし集落の人は全員外に出ているのかも」
「ってことは、優里お嬢様も中に……?」
奏人も車の上によじ登る。イーストプレイン家の車だが、多少傷ついてしまうのは仕方がない。緊急事態なのだから。
「当時と服装も違うでしょうし十年も経っていれば結構顔つきも変わるものよ。なかなか……」
「いた」
「え?」
奏人はぐるりと群衆を見て、それから最悪な事態に気づいてしまった。
集落の中心にある大木。そこに縛り付けられ人柱にされそうになっているのが……汚れてくすんだ髪にあちこちが傷ついた肌を持つ痩せた少女が……不安そうに空を見上げる彼女こそが、自分が探し求めていた主じゃないか。
自分でも驚くくらいに、すぐ気が付いた。
ボロボロになってもまだ澄み渡った綺麗な水色の瞳。それが彼女であることを物語っている。
こんな時になっても逃げようともがいたりせず運命を受け入れようとしているあの姿勢……あのどうにも危うい様子。それもまた優里の特徴だ。
「確かに、灰かぶりと言われている女の子の特徴と一致するわ。親もいない孤児。そして強い魔力を持っている……人柱にするには十分な人材に違いないことは確かだけど」
愛子と絢音も車から出て儀式の様子を見つめている。
黒龍が何かに引きずられるように雲の間から姿を現してきている。どうみても逃げようともがいているのだが、特殊な力で絡み取られているかのようにその場に留められている。
そして呪術のリズムが変わった瞬間、黒龍はピンと身体を真っ直ぐに伸ばして一直線に降りてこようとするのだ。
奏人は今この時点の自分にできることを必死に考えた。
なんとかあれを止めなければ優里の身が危ない。しかし何を止められる?
黒龍を止める? 龍の声すら聞こえない自分にそんなことはできると思えない。儀式の引力に抗う力も持っていない。
だったらあの儀式自体を止める? 龍が降りたら儀式は終わりだ。もう時間がない。
いや、降りたら次に銃を構えた男たちが動く。その最終段階だけでも止めなければ。
それなら間に合う。最悪の事態を避けられる。
「愛子、絢音、銃を持った男たちを倒せ」
叫ぶように二人に命令を出した。
「了解」
「わ、分かった」
彼女たちが走り出していく。
龍が降りてしまう……それにはもう間に合わない。だから、命だけでも確実に助け出す。
「……て」
二人を追って広場に向かうと「助けて」と微かな声がした。
黒龍が少女の身体に絡みつき、体内へ入っていく様子がスローモーションのように見えてくる。
どうして誰一人として助けようとしないのか……怒りたい気持ちで人の群れを裂いていく。
愛子が蹴りで男たちをなぎ倒していく。絢音はバールのようなもので殴り倒していく。
そして自分は……
「見ないでください」
奏人は優里の視界を塞ぐように屈み、震える彼女の身体を抱きしめた。
もう残酷な光景は見なくていい。もう苦しいのは終わらせよう。
そんな思いを込める。
「やっと、見つけた」
暖炉の煤のような臭いもするが、その中に微かに残った甘い匂い。それがひどく懐かしい。
「……え」
優里は何が起きているか分からないようで、顔も上げずに震えている。
逃げ場を探しているのかもしれない。混乱しているのは間違いないだろう。
「もう、大丈夫です」
とにかく安心させようと声をかける。討伐は終わった。後は早く安全な場所へ……そう思っていると、急に優里の身体に力が入った。
「…………っ」
ぎゅっと目を瞑り、声にならない悲鳴を上げている。黒龍が体内で暴れているのだろうか。とにかく苦しいのは間違いないだろう。
ただ、自分はそれを和らげる術を知らない。
だから、
「耐えてください!」
と、抱きしめる力を強める。
このまま抗うのを止めてしまったらもう優里の身が持たない気がして。
どうしてあと一歩のところで間に合わなかったのだろう。それが悔しくてたまらない。
「辛い思いをさせてしまい申し訳ございません。でも、それでも……俺はあなたと生きたいんです」
気持ちが言葉になって溢れていく。
「生き、たい?」
「散々辛い思いをしてきたでしょう……だから、今度はとびきり温かくて幸せな日々をあなたに贈ります」
「え……」
語り掛けているとやっと優里の身体の痛みもひいたようで僅かに力が抜ける。
今語ったことは嘘ではない。ずっと奴隷のようにこき使われる苦しい日々を過ごしていたのなら、その逆の生活を……なんとしてでも送ってもらいたいと思った。
「もう、大丈夫です」
苦しい思いはしなくていい。そう思って優里の頬をなぞるとやっとこちらを見てもらうことができた。
懐かしい瞳だ。やっとその瞳に映ることができた。それだけで胸がいっぱいになる。
「……あ、の」
何かを尋ねようとしているのだろうが、もう頭も働いていないようで続きは出てこない。
それでも必死に体力の限界に抗おうとするのだから、痛々しい。
「お話は後で……今は、少しお休みになってください。ね?」
割れ物を扱うように、そっと頭を撫でていく。そうすれば優里の力は次第に抜けていき……やがて奏人に凭れかかったまま目を瞑ってしまった。
彼女を繋いでいた鎖を拳銃で撃ち壊すと、優里を抱えて立ち上がる。
周囲の目なんて今は気にしていられない。早く彼女を連れ帰って手当をしなければ。
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