第25話:使用人たちの惚気話1

「それじゃあ今日は定例会議……改め誰が一番優里ちゃんに慕われているか会議を行いたいと思います」

 主人である優里は既に眠りについている夜十一時。詩織、奏人、絢音、千尋、愛子の五人は応接間に集まっていた。 

 それぞれ手元には飲み物があり、詩織はビール、奏人は赤ワイン、絢音はコーラ、千尋はオレンジジュース、愛子は水と、多種多様なバリエーションだ。

 優里が屋敷へ来てもう三週間経とうとしているが、どうやら優里は人をたらし込むのが得意なようで、五人それぞれが優里と密接に関わりを持っていた。そこで彼らは誰が一番なのかを密かに競うようになり、今夜こうして決戦のごとく集まったのだ。

 勿論優里についての現状把握のためという名目もある。

「では最初は誰から行きましょうか」

「じゃあ俺が」

「やっぱり、くじで決めましょう」

 詩織は奏人が手を上げるのをが制し、紙に何本かの線を引き始めた。

 順番は公平にということだろう。

 大人しく全員が名前を書いて線の行く手を見ると……

「あ、僕が一番ですね」

 と、千尋が手を上げる。

 屋敷の中で最年少にして要領がよく、仕事の効率もいい千尋は優里に褒められていることも多い。

 しかもそれをわざと自慢げに振る舞ってくることもあるので厄介だ。

「じゃあそうですね……僕が優里お嬢様と一緒にクレープを作った話でもしましょうか」

 オレンジジュースの入ったグラフを両手で持ちながら、千尋はとある日の話を始めた。



 千尋・シュナイダーは国内外交官の父を持つシュナイダー家の末っ子だ。

 末っ子特有の要領の良さを持つが、それ故に友達は少なく学校でもいつも一人で過ごしていた。

 将来の夢も何も持たず、けれど進学も拒む彼に、父はイーストプレイン家の使用人になることを進めた。

 お嬢様が遠い土地から戻ってくるため人を募集し始めたから、と。

 貴族の使用人ともあれば多少はやりがいがあるかもしれないと住み込みで働くことになった千尋だが、料理も掃除もコンピュータを使う業務に関しても、やはり彼からすれば簡単にこなしてしまえることであった。

 ただ、彼が唯一できないことは一つだけ。


「千尋さんは小さいのになんでもできて凄いです」

 小麦粉、卵、ミルクを混ぜて作ったものをフライパンの上で薄く焼く。それをフライ返しを二本使って器用に裏返し、焼けたところでまな板にうつす。これでクレープの生地の六枚目が完成だ。

 優里は千尋の作業を見ながら手を叩く。彼女の言葉はいつも善意で溢れている。この言葉も本気で自分を褒めているのだろう。

 それなのに何故「小さいのに」などという言葉がつくのか。

 なんでもできる千尋だが、このお嬢様に認められることだけはどうしてもできないと感じていた。

「解せない……」

「え?」

「いえ、何でもないです、トッピングをしましょうか」

 切ない憤りは置いておいて、予め優里が作っておいた生クリームを生地に塗ってゆく。

 優里も長い事家事を行っていただけあって、生クリームを泡立てたり果物を切ることは要領よくこなしていた。

「まずは……イチゴとブルーベリーを交互に並べて……紙を敷いてくるくると巻いたら……上にもトッピングをして出来上がり、と」

 優里の細い指の中で器用に丸められたクレープが用意しておいた細長いグラスに立つ。

 イチゴの赤とブルーベリーの紫のみずみずしい対比が美しい。

「流石ですね、優里お嬢様」

「いえ……千尋さんが綺麗に薄く生地を焼いてくださったのでできたことです。私も継母に言われてパンケーキなら作ったことがありますが、ひっくり返すのが苦手で……だからこれだけ薄いとひっくり返せなかったと思います。千尋さんがいてくださってよかったです」

 優里はそう言ってまたクレープづくりに取り掛かる。今度は生クリームの上に溶かしたチョコレートをたらし、そこにバナナを並べた。

「珍しい組み合わせですね」

「こういうのも合うと思ったんです」

 白い指が楽しそうにテーブルの上を滑る。気づけば二つ目のクレープも完成していた。

 千尋はクレープを真剣な目で見る優里を見つめる。彼女は千尋の生き方を羨むことも否定することもなくただ肯定してくれた珍しい人間だ。それに加え容姿も可愛らしく気配り上手で、どうしたって憧れてしまう。しかし優里の目には自分は男としてではなく子どもとして映っているのにモヤモヤとした。確かに自分は年下で奏人とも十歳の年の差がある。それでも……どうしても劣等感を感じてしまう。

 千尋が劣等感を感じたのも生まれて初めてのことかもしれない。

「あの千尋さん……少し提案があるのですが」

「はい、なんでしょう?」

「これからみなさんの分を作りたいと思うんですけど……まずは二人だけでこっそり味見をしてみませんか?」

 優里はそう言って人差し指を自分の口に当てるポーズをした。詩織の真似だろうか。

「ぼ、僕もいいんですか?」

「はい、二人っきりの秘密です」

 優里にクレープを差し出され呆然とする。そんなにクレープが食べたかったのか……それともずっとフライパンに向き合っている千尋を気遣っているのか。

「今回クレープ作りのお手伝いを千尋さんにお願いしたのは、千尋さんの料理がお上手だからというのも勿論ですが、千尋さんがお仕事をする様子を見たかったからなんです。千尋さんは私が気づいた時にはいつもお仕事を終わらせられていて全然見ることができないので」

 ふと、聞いたことのある言葉な気がして手が止まる。

「……それって、監視ですか?」

 いつも早く終わらせられてしまう……だから、昔からそうだった。

 掃除も、宿題も、PC操作も。誰よりも早くできてしまうからズルをしているのではないかと教師に目をつけられ、監視されたりもした。母ですら自分を疑った。

 その記憶が蘇る。

「監視? そんな、私は詩織さんではないので千尋さんのお仕事を監視する意味なんてないです」

 千尋の上司は詩織だが雇い主は優里だということを彼女は理解はしていないのだろう。慌てたように手を横に振っている。

「ただ、千尋さんはどんな顔でお仕事をされるのか見てみたくて。フライパンを見つめている千尋さんの顔はとっても真剣で……いつもと違う千尋さんが見れたようでよかったです。それに一つ一つの作業に真剣に向き合っているから千尋さんはお仕事が早いんだなって分かりました。きっと、集中力が人とは違うんです」

 優里はそう言って幸せそうにチョコとバナナのクレープに口をつける。

 いつもと違う自分……そんな風に意識したことはなかったが、優里が言うのであればそうなのだろう。

 しかも何でも大した努力もなく卒なくこなしていたつもりが、そのような評価をもらうとは思ってもいなかった。

「集中力が人と違う……か。なるほど……優里お嬢様には本当に敵わないです」

 自分もブルーベリーを口にすればやけに甘酸っぱい味がする。

「敵わない……?」

「いえ、なんでもないです」

 やんわりごまかしつつクレープを食べ進めようとすると、目の前に優里のクレープが差し出された。

「えっと……?」

「あの、チョコのクレープも美味しいんです。よかったら……その、口を開けてください」

 優里は照れたように手を伸ばしている。

 これは……役得というものだろうか。

「それでは……」

 口を開けたところに、優里のクレープが入ってくる。バナナとチョコが絡み合い濃厚な味わいが新鮮だ。

「美味しいです。では、優里お嬢様も僕のをどうぞ」

「あ、はい」

 おずおずと小さく口を開ける優里に自分のクレープを近づける。

「はい、あーん」

 甘い果実が近づいたところで優里は口を開き、クレープに噛みついた。

「ふふ、やっぱりイチゴとブルーベリーの組み合わせも美味しいです」

 頬を押さえてふにゃりと幸せそうに笑う優里のなんと可愛らしいことか。

 こうして二人は共にクレープを食べ、今度こそ夕食のデザート用クレープ作りに取り掛かる。

「また、こうして二人でお菓子作りをしましょうか?」

「あ、はい。私ウェストデザートのおまんじゅうも作ってみたいんです。できますかね?」

「きっと似たようなものは作れますよ。ネットで調べてみますね」

 足りない分の生地を焼いて、優里はそれにトッピングをしていく幸せな午後の時間。

「なんだか僕たち新婚さんみたい……なんて」

「ふふ、千尋くんのお嫁さんはどんな方なんでしょうね」

 照れ隠しのように放った言葉は思わぬ方向にずらされてしまったが……それでも今はこうして隣に並べたことだけでも嬉しかった。

 それが千尋と優里の秘密の時間だ。


◆  ◆  ◆


「な……優里お嬢様に『あーん』させるなんて」

 奏人が手を震わせている。

「しかも『あーん』し返しているのも問題よ」

 詩織も机を強く叩く。

「つうか仕事ができるってさらっと自慢しているがまず気に食わない」

「同意です」

 絢音も、珍しく愛子も怒りを面に出した。

「ええ……僕は事実を言ったまでですよ」

 千尋はそう言うが、生まれてしまった険悪ムードは消えない。

「そもそも優里お嬢様は現在栄養の一部を黒龍に奪われていて……だからこそ念入りに栄養管理をしなければならないのに」

 食べ物も逐一チェックしていたつもりが秘密にされていてはたまらない。奏人は意見を言うが、

「だからこうしてここでお話したんじゃないですか。文句あります?」

「う……」

 そう言われてしまえば言い返せない。今回は彼に完敗だ。

「唯一良かったのは千尋くんがまだ小さかったことね」

「それが一番解せません」

 詩織は落ち着こうとしたのかビールをジョッキ半分ほど一気に口に流し込む。

 彼が成長した時……その時が一番厄介かもしれない。

「じゃ、じゃあ次はアタシの番だよな。これはその……ある日の夕方のことだ」

 絢音はコーラを一口飲むと自分の体験話を語り出した。

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