第24話:ウェストデザートからの医者5
「腸を発信源にした異常な脈拍……対する発作は胸部への圧迫……血液には異常なし……と」
「輝夜ちゃんまだ起きてたの?」
「そりゃあ三日眠ったし、二日は集中力が持続しいひんと」
月彦はヘリコプターを運転できる。しかし全集中力を用いて挑まなければ運転できないため、帰って早々倒れてしまった。
夜の12時になった起き、慌てて輝夜の姿を探すも見当たらず、もしやと思ってここへ来たら電気がついていた。
ウェストデザート人工都市第一区画。ウェストデザート家の屋敷から十分ほど歩いたところにあるこの一階建ての小さな建物は輝夜専用のラボで、彼女が一晩中ここに籠って屋敷に帰らないことは少なくない。
今日も今日とてそれは変わらないようで、早速優里の血液解析も終わったのか、ずらりと並んだデータを見つめていた。
部屋の真ん中に置かれた机にはメインコンピュータが一台置かれ、周辺にいくつもの紙が散らばっている。隅には電子ポットとコップがいくつか置かれた台があり、緑茶のパックやインスタントコーヒーの粉が並べられていた。それ以外の壁沿いには大きな棚があり、書物や薬品のようなものまでがぎっしり詰められ、月彦はたまにこれを不気味に感じることがあった。
「今日の診察で、何か分かったの?」
月彦は結局奏人に虐められるだけで時間が終わってしまったので優里の容態について聞いていない。
ヘリコプターの運転中は全身全霊をかけて挑まなければ落ちてしまうので話す余裕はない。そういうところがポンコツだと奏人にからかわれるのだろうが、輝夜が許してくれさえすれば月彦には十分だった。
「んー、どうしても医学的には解明不能な部分があって、そこがやっぱり呪術的な部分なんやと思う。心音聞いた限りでは明らかにそこに異物があるのに……栄養失調も起こしているのに、血液検査の結果炎症反応はゼロ。血中のどの数値も平均内でしいて言えば白血球がやや少ないけれど異常と言うほどでもない。栄養を奪われているのは分かったから栄養剤を出すというのはできるけど……やぱり医学では呪術に対抗できひんのか分からないことが多すぎる」
輝夜は悔しそうに机を叩いた。
ぐっすり寝た直後の眠り姫に分からないことなら、大抵の医者はこの異常を解明することはできないだろう。
月彦には彼女の言いたいことの半分も分からないが、ひとまず随分と悩んでいるということは分かった。
「おまけに発作は胸が締め付けられる感覚というのも気になるんよ。月彦は胸が締め付けられると感じるのはいつ?」
「え……と、俺は輝夜ちゃんと暫く会えないってことになると胸の奥が切なさできゅーっとするよ」
「切なさか……うーん」
「え、なんかスルーされて恥ずかしい」
つっこみが来るのではないかと思ったが真面目に考えこまれてしまって頭を抱えたくなった。そのままフラフラと部屋の隅にある椅子に座る。
「やっぱり発作の直接的原因は龍ではない」
「え、そうなの?」
「ただ……放っておくと最悪死ぬ可能性はある」
「え?」
輝夜は自分の左手をじっと見つめた。
「あの子の痣に触れた時、能力を使ってみた。でも……そこに龍の気配を感じなかった。そこにあったのは、あの子が押さえつけて溜め込んでいるかのような感情」
「輝夜ちゃんの能力って……触れたものの情報を読み取るってやつだよね」
ウェストデザート家の人間は手で触れたものの情報を読み取る能力を持つ。しかし使うとかなり頭が疲弊してしまうので、大切な場面で使おうとするウェストデザート家の人間は少ない。しかし寝続けることで集中力を手に入れる輝夜は、診断の中でもそれを使うことができるのだ。
「今まで受けてきた暴力や屈辱に対する怒りや恐怖も、灰被りと呼ばれてきた悲しみも、全てがあそこに詰まっている。仮にそれをストレスと呼ぶなら、ストレスがあの子の龍を腹に押しとどめていて……発作は心因性のパニック発作に近いのかも」
「龍が体内にいるのは確かだけど、それを苦しく感じるのはストレスのせいってこと?」
月彦が首を傾げる。それならストレスが解消されれば発作はなくなり龍も開放されるのだろうか。
「そう、そしてそれが厄介なんよ。さっきも言った通り龍は彼女の栄養を奪って生息しているのだから早く取り出さないとマズイ。回復しているように見えるのは単に栄養の高いものを食べれるようになっただけで限界はあるから。けれど心の問題なんてそんな短期間で解決できるものではない。今まで見てきたどんな事例も長期間向き合うことが大前提でスピード勝負なんてもっての外」
「ああ……それはまずいかも」
本当にストレスが龍の出口を防いでいるなら、解決は長期戦になるかもしれないし……長期戦になるならそれだけ龍に栄養を奪われるリスクが高くなる。
「そして、私は今痣にあるものをストレスと呼んだけれど、だとすれば気がかりなことがある」
輝夜の言葉は段々早口になってきており、それだけ彼女が優里の問題に真剣だということが伝わってくる。
「えーと、何が気がかりなの?」
「あの子の中には、執事である奏人さんへの思いみたいなものも押し込められていた。それが何なのかは残念ながら読み取れない。恋愛感情がないか尋ねてみたけれど反応はなかった」
「あの悪魔……じゃなくて奏人先輩への思いか……」
月彦には奏人を好きになる理由が分からないが、表向きの彼は優里に献身的な執事なのだから好きになることだってできるだろう。
「そういえばもう一つ儀式に関係しているという銀髪の女性について聞かれたなあ。月彦は知らない? 銀髪で赤い瞳の女性」
白衣を脱いだ輝夜はポットで入れたお茶を飲みながら月彦の前に立つ。窓から入る月明かりを浴びて凛と立つ輝夜の姿は美しい。そしてウェストデザート家に受け継がれる白色の髪は……光を浴びて銀に見えないこともないが、目の色が違う。輝夜の目はもっと澄んだ青色だ。
「まあ分からないけど……ウェストデザートの人間じゃないだろうな。科学に染まったこの土地じゃあ呪術の類を信じる人すら少なくなっている」
この土地はノースキャニオンとは正反対の時代を生きる場所と言っていい。
砂漠の砂が入ってこないよう高い壁で四方を覆った人工都市。そこは区画という基準で区切られコンクリートで作られた無機質な建物が並んでいる。科学技術も医療も発達し随分と快適な生活ができるようになったが、その反面昔の技術などは忘れ去られてしまった。
「発明と喪失を司る白龍……やつならもっと私の知らないことまで知り尽くしているのだろうか」
「白龍……かあ」
月彦は龍の姿を知らない。ウェストデザートに住んでいると龍などという非科学的な生き物は存在していないのではないかという気持ちにもなるが、呪術の類も龍も存在するということは使用人としてきちんと教育を受けてきた。輝夜の父も白龍の怒りを買わないため日々生産性の高い事業が行われるよう厳しく監視している。そして輝夜も医療技術の発展に最大限貢献しようとしている。
「月彦、お願いがあるんやけど」
「え……うん、なんでも言って」
輝夜は少し屈んで座っている月彦を見上げるようにすると、口づけも出来そうな距離で、
「三日寝たいの」
と告げた。
「え……また、三日」
「うん、この謎はもうちょっと眠らんと解決できひんの……だから、おやすみ」
「ええっ」
すぐに輝夜の力が抜けて月彦に凭れかかる。眠り姫はいつだって唐突だ。
「仕方ないなあ、輝夜ちゃんは」
それでも彼女をベッドまで運んで三日後に起こしてくれる執事がいるからこそ彼女は無茶をいうことができている。
月彦は執事としてはポンコツだが輝夜の睡眠管理にだけは自信があった。そして三日後に彼女が何かの成果を出してくれることを、月彦だけは確実に信じていた。
「わー今夜は月が綺麗だなあ」
輝夜を抱えてラボを出た月彦は夜空を見上げて独り言ちる。
そして、イーストプレインのことを思い出した。彼が悪魔と呼ぶ奏人が執心しており、輝夜も熱を上げる優里というお嬢様。
彼女は一体どんな人物なのだろう。
『そのまま起きなければいいものを』
「え?」
急に誰か女性の声がした気がして周囲を見渡す。しかし夜中であることもあってか人はおらず満天の星空が広がるだけ。
気のせいか……そう思うことにして屋敷への道を急いだ。
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